01-01.人影
ようやく本編です。
よろしくお願いします。
沖之島市は日本海に面した風光明媚な地方都市である。人口はおよそ15万、県内のふたつの大都市圏のちょうど中間地点に位置し、近年ベッドタウンとして人気が出つつある。主な産業は農業と漁業、観光業、それに誘致された製造業などの企業数社が支社や工場を構えている。
市街地や中心部は開発が進み、駅前にはビルもいくつか建ち並んで賑わいも見せているが、郊外へ行くと一転して山野や田畑が連なる、いわゆる“地方の田舎都市”の趣である。市は近年観光に力を入れており、古い城下町や宿場町としての歴史的景観や昔ながらの農村風景、神社仏閣などを巡るいくつかのツアーがそれなりに人気を博している。
日本の中でも比較的南方に位置するため夏は海水浴客で賑わうが、日本海沿岸地域なので冬は雪がそれなりに降る。毎年何度か積雪することがあり、そうした時にはチェーンを巻かないと自動車やバイクは道路を走れなくなる。
市域は大きくふたつの地域からなる。戦国時代から城下町として栄えてきた沖之大島という島にある本町地区と、その対岸の本土側の新町地区。元々本土側は付近を通る旧街道沿いに宿場町が点在する他は農村と漁村が主だったが、明治以降の鉄道の開通とともに急速に発展し始めた新しい市街地である。今では島の人口が4万をやや切る程度なのに対し、本土側は10万を少し超えたというところだ。
その増え続ける人口を吸収するために、あるいは農地を確保するために、江戸時代の中期頃から海岸沿いの埋め立てが進み、今では島と本土の間は海というよりも海峡と言った方がしっくりくるような景観になっていた。
その“海峡”を唯一越えるのが、街のシンボルとも言える沖之島大橋である。橋長約600m、上下二車線ずつの長大な斜張橋で、完成時には“東洋一”と謳われたものだった。
橋の下部には電気、通信、上下水道、ガスなどのインフラの配管が走っているが、15年ほど前に付近の海底で大きな地震が発生したことがあり、橋そのものには大きな被害が出なかったものの下部のライフラインが寸断されて島の生活に多大な影響が出たという。それでその復旧時には、県からの補助金も得てライフラインは吊り下げ式の耐震構造に変更された。その代わり、橋の下はある程度大きな船になると通過できなくなってしまった。
とはいえ島の港に入るのは主に漁船ばかりで、向かい合う本土側の港には、隣接する内陸部の市に所在する自動車製造工場から出荷される新車を積む貨物船がやってくる程度なので特に問題はない。
太刀洗絢人は本町地区で生まれ育ち、本町の港と大橋のちょうど中間地点に立地する沖之大島高校に通う高校二年生だ。剣道部に所属し、新二年生ながらレギュラーの一角を占めていた。
剣道部は朝練があるため、絢人は毎朝6時過ぎには起床して6時半には家を出る。今朝も登校の挨拶を母の桜と妹の柚月と交わして家を出たところだ。
絢人の家は沖之大島の北側に聳える潮見山の南山麓に広がる本町の北寄り、海岸線からやや登った高台に位置する。そのため、家を出て目抜き通りに出た絢人の眼下には沖之島の本町の街並みと小学校、中学校、高校、港、市役所、それに海峡とそれを越える沖之島大橋、さらには本土側に広がる新町までが一望できている。まるでパノラマの絵画のようだ。
絢人はこの眺めが好きだった。この眺めの中には幼い頃からの友人たちや思い出、自分の記憶と人生の全てが詰まっていた。自分自身がこの眺めの中に存在すると言ってもいい。
そんな愛おしい、平和で穏やかな眺めを見下ろしながら登校する朝が何よりも好きだった。特に今は春4月、絢人が一番好きな季節である。自然と心も軽くなるというものだ。
ふと絢人は違和感を感じた。見慣れた風景の中に異物が混じっている。歩きながら視線だけ動かしてその正体を探すと、それはすぐに見つかった。
フードを目深に被った人物がふたり、道の反対側の歩道からじっとこちらを見つめている。片方はかなり大柄の長身で、もう片方は小柄だ。
見つめられていると感じるのは、フードに隠された顔が両方ともこちらを向いているからだ。春の早朝の陽気の中、そのふたりはどちらも真っ黒な無地のパーカーを羽織ってそのフードを深く被り、下半身はくるぶしを隠すほどの長いスカートのような布地で覆われていて、それもまた真っ黒だ。
体型もよく分からないし、性別も分からない。手もパーカーのポケットに突っ込んでいて、かろうじて見えるのは陽の当たる口元だけだった。
一面の春の陽気に彩られた景色の中で、その姿だけが真っ黒に浮いていた。それが違和感の正体だったのだ。
誰だろう、何か用事でもあるのだろうか。絢人はそう思ったが、特に何も言っては来ないし自分でも声をかけるのは何となく憚られた。こんな朝早くから本町北の絢人の家の近くまで上がってくる人がいないわけではないが、大抵は夜勤帰りの住人で、今までこんな人は見たことがない。新しく誰か引っ越して来たのだろうか。
と、そのふたりが絢人から目線を外して歩き出し、目抜き通りをそのまま北向きに登っていく。その先にあるのは住宅街の他は、城跡公園とそこから続く潮見山の登山道ぐらいなものだ。だがこんな朝早くから公園がオープンしているとも思えない。
「なんだったんだ、あれ」
ひとり呟いて、何となくその姿を絢人は目で追った。
その視線の先、住宅街の屋根の向こうに大きな邸の尖った屋根が見える。高校の同級生、黒森紗矢の家だ。
「……まさかね」
何となく浮かんだ想像を自ら打ち消して、絢人は再び前を向いて歩き出す。あんまり遅くなっても主将にどやされるだけだ。妹の入学式の日も結局ギリギリになって小言を食らったし、それから10日かそこらでまた遅刻ギリギリになるのは避けたい。
だが、やはり気になってしまって彼はもう一度振り返る。
そこにはもう、誰の姿もなかった。
「……あれ?」
道を真っ直ぐ登っていくだけなら、まだ姿が見えているはずだ。それが消えているということは、そこまでのどこかの家に入ったということだろう。
もしくは、どこか脇道にでも曲がっていったのだろうか。
(なんだ、やっぱり近所の人か)
そう思って安心して、今度こそ絢人は学校へ向かって歩き出す。スマートフォンの時刻表示を確認するともう6時40分を過ぎていた。急がないとまた遅刻ギリギリだ。
ただ不思議と、何となく違和感が残ったままだったのが、小さな見えない棘のようにいつまでも心に不快感を残していた。
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しかしながらこの作品、現在までのところほとんど評価されておらず作者としては凹む限りです。
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