00-16.呼び出し
午前中は特に何事もなく時間が過ぎていった。三時間目は歴史の授業が組まれていて、毎年一学期恒例の《フィアーフォール》に関する話と、それに伴う魔術師たちに関する話、それと世界を分断して今なお暗い影を落とす差別と偏見へに関する特別授業が、歴史担当の甘木先生の授業で行われた。
紗矢たちの国際交流コースは卒業後に世界に羽ばたく人材を育成する学科だ。だから特別授業も、事件そのものよりも差別と偏見を身に付けないようにという念押しに重点が振られており、国際社会では魔術師の正体を隠したまま生活している人々がきっと大勢いるだろう、という前提の元の話だった。
紗矢にとっては周りの生徒以上に聞き飽きた話である。物心ついた頃から幾度となく聞かされ続けていた話であり、日本に戻る際にも父からくどいほど言われたものだ。
魔術師でありながらそれを隠して一般社会で生活すること、その危険性は生徒の中の誰よりも紗矢が熟知していた。そうでなければ魔術師である彼女が一般人に紛れて生活など出来ないのだから当然だ。
過去20年の間に魔術師だと露見した魔術師は、紗矢や総持を含めてひとりもいない。魔術師だと確認する術がないのだからある意味当然ではあったが、謂われなき迫害などで一般社会から“排除”された魔術師はいても“発覚”した魔術師はいないのだ。
むしろ問題なのは、美郷のように『魔術師ではないのに魔術師だと濡れ衣を着せられる一般人』や、今回の理のように『魔術師でもないのに魔術を使ったと思われる一般人』の存在である。特に後者は、最新の話でもあり授業には反映されてはいなかったが、紗矢としては余計な誤解を防ぐためにも反映して欲しいところではあった。
だがまさか自分で疑いを招くような真似をするわけにもいかず、紗矢は黙っているより他にない。
「黒森さんは、魔術師の知り合いとかいないの?」
授業を終えて休み時間に入り、クラスメイトのひとりがそう訊ねてきた。紗矢がドイツからの帰国子女だというのは周知の事実であったから、彼女も何の気なしに聞いてみたのだろう。
特に悪気があるようには見えないが、偏見とは多くの場合、悪気などないものだ。そしてその他愛もない偏見が悪意なく人を苦しめる。
「さあ、分からないわ。もしかしたらいたかも知れないし、いなかったかも知れないわね。でも確かめようもない話だし、どちらにしても害がなければ私は構わないわ。少なくとも魔術師とやらが人に危害を加えたことはないそうだから、気にしなければそれで終わりじゃないかしら?」
澄ました顔で紗矢は答える。実際にそうだったし、そうとしか答えられないのだから当然だった。
「そ、そうよね。ごめんなさい、変なこと聞いて」
「いいのよ。でもそうやって安易な気持ちで確かめようとすることこそが、甘木先生の仰った『差別と偏見』に繋がるのではなくて?」
いいと言いつつ、釘を刺すことも忘れない。この女子生徒はどうやら去年の騒動をすっかり忘れてしまっているようだから、しっかり思い出させてあげないと、もしも再燃するような事があれば面倒なことになる。
「あ…ご、ごめんなさい。本当にそんなつもりじゃなかったの…」
彼女もようやく思い出してくれたようだ。ばつが悪そうに謝ると、そそくさと紗矢の席を離れていった。
しかし問題は小石原理である。彼がもし本当に黒魔術を使ったのなら、そしてそれが明るみになったとすれば、去年の騒動の再燃は避けられない。せっかくあれだけ大騒ぎして結果的に『魔術師なんていない』と確定させたというのに、それを蒸し返されるのだけは何としても避けなければならなかった。
そうでなければ当事者である美郷や紗矢も、庇ってくれた太刀洗絢人も、それに理や緑、柚月たちさえも退学あるいは転校の憂き目に遭う可能性が高くなる。紗矢はロンドンに逃げれば済む話だが、美郷たちはその後も偏見に怯えながら日本で暮らしていかなければならないのだ。それを考えると、絶対に秘密裏に全て処理しなければならなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
歴史の授業の次の四時間目は移動教室だった。紗矢たちのクラスは職員室棟三階の視聴覚教室での授業に備えて、休み時間のうちに各自渡り廊下を越えて移動してゆく。
職員室棟の方から理が歩いてくるのに紗矢は気が付いた。だが他の生徒の手前、踵を返して逃げるわけにもいかず、何とか上手くやり過ごすしかない。
なるべく目立たないように顔を背けていたが、すれ違う瞬間に彼が身を寄せてきた。避ける暇もなく、手と手がぶつかり合う。紗矢は少しよろけてしまったが、理はそのまま何も言わずに立ち去っていった。
「黒森さん大丈夫?
アイツ、ぶつかったのだから一言謝ればいいのに」
「え、ええ、ありがとう。私は気にしてないから大丈夫よ。
少しお手洗いに行くから、先に行っててちょうだい」
隣を歩いていたクラスメイトが気遣ってくれ、紗矢は内心の動揺を隠しながらお礼を返す。彼はすれ違いざまに彼女に何かを握らせてきたのだ。
トイレの個室で開くと、それは短い文面が走り書きで綴られている手紙だった。
“昼休み 武道館裏 ひとりで来い”
どう考えても罠としか思えなかった。だがおそらく彼には紗矢が魔術師だと露見している。逃げるわけにはいかなかった。
紗矢はその場でザラにメールで報告する。すぐに着信がかかってきて、紗矢は個室内に結界を張って声が漏れないようにしてから電話を取った。
『行くつもりじゃないだろうな?』
「行くわ」
『ダメだ、何かあってからでは取り返しがつかん』
「でも、今ここで彼を止めないと!」
『ヤツを止めるよりも自分の身の安全を考えろ!』
ザラの言葉は正論だった。だがどのみち正体がバレているのなら対決するより他にないのも事実だった。
ならば紗矢にできることはひとつだけだ。
「私は、私だけでなく友達もみな救いたいのよ!」
『…いいだろう。この件に限らずあくまでもお前が主で私は従だ。だからお前の意志が固まっているのならもはや何も言うまい。私は従うのみだ。
だが忘れるな。あくまでもお前の身が第一だ』
ややあって、諦めたようにザラが言う。紗矢が言い出したら聞かないことくらい、5年に及ぶ共同生活でザラも思い知っているのだった。
「ありがとう、ザラ。決して無理はしないと約束するわ」
『無論だ。もし無茶してみろ、殴るだけでは済まさんぞ』
「もちろん分かってるわ。ザラの折檻は恐ろしいから、きっと言い付けは守ってみせるから」
電話を切り、結界を解いて、用を足して水を流す。腕時計を確認するともう予鈴が鳴っている。紗矢はトイレを出て視聴覚教室に入ると、決められた席に座って先生が来るのを待つ。
約1時間後には対決だ。
本鈴とともに先生が入室してきて、日直が挨拶の号令をかける。
どうやって彼を止めるか、もうその戦略を彼女は考え始めていた。
サブタイトルを「対決」から「呼び出し」に変更しました。
(22/11/21)




