第393部分
「いえ、お待たせしてしまい申し訳ありません」
その主の予想外な発言に、或いは自身が何を言う前に声を掛けられた事自体がそうだったのか、台所から現れたばかりのタチバナは意外そうに眼を見開くが、持ち前の頭脳により直ぐにその言わんとする事は理解したのか、その「真打」を未だ配膳出来ていない事を謝罪しながら持って来た食器等を手際良く卓上に置いていく。
なお、一見すると鮮やか、かつ何気なく行われた様に見えるその動作も、本来であれば実際にそうする事も可能であった筈ではあるものの、先述の理由により実際には結構な緊張感と共に行われていた為、実一先ず今回の配膳を終えたタチバナは内心では結構な安堵を覚えていたのだが、現在の状況と当人の性格的にも当然ではあるものの、そちらに関しては表から、少なくともアイシスの目からは特に読み取れる要素は無かった。
一方、先の発言からも分かる通りに「真打」の登場を心待ちにしているとはいえ、眼前に食物が運ばれて来ればそちらが気になるのが人の性というものであり、かつ現状の空腹具合を考えれば尚更でもある為、次に運ぶ物を取りに台所へと戻るタチバナの背よりも置き土産の方に興味を引かれたアイシスは、他の思考の全てを一時的に措いてその観察を始めていた。
とはいえ、現時点で運ばれて来た料理は漬物のみであった為、そんなに興味を持って観察をする程の物なのかと言えば、大抵の者にとってはそうではない事は確かだったが、一見見慣れた物であっても実は異世界特有の物である、という可能性が殆ど常に存在する事もあり、そのただの漬物もアイシスにとっては十分に興味を注ぐ対象として相応しいものなのであった。
尤も、それらは全て事実ではあり、当人の行動に一定の影響を与えていないとも言わないものの、実際には今回に限ってはその興味の理由の大半は空腹の影響というか、純粋な食欲に基づいたものであったのだが、何れにせよその「ただの漬物」もアイシスに掛かれば立派な観察対象であるらしく、暫しの間、具体的には次の料理、つまり当人の言う所の「真打」を持ったタチバナがそれを運ぶのを意図的に少し遅らせる程度には、アイシスの視線はそこに釘付けになったままだった。
いや、たとえ空腹の影響で食物への興味が増大しているにせよ、異世界特有の物への興味という当人に特有の要素が影響しているにせよ、どこまで行っても「ただの漬物」に対して何をそんなに観察するものがあるのかという話なのだが、その時間に於いてアイシスが最も長くしていた思考の内容は「これは話にもあった糠漬けなのか、それともまた別の方法で漬けられたものなのか」という、少なくとも当人の知識ではいつまで考えても決して答えの出ない問題だった為、最早観察のし甲斐の有無は殆ど関係無かった。
なお、タチバナとアイシスに関しては概ねその様な、何れも当人の性格に合った反応を見せていたという事で良いとしても、「お手並み拝見といこう」などと言っていた割にはタチバナの配膳に対して何を口にするでもなかったシラユキは何をしているのかという話だが、過去の発言とは裏腹にその興味はタチバナの配膳の結果よりも、懸命に漬物の様子を観察するアイシスの方へと向けられている様だった。
ともなれば、その過去の発言が自身の無用の緊張の元になったという事もあり、次の料理を持ったまま台所で待機しているタチバナからすればその状況は面白くはない……とまでは言わずとも、まあ多少なり言いたい事が無い訳でもなかったが、そもそもシラユキの思考能力ならば自身の配膳の評価などは疾うに済ませただけであるという可能性は十分にある、という事を措いても、自身も同様の興味を抱いていたタチバナはそれも仕方が無いとそれを飲み込むのであった。
「お待たせ致しました」
しかし、いくら当人の性格や特別な性質が影響していると言っても、その観察対象が単なる漬物である事は変わらない為、そう長くはない時を経てアイシスのそれへの興味が薄れると、つまりその視線が漬物から外れて台所の方へと向けられると、その時を待っていた事を悟られない様にと自然に振る舞う様に努めながらも、今度は先手を取られない様にと既にそう口にしながらタチバナが台所から現れる。
「あ、それって炒飯よね!? さっきの音は炒飯を炒めてた音だったのね」
と、その瞬間を待っていたのは此方も同じという事なのか、その姿が見えた瞬間、より厳密にはその手に持っていた皿の中身が見えた瞬間、アイシスは目を輝かせながらその料理の名を、より厳密には当人の認識による名を叫ぶと、その質問への答えを待つ事も無く勝手に納得してそう続けるのであった。




