00-09.調査
シュヴァルツヴァルト城との通信は切ったものの、ザラが帰ってくる予定の時間まではまだ少しある。紗矢は工房の作業台に設えられた椅子に座り、父の書斎から持ってきた魔術書の一冊を手元に引き寄せページを開いて読み始めた。暗黒の魔力に関する過去の主要な魔術論文をまとめた一冊である。
だが、目次と小見出しを見つつめぼしい箇所を読んでみたものの、手掛かりになるような知見は得られなかった。一般的な解説と検証に終始していて、すでに紗矢の知識にあるような事しか書かれていなかった。それもそのはずで、紗矢は基本的に書斎の魔術書はほぼ読了済みなのだ。
紗矢は次の一冊に手を出そうとして、止めてしまった。持ってきた書はいずれも記憶を頼りに参考になりそうなものを選んできたわけだが、どうも糸口が掴めるようには思えなかった。
結局のところ、暗黒の魔力そのものの何たるかは紗矢をはじめ魔術師たちにはある程度研究されていて知見もそれなりに共有されているのだから、そこから糸口を見つけようと考えたのがそもそも間違いだったのだと紗矢は思い至る。
そうではなくて、今知るべきなのは小石原理という人物についてだ。学校一の問題児とされ、誰もが深く関わらないようにしているせいで彼のことをよく知る人物は少ないし、だから彼が何を考えてどう行動しているか、判っている人はほとんどいないのだ。
紗矢自身も去年告白を断って以降何かと突っかかられていて、それで彼と鉢合わせしないようにある程度行動を把握してなるべく避けるようにしてはいたが、彼が内心で何を思っているかなど深く考えたこともない。だから今やるべきは彼自身を調べることだと、そう紗矢は考えた。
工房を出て魔術書を書斎に戻し、それからリビングのソファにひとり座り込む。少し逡巡して、スマートフォンを取り出すと美郷にメールを入れた。
美郷なら彼の幼なじみのひとりと言えるし、同級生たちに比べてそこまで彼のことを嫌っているようにも見えないから、他の人よりはある程度分かっているかも知れない。もちろん、彼を一番解っているのは太刀洗絢人なのだろうけれど、紗矢は彼の直接の連絡先を知らなかったし、直接連絡するのは何となく気が引けた。
メールを打ってから程なくして、スマートフォンに着信がくる。
美郷からだ。
『なに~?紗矢から連絡してくるとか珍しいね?』
「あ、美郷?ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
『ん、絢人のこと?』
「ち、違うわよ!
…その、小石原くんのことなんだけど」
『…理?また珍しいね、紗矢がアイツを気にするなんて』
そして紗矢は内容を選びつつも事情を話す。
放課後の校内で遠目からひどく睨まれたこと、その割に何もされずに無視されたように立ち去られたこと、どうも今までと何か様子がおかしいと感じたこと。彼に何か心境の変化でもあったのではないかと思って、今後どう対応していけばいいか少し迷っていることなど、魔力云々の話を隠しつつ探りを入れてみる。
『ん~、アタシは特に変わったとは思わないけどなあ。でも確かにちょっとヘンだね、普段のアイツならイヤミのひとつくらい言いそうなもんだけど。まあアイツは分かりにくいからさ、もしかしたら誰も知らないところで何かやってるかもしんないけどね』
「そう、美郷にも分からないのなら仕方ないわね」
『絢人にも話聞いたら?』
「それは美郷にお願いしていいかしら?」
『なんでよ~自分で聞けばいいじゃん』
「だって私は、彼とはそこまで親しくないもの。今朝だって…」
『だからそれは違うって…まあいいけどさ。
じゃあとりあえず、アタシもアイツのことちょっと注意して見とくわ』
「ええ、そうしてもらえれば助かるわ。
他に、彼のことをよく知ってそうな人はいないかしら?」
『ん~とね、理の妹が新入生にいるよ。緑って名前の子。あと絢人の妹も。そのふたりは親友同士でよくつるんでるから、他の人よりかはよく知ってるんじゃないかな~?
あ、あと生徒会長が理の従兄だったはず』
「え、そうなの?」
生徒会長、三年生の宝珠山遙は堅物で有名だった。生真面目を絵に描いたような人物で、煙たがられはするけれども根が善良だから教師からも生徒からもそれなりに人望があり、とても小石原理の親族とは思えなかった。
生徒会長なら比較的よく話すから、彼のことを聞き出せるかも知れない。
ただ、紗矢はあまり気乗りはしなかった。彼と話すとすぐ次期生徒会長の話になってしまうのだ。彼は自分の後任に紗矢を推していて、何度も断ってはいるのだがどうにも諦めてくれそうになかった。
「会長…ちょっと苦手なのよね…」
『あ~分かる。紗矢、次期会長に推されてんでしょ?』
「そうなのよ。私は出来ないってずっと言ってるのだけど、分かって下さらないのよね」
『でもまあ、それ一般的な意見だと思うけどね?アタシも今のウチらで誰を次の生徒会長に推すかって言われたら紗矢が頭に浮かぶもん。アンタ良くも悪くも目立ってるからさ』
「そ、そんなに目立ってるかしら?
…あまり、目立ちたくはないのだけれど…」
『ムリムリ。そんな派手な見た目でエピソードてんこ盛りで、目立たない方が有り得ないって♪』
「は、派手って…!」
紗矢としてはこれでも普通にしているつもりである。だが容姿、言動、才能、成績、いずれをとっても学校内で異彩を放っているのは事実であった。加えて学校側からの評価も高く、一部の教師たちからも次期生徒会長に推す声が上がっていた。
一学期末には生徒会長選挙が行われる。それまでに何とか立候補回避の道筋をつけたかったが、どうも現状では難しそうだ。
「私…そんなに派手かしら…」
『別に化粧がケバいとかそーゆー話じゃないよ。アヒルの中に白鳥が混じってたら目立つでしょ?つまりそういう事よ♪』
みにくいアヒルの子に例えられるのは悪い気分ではなかったが、魔術師である事を隠している紗矢が目立つのはやはりどう考えてもデメリットしかない。最悪、ロンドンへ逃げることも視野に入れるべきかも知れなかった。
「ま、まあ、とりあえずそれはいいわ。
じゃあ小石原くんをよく知っていそうなのは、彼の妹と太刀洗くんの妹、それに生徒会長の3人ということね?」
『あっ、そうそう、その話だった。
そうね、あと絢人』
「それはもういいから!
どうもありがとう、じゃあまた明日ね!」
早口でお礼を言い、返事も待たずに紗矢は電話を切ってしまう。それから腫れ物でも触ったかのようにリビングテーブルにスマートフォンを投げ出してしまった。
全くもう、なんだって美郷は私と太刀洗くんをそうもくっつけたがるのかしら。もしも本当にそうなってしまえば、きっと彼女が一番ショックを受けるはずなのに。
何となく浮かない顔で自分たちを祝福してくれる美郷の姿を想像してしまい、紗矢は面白くない。紗矢にとって今の人間関係でもっとも大事なのは美郷であり、彼女を悲しませるようなことは絶対にしたくないのだった。
外でバイクの音が近付いてくるのが聞こえてきて、振り子時計を確認すると6時の5分前だった。今からザラが夕食を準備するとして、今夜は6時半くらいになるかしらね、と紗矢は思った。




