01-09.遭遇戦(1)
突然ですがバトルです。
夜7時ちょうどに全員で邸の前庭に出る。
紗矢、ザラ、それにリヒトとドゥンケル。
全員が魔術師で、基礎魔術の[跳躍]を習得済みだ。
「行くぞ」
ザラの号令を受けて紗矢が[遮界]で全員の姿を隠し、それから各々が[跳躍]を始める。[跳躍]とは空間魔術の距離移動の術式だ。簡単に言えば地を蹴ってジャンプするだけだが、常人には到底届かない距離を跳ぶことができる。魔術師はこれで移動するのが基本になるのだ。
今回、事前に跳躍距離は100メートルと決めていた。術者の能力次第で跳躍の距離に差ができるため、合わせておかないとドゥンケルはともかくリヒトがひとり遅れてしまう。普段はドゥンケルがリヒトを抱いて移動しているとの事だったが、今回それではいきなり敵と遭遇した場合にリヒトとドゥンケルが一手遅れてしまうことになる。
夕暮れの本町の町並みの中、何度も跳躍を繰り返し、4人は早くも沖之島大橋にたどり着く。そこで一旦止まってドゥンケルが魔力感知を試みる。
「付近にはおりませんね」
「では引き続き移動だ」
およそ六度の跳躍で沖之島大橋を越え、一行は新町へ入る。ここから跳躍距離を50メートルに落として、そのまま巧みに人や車の動きを避けながら迅速に、そして静粛に跳躍を続ける。
いくら遮界で姿を隠していると言っても実体がそこにあるだけに、人や車、壁などにぶつかっては元も子もない。場合によっては怪我では済まないし、集中が途切れれば[遮界]も切れるし、突然姿が顕わになることで騒ぎになるわけにはいかない。
新町から中心街に入ると[跳躍]を止め、そこからは徒歩で移動する。空間魔術には[襲歩]という高速移動の術式があるが、これは術者が自身にのみかけることができる術式で、習得しているのはこの中でザラだけだからここでは使えない。
しばらく歩いて一行は駅前のひときわ高いビルの前に到着する。ここからは[転移]だ。物体を別の場所に移動させる空間魔術の術式で、移動させるものは無機物、有機物を問わない。術者自身も、術者が指定する別の人間も移動させることができる。ただし移動できるのは見えている範囲内だけだ。
見上げると、約100メートルほど上空にビルの屋上の転落防止柵が見える。次はあれが目標だ。と思う間もなく次の瞬間には全員が柵に掴まり足をかけていて、全員がその柵を飛び越えてビルの屋上に降り立っていた。
遅い時間でもあり、ビルの屋上には誰も居なかった。このビルは企業のオフィスなどが入居するビジネスビルなのでデパートのような屋上遊具施設はなく、あるのは給水塔や空調の排熱機などだけだ。
ちなみにこのビルは黒森不動産の所有である。
周りを見渡すと中心街の街並みが広がっている。すぐ目の前には駅ビルがあり、駅の周りには背の低いビルがいくつか建ち並ぶ。沖之島市にはこのビルよりも高いビルがないので、視界を遮るものはない。だから中心街の向こうの住宅街や、さらに遠くの山並みまで一望できていた。
背後を仰ぎ見れば沖之島大橋が見え、その向こうに潮見山が夕闇の中に聳えている。潮見山はそう高い山ではなく標高300メートル程度しかないが、それでも沖之大島の大半は潮見山とその裾野で占められていると言ってよく、本町の灯以外にはほとんど山のシルエットしか見えなかった。これが日中であれば黒森の邸ぐらいは見えるのだろうが、今の時間はもう無理だ。
「よし。ここでもう一度試してみろ」
ザラがドゥンケルに魔力感知を指示する。
だが、感知を試みたドゥンケルの顔がすぐに険しくなる。
「…複数の反応がございます。もっとも近いのは…この真下、です」
「何だと!?」
慌ててザラが柵の向こう、ビルの外壁の下の地上を窺う。その地上、行き交う人の流れに逆らうように佇む人影がひとつ。
[遮界]が利いているので見えている筈はないが、それでもその人影は真っ直ぐザラを見上げていた。
「チッ、気付いてやがる」
ザラが舌打ちする。どうやったのか分からないが、その人影は[遮界]を感知しているようだ。
だがまさか飛び降りて戦闘に移るわけにもいかない。まだ人通りの多い時間で一般人を巻き込みかねないし、もし本当に[遮界]を見通して自分たちに気付いているのなら、着地までに確実に先制を食らう事になる。
「降りるぞ!」
「えっ、でも」
「階段だ!行け!」
「行けって、ザラは!?」
「私はこのまま飛び降りる!」
しかしなぜかザラは敢えてその決断をする。言うが早いか、彼女はすでに再び柵を飛び越えていた。
