00-08.アルフレート(2)
『で、どうしたんだい?
ようやく求婚を受けてくれる気になったのかな?』
「悪いけど、あなたの嫁になるくらいなら死んだ方がマシだわ」
ニコニコと切り出したアルフレートの話題を一刀両断に斬って捨てる紗矢。彼は紗矢の15歳の誕生日から毎年求婚してきていて、そのたびに紗矢にこうしてにべもなく両断されているが、全く懲りる様子はない。
シュヴァルツヴァルト一族は伝統的に15歳をもって成人とし、その歳から結婚が成立する。つまり紗矢はもう成人していて結婚が可能なのだ。たとえ結婚したところでそれぞれの国の法的結婚年齢までは事実婚の状態になるわけだが、魔術師の社会は一般の常識や法規にはとらわれないのだ。
『またまた。そんなに恥ずかしがることないんだよ?昔は口癖のように言ってたじゃないか、“おおきくなったらアルのおよめさんになる”って』
「そんな4歳の子供のたわごとをいつまで信じてるのよ!」
幼い頃はこの10歳歳上の従兄のことが大好きで、いつも後ろをついて回っていたのを紗矢もよく憶えていた。だが早くも6歳ぐらいの頃にはすでに彼と自分との絶望的な能力差に気付いていて、10歳で両親とともに日本に戻る前後にはもう、とても彼にはついて行けないと思い知らされていたのだった。
確かに彼ほどの天才魔術師に能力的に見合う配偶者は、一族はもちろん他の魔術貴族を見渡してもそうそう見つからないだろう。そして一族の中では年齢的にも能力的にも候補になりうるのはおそらく自分ぐらいなものだ、というのも紗矢は分かっていたし、何よりも彼が自分を気に入ってくれている。
だが彼の妻になったところでシュヴァルツヴァルト城の奥深くで飼い殺しにされるだけなのだ。そんなのは御免だったし、飼い殺すのならば魔術師としては劣っていても彼の才能と素質を確実に次世代に引き継げる能力を持った女性を見つけ出すべきだろう。
それに何より、自分が彼の妻になってしまっては黒森の跡継ぎが居なくなる。そうなると父の総持が今から再婚して子作りに励むか、黒森の分家から誰かを養子に取るかしかなくなる。
7年前に亡くなった伯父の息子、つまり紗矢の従兄が健在であれば良かったのだが、彼は次期当主に選ばれなかったのを恨んでいて先年から行方をくらましたままだ。もっとも彼が選ばれなかったのは能力が足らないと判断されたからなので、彼がいたとしても状況は変わらないかも知れないが。
「今日の通信はね、ちょっとした報告があるの」
『…聞こうか』
紗矢の真面目な面持ちに、アルフレートも少しだけ襟を正す。
「今日、私の高校で“暗黒の魔力”を感知したわ」
『!』
本来地球をあまねく覆っているはずの魔力は、何も魔術師だけに与えられた力ではない。森羅万象の根源要素であり、善悪の別なくいかなるものでも霊体として成立させうるのが魔力であるため、本来はお話の中にしか存在しえないはずの悪魔や吸血魔といった闇の眷族であってさえ霊体として成立させてしまうのだ。
そうした闇の眷族として成立した魔力、つまり悪しき霊体を構成する魔力を、魔術師たちは“暗黒の魔力”と呼んで忌み嫌っていた。
それらは主に地下世界から湧き出るもので、有史以前から魔術師にとっては不倶戴天の敵と呼ぶべきものであり、〈魔術協会〉によって見つけ次第最優先の討伐対象とされるのが常だった。そうでなければ無辜の人々が犠牲になるばかりでなく、いずれ地上が暗黒の魔力に覆い尽くされてしまう。
「今日感知したばかりで詳細はまだ何も解らない。ザラとも相談して、まずは情報収集しつつ様子を見ることにしたから、直ちに動くつもりもないわ。でも、発見した以上は報告の義務があると思ったの」
『ご苦労だったね。それで、増援はいるかい?』
アルフレートがいつの間にか当主の顔になっていた。彼は召喚魔術系統の現当主であり、若くして〈協会〉でも主導的な立場にある人物でもある。暗黒の魔術を感知したと聞いた以上、“紗矢の従兄”ではなく“協会の幹部魔術師”として真剣に対応せねばならないのだ。
普段からいつもこうならもっとカッコいいのにな、と紗矢はつい考えてしまう。本当は彼は、紗矢の憧れた彼はもっとずっと格好良いはずなのだ。
「ひとまずは要らないわ。私が勝手に増援なんて呼んだらきっとザラにぶん殴られるもの」
『そうだね。ザラのプライドが許さないかも知れないな』
「だけど、お父様には一報を入れておいて欲しいの」
そう言った瞬間、アルフレートの顔にごくわずかな陰りがよぎったのを紗矢は見逃さなかった。
何だろう、何故いま私は不安を感じたのかしら?
彼の顔に見えたものは一体何を意味しているの?
『…分かった。だけどソージはすぐにそちらには戻せない。申し訳ないがしばらくはサーヤとザラだけで対処してもらう事になる。…できるね?』
「お父様にお戻り頂く必要はないわ。彼は今、本家の戦力だし、ただでさえザラを独り占めしている現状でこれ以上こちらに戦力を割くべきではないはずよ。
…大丈夫、ザラがいてくれるからきっと心配いらないわ。
でも黒森当主に話が通っていないのでは名代の務めを果たしたとは言えないから、伝えておいてもらえると助かるわ。当主から何か指示があるなら折り返して貰えれば有り難いわね」
あくまでも黒森の当主は黒森総持であり、紗矢はその名代、代理に過ぎない。だから本来は直ちに総持に一報を入れるべきなのだ。だが父が今どこで何の指令を受けてどういう活動をしているのか、紗矢は知らされていない。
当然、直接の連絡も禁じられていて、もう半年近くも紗矢は父の声を聞いていなかった。だが当主からの指示という名目があれば、久しぶりに連絡がもらえるかも知れない。そういう期待が少しだけ、紗矢の心のうちにある。
『了解した。話はそれだけかい?』
「とりあえず現状はね。まだこちらとしても何も掴んではいないから、また何か判明したら通信を入れるわ。
それではこれで、通信を終えます」
『ところで婚約の日時だけど⸺』
「通信を終えます!」
有無を言わさず、強引に、紗矢は霊力を切って術を解いた。
全くもう、なんで最後必ずそれなのよ!お願いだから、最後までカッコいいままでいてよ!




