01-11.露見
「黒森?何やってんだこんなところで?」
突然、後ろから声をかけられて紗矢は凍りつく。聞き間違えようもない、それは太刀洗絢人の声だ。とっさに振り返ると確かに同級生の太刀洗絢人が、不思議そうな顔でこちらを見ている。
「たっ、太刀洗くん!?」
なぜ彼に私の姿が見えているの?[遮界]の効果で見えないはずでは!?
と、そこまで考えて初めて、魔術がひとつも起動していないことに紗矢は気付く。おそらく、あの暗黒の濃霧に覆われてしまった時に[還解]だけでなく全て解除されてしまったのだ。
まずいわ、どこから見られていたの?万が一さっきの[投射]も見られていたのだとしたら、私が魔術師だと彼に知られてしまう!どうしよう、口封じに[貼付]する?でも死霊魔術師との戦闘中にそんな暇あるわけが…!
「今の落雷、お前大丈夫だったか?」
絢人は呑気な顔で聞いてくる。あれが紗矢の魔術による召喚だというのには気付いていないようだ。
「え、ええ。何とか」
引きつった笑顔で返事をしてから、はっと気付いて再び振り返ると死霊魔術師の姿が消えている。一瞬とはいえ意識を逸らしてしまったその隙に見失ってしまったのだ。
慌てて周囲を見回すが、当然見つかるはずもない。
『ドゥンケル、警戒!』
慌ててドイツ語で指示し、ドゥンケルはそれに従って即座に魔力感知を始める。
「その外人さん、お前の知り合い⸺」
『紗矢様、その者の後ろに!』
絢人とドゥンケルの言葉が重なった。
絢人の背後に髑髏の顔が浮かび上がった。
「危ない!」
とっさに叫んで紗矢は絢人に駆け寄り突き飛ばし、押し倒した。その紗矢の左脇を死霊魔術師の腕が掠める。
骸骨の腕の指先は何故か鋭利な刃物のように尖っていて、それが紗矢の脇腹を切り裂いた。
「うわ!」
「あうっ!」
もつれ合って倒れ込んだふたりの前に死霊魔術師が仁王立ちになる。
「クク……キサマの弱点はそれか……」
死霊魔術師にドゥンケルが掴みかかるが、その身体は霧でも掴んだかのように霧散して消えてしまう。
「わ、なんだ今の……?
って大丈夫か黒森!?お前怪我してんぞ!」
「っだ、大丈夫……大した傷ではないから……。
それより貴方、逃げなさい!今の奴、通り魔よ!」
とっさに嘘が口をついて出る。我ながら苦しい嘘だと思ったが、ふたりして襲われたのは事実だし、これで彼がここを離れてくれればまた戦える。そう紗矢は思った。
「逃げろってお前はどうすんだよ!?お前置いて行けるわけねえだろ!」
ああもう!こういう時まで人に優しくなくていいの貴方は!
ふと左脇の出血が止まっていることに紗矢は気付く。これはおそらくどこかからリヒトが魔眼で見つめているのだろう。一般人が側にいるから大っぴらに魔術や魔眼を使うのを憚っているのだろうか。
そういえばさっきのドゥンケルも、魔術ではなく体術で死霊魔術師を捕まえようとしていた。きっとふたりとも、彼が私の知り合いだと察知して気を使ってくれているのだろう。
紗矢が立ち上がり、絢人も一緒に立ち上がる。ふたりとも周囲を見渡して警戒するが、その警戒の意味合いは全く異なるものだ。
紗矢は飛んでくるであろう魔術への警戒を、そして絢人は姿の見えなくなった謎の髑髏の覆面の姿を探していた。
「あれ?でもそう言えば、他の人が誰もいないな」
絢人が不意に何かに気付いたように呟く。
「……えっ?」
「いやさっきの落雷な、相当な音と衝撃だったからさっきまで野次馬が大勢いたんだよ。でも今もう誰も姿が見えないから……」
「…………しまった!」
慌てて紗矢は周囲を見渡す。いつの間にか再び暗黒の濃霧が立ち込め始めていた。どうやら今度は絢人ごと取り込まれてしまったようだ。
カラカラカラ、とアスファルトの路面に何かがいくつも散らばった音がする。あっと思う間もなく、それはすぐに角と尻尾、それに長い口と牙を持って剣を携えた骸骨の姿になる。死霊魔術師が触媒を用いて竜牙兵を再び召喚したのだ。
「え、なんだ……?まさか竜牙兵?」
絢人がその異様な姿を正確に見抜く。ゲームなどではお馴染みのモンスターだから絢人でもその存在は知っているが、それが目の前に実際に現れたとなると話は別だ。
「……貴方が早く逃げないから、こういう事になるのよ」
「えっ?」
絢人に背を向けたまま、紗矢がぽつりと呟く。
もうこうなってしまっては、彼を巻き込まずに事態を収めることなど不可能だ。だから彼女はもう、全て諦めて覚悟を固めていた。
詠唱とともに両手を握り胸元に引き寄せ、紗矢はそれを開きながら前方に突き出す。両掌の先に4本ずつ、計8本の光の矢が竜牙兵めがけて飛んでいき、1本につき一体を破壊する。すぐさま紗矢は再び[投射]を起動して次の竜牙兵を打ち倒しにかかる。
見えているだけでそれは数え切れないほど立ち上がってきていて、もう彼を守るためにはなりふり構っていられなかった。
「お、おい黒森……」
「黙ってて!」
紗矢は[投射]を連発しながら[還解]の詠唱をも始める。紗矢と絢人の足元に魔術陣が浮かび上がり広がってゆき、それに触れた竜牙兵が次々と大地に還っていく。
紗矢の額に汗が滲む。彼女とて無尽蔵に霊力を使えるわけではないのだ。空いている霊炉のほとんどを[投射]と[還解]につぎ込んでいる上に、暗黒の濃霧に力を吸われる感覚が再び甦っていて霊力が消耗し始めている。
だが、紗矢の霊力が尽きる前に竜牙兵の数の方が尽きた。死霊魔術師の次の攻撃はまだのようだが、無尽蔵に霊力を使えないのはヤツも同じはずだ。特に邪術などという人に使えぬはずの力を使っているのだから、持久力勝負の面ではこちらに分があるはずだった。
「もしかしてお前、魔術師……だったのか……」
「⸺そうよ。悪い?」
とうとう真実を知ってしまった絢人が紗矢に声をかけ、振り返らずに紗矢が答える。
死霊魔術師との戦闘だけではなく、この先に魔道戦争が待っている。それを思うと、彼を魔術師にする選択肢も[貼付]で記憶を改竄する選択肢も有り得なかった。そもそも絢人の記憶だけ改竄したところで、彼が死霊魔術師に襲われなくなるわけではない。そして彼を守りながら戦えるほど魔道戦争というものは簡単なものではないのだ。
だから魔術師である紗矢の正体を彼に知られた以上、そして死霊魔術師に彼の存在を知られた以上は彼を殺すしかないと、紗矢はすでに覚悟を固めていた。