ザラはこの中で唯一空間魔術を習得していて、空間魔術には重力をコントロールする[操重]の術式がある。だから彼女が飛び降りることに心配はなかったが、死霊魔術師にひとりで挑ませるのは得策ではない。いくら彼女が歴戦の魔術師であろうとも、敵の能力も何もまだ解らないのだ。
「ドゥンケル、そのドアの鍵を開けなさい!急いで!」
「はっ!」
施錠されている屋上ドアの鍵をドゥンケルは器用にリヒトの簪でこじ開ける。そのまま紗矢たちは屋上から続く非常階段を駆け降りた。ビルにはエレベーターもあったが、敵に操作される恐れがあるのでここでは使えないし階段の方が安全で確実だ。
魔術で強化しているとはいえ生身の走力など高が知れていて、その駆け降りる時間さえ紗矢にはもどかしかった。早くザラと合流しないと。彼女の身にもしものことがあれば大変なことになる。
だが数分後、ようやく一階まで降りてビルを出た紗矢たちの眼前には、もうザラも死霊魔術師もどこにもいなかった。
「ドゥンケル、感知!」
「あちらです!」
ドゥンケルが指したのはビルの中だ。ということはつまり、ザラはビルの向こう側まで追っていったということに違いない。
「追うわよ!」
「はっ!」
ビルの外周に沿って歩道を駆けて裏へと回る。ビルの裏手にはちょっとした緑地公園が整備されていて、その向こうは飲み屋街の路地裏だ。ドゥンケルが飲み屋街の方を示したため、紗矢たちはそのまま公園を突っ切った。
「すまん、取り逃した」
そこにザラが向こうから歩いて戻ってくる。
どうやら無事だったようだ。
「なかなか逃げ足が早そうね」
「ああ。だが大したことはない。どうせ逃げ足だけだ」
「そう」
紗矢は素っ気ない返事をして、口の中で詠唱を始める。ドゥンケルが紗矢とリヒトを庇うように一歩前へ出る。
「どうした、敵は逃げたと言ったろう」
ザラはやや不満げな様子だ。
「……アンタね、さすがにそれはザラが怒るわ」
呆れたように紗矢が呟く。
「何を言っているんだ紗矢?何かおかしな事でもあったか?」
今度はザラは不思議そうな顔をする。
「真似るんならもう少し上手くやりなさい、って言ってんの!」
言うが早いか紗矢は魔術を発動させる。
右腕を胸の前に引き寄せ拳を握り、その腕をザラに向かって突き出すと同時に手を開く。すると腕を伝うように光の筋が伸び、それは紗矢の右掌の先で光の矢となってザラに向かって一直線に飛んでいく。放射魔術の[投射]の術式だ。
だがその矢は、ザラに当たる寸前で霧散する。
「クク、どうやって見抜いた!」
ザラの顔が仄暗く歪む。
次の瞬間に、ザラの姿はあの魔術師の姿に変わっていた。フードを目深に被ったローブ姿の、あの忌々しい死霊魔術師の姿に。
「口調から何から全部違うっての!」
紗矢は立て続けに光の矢を放つ。死霊魔術師はそれを避けながら紗矢たちの背後に回り込もうとする。だがそこにドゥンケルが立ちはだかる。
彼は地に右掌を付けると、詠唱とともにその掌を腕ごと振り上げる。するとその腕に引っ張られるように土の壁が姿を現した。結晶魔術の[組成]の術式で、公園の土を材料に土壁を作り出したのだ。その土壁はたちまち2メートル余りの高さにまで成長する。
「ハッ。こんなもので⸺」
死霊魔術師が勝ち誇るように言い終える前に、ドゥンケルは詠唱を止め、間髪入れずに土壁を蹴り倒した。
するとほとんど出来上がりかけていた土壁が、バランスを失って死霊魔術師の方になだれ落ちる。彼は詠唱破棄で土壁を崩して攻撃に転用したのだ。
「ヌッ!?」
不意を突かれて死霊魔術師が飛び退く。そこへ今度は雉のような鳥が襲いかかる。その羽が無数の刃物のように鋭利に尖っていた。
これにはさすがの死霊魔術師も連続して躱すことができず、体勢を崩して直撃を避けるので精一杯だった。だが刃の羽の鳥は、死霊魔術師のフードとローブを引き裂いただけで虚しく消えていく。どうやら意志をもって敵を追尾するようなものではなさそうだ。
「もう少し使えるかと思ったのに。“八重刃雉”もイマイチね」
さして残念そうでもなく、紗矢が言う。今の鳥は紗矢が召喚した化生の一種で八重刃雉というものだった。死霊魔術師のフードはその八重刃雉の羽根で半分ほど切り裂かれていて、ビル風に煽られて顔が露わになる。
その下にあった顔は肉のない髑髏であった。
「キサマ、八重刃雉とは味なマネを……!」
「やっぱり雉なら留玉臣命ぐらい喚ばないとダメかしらね」
死霊魔術師のある意味の賞賛を、紗矢は何食わぬ顔で無視した。
フードの下の髑髏さえスルーだった。




