01-06.準備と覚悟(2)
リビングのテーブルの上には沖之島市のマップが広がっていて、地図上のいくつかの地点に印がついている。おそらくザラがリヒトとドゥンケルに大まかな地理を説明していたのだろう。
これからやることは、昼間紗矢に恥をかかせたあの魔術師を探し出すことだ。新当主として、『首を洗って待っていろ』とまで言われて黙っていられるはずもなく、何としても探し出し、然るべき報いを受けさせなければならない。黒森の当主を、シュヴァルツヴァルトの一族を虚仮にしておいて無事でいられるはずがないと内外に広く示す必要があった。でなければ黒森の、ひいてはシュヴァルツヴァルト一族の名声は魔術師の世界で地に落ちてしまうだろう。
とはいえ敵の能力も目的も、どこまで準備しているのかもまだ何も分からない。まずそれを探るためにも、秘密裏に行動を開始する必要があった。つまり駆け引きはすでに始まっているのだ。
「我ら姉弟、総持様の遺命と本家よりの指示でこの地にまかり越しました。何なりとお命じ下さい、全て仰せのままに致します」
「よし、ならば貴様らは紗矢に付け。私は単独で動く」
紗矢が戻ってきたのを見てドゥンケルとリヒトが拝跪し、それを受けてザラがふたりに指示を出す。確かに旗頭であり、しかも戦い慣れていない紗矢を独りで動かす選択肢はない。
「私は、戦闘のお役には立ちません……」
か細い、それでいて鈴を転がすような声でリヒトが言う。確かに彼女は見た目からしても荒事には向きそうにない。
「そもそも貴方達、どんな仕事ができるの?」
「命ぜられれば何でもこなしますが、私は主に戦闘補助と魔力感知を、リヒトは治癒を得意と致します」
「治癒だと?ものの役に立たんな」
治癒と聞いて、ザラが吐き捨てるように言う。
魔術の術式にも[治癒]はあり、基礎魔術のひとつであって〈賢者の学院〉でも教えられている。だがそれは人の持つ自然治癒力を活性化させ回復を早くする程度の効果しかなく、ゲームや漫画の世界のように瞬時に全快するというようなものでも、失った手足まで再生できるというようなものでもない。それを得意とするというのは、他に何の能もないと言っているに等しかった。
「私のこの眼は……『治癒の魔眼』……」
リヒトが髪の下に手を差し込み、左目の眼帯に触れながら呟く。彼女の左目は眼帯の上から包帯で覆われていて、その上から長い前髪で隠されていた。
「何だと!」
「なんですって!?レア特性じゃない!」
魔眼。それは“魔術特性”と呼ばれる、魔術師だけが持つ固有の特徴のひとつだ。魔術特性は自己の能力や感覚の強化であったり、あるいは特異な能力の発現であったりと、魔術の世界で生きていくために有益であることが多い。中でも魔眼はめったに顕れない特性のひとつであり、その身に備えているだけで魔術を行使せずともそれと同等以上の効果を発揮する。
『治癒の魔眼』は自己の治癒力を大幅に高めるだけでなく、その眼で見つめる他者の治癒力をも大幅に強化する力がある。致命傷であっても受傷直後なら蘇生が可能だとさえ言われていて、数ある魔眼の中でも特に重宝されるひとつであった。
「ならばやはり紗矢に付け。その魔眼の出番がないとも限らん」
リヒトが黙ったままザラに向かって拝跪する。彼女はどうやら無口な性格のようだ。
彼女の出番などないと紗矢は言いたかったが、実際にあの時死んでいた可能性の高い身としては余計なことを言うのは憚られた。下手なことを言うとまたザラに何を言われるか分からない。
「最初は、どう動こうかしら」
余計なことを口走る代わりに、紗矢はザラに助言を求める。
小言よりもアドバイスの方がよっぽど有意義だ。
「貴様、魔力感知が出来ると言ったな。適用範囲はどの程度だ」
「は。魔術特性として持っておりますので通常よりは広範囲を感知できますが、それでもこの島全域程度で市街全域までは……」
「構わん。やってみろ」
「畏まりました」
ザラがドゥンケルに指示してまずは魔力感知を試みる。もしもそれで当たりが出れば、例の魔術師は島内に潜んでいるということになる。
ドゥンケルが紗矢だけでなくザラにも恭しいのは、ザラもまたヴァイスヴァルトの当主の姉でドゥンケルにとっての主君筋であるからだ。
「……この地は竜脈の気が強いですね。これでは感知も難しゅうございます。しかし、それでも島内にはそれらしい気配はないかと」
ややあって、渋面を浮かべてドゥンケルが言う。
古来から本土近海に浮かんでいた沖之島には強い地脈が走っていた。地脈とは、地球上の魔力の流れる“道”のことであり、地表の上、地中のごく浅い部分を世界中至る所に張り巡らされているものだ。
太古には人、現代の魔術師たちの遥かな先祖に当たる人間たちは、この地脈から直接魔力を吸い上げていたと言われている。地球上の魔力が枯渇しつつある現代では、世界各地の地脈も衰え消えつつあったが、それでも残っている場所には残っているものだ。
中でも特に魔力が滞留している場所が存在し、そうした強い地脈を特に竜脈と呼んで、魔術師たちはそれが存在する地を本拠地として構えている事が多かった。沖之島に黒森の先祖が本拠を構えたのはそうした理由があったのだ。
「この地は黒森の本拠だからな。世界中探してもこんな竜脈はそうは多くない。まあシュヴァルツヴァルトの森ほどではないが」
「ザラ様の仰せの通りかと」
「で、竜脈の気配以外には何も感じないのだな?」
「はっ。暗黒の魔力は竜脈の魔力とは全く異なるものですので、紛れることはございません」
島内にいないとなれば新町の市街地か、駅前を含む中心街か、もっと離れた郊外か。郊外には市が誘致した工業団地があり、中には企業が撤退した後に建物だけが残されている場所もある。中心街にも閉鎖された廃ビルや空き店舗などがあり、そうしたところに潜んでいる可能性も高いだろう。
「よし、ではまず中心街へ繰り出すとするか」
ザラのその一言で最初の方針は決まった。




