第392部分
「……お主、何か失礼な事を考えておらぬか?」
しかし、そのシラユキらしい言葉に安心した、という所で終わっていれば平和的な結末を迎えられていたのかもしれないが、そこからの連想により逆にシラユキらしくない、より厳密には当人にはそう思える「お洒落」という言葉が連呼されていた事を思い出したアイシスがまた小さな笑い声を零していると、暫しの間はそれを黙認していたシラユキも遂にそれを咎める様にそう声を掛ける。
「いえ!? べ、別にそんな事は――あ、それよりもお昼が出来たみたいですよ!?」
その指摘に不意を突かれた形となった上、見事に図星を指されたアイシスは面白い程に慌ててそれを否定するが、その最中に助け舟が入る様に台所から聞こえていた音が止むと、話題をそちらに変える事で追及を逃れる事を試みる。
尤も、目下の目的としてはそれが、つまりシラユキの指摘を誤魔化す事が最も大きなものであった事は事実ではあるのだが、暫くは大人しくしていたものの既に鳴り出してはいた腹具合の事を考えても、今となっては実際にそちらの方が当人にとっても興味を引く事である事もまた確かだった。
「うむ。後はあ奴の配膳の腕が見所じゃな」
そして、それはシラユキにとっても同様であったのか、或いは単にアイシスに合わせただけなのかは不明なものの、何れにせよアイシスにとっては幸運な事にそれを聞いたシラユキはその話題の変化に乗って頷くと、先の自身の指摘については特に触れずにそう、少なくともアイシスにとっては意外な視点で自身の興味の対象を口にする。
いや、気にすべきは料理の内容の方だろう。その師の意外な発言に対してその様な事を咄嗟に思ったものの、流石にそのまま口にする事は憚られたという経緯もあり、アイシスには直ぐに返答をする事が出来なかったが、当人からすれば恐らくはそれも織り込み済みであるというか、それは形式上こそ眼前に居るアイシスに向けた言葉ではあるものの、実際には調理の音が止んだ事でそれを聞いているであろうタチバナに向けたものであると思われた。
「……まあ、多分問題は無いと思いますよ? タチバナがそういう事で失敗する所とか想像が出来ませんし」
とはいえ、文法上でも現実の状況でもそれは自身に向けられた言葉である為、やや遅れながらもアイシスはそれに対して自らの見解を答えるが、それは本心からの言葉ではあったものの、実際にはそんな事よりも昼食の内容の方に興味が向いていた事もあり、その口調は何処かぞんざいな感じにもなっていた。
「ふむ。ではお手並み拝見と参ろうかのう」
しかし、その気持ちは理解出来るという事なのか、シラユキはやはりその辺りには特に突っ込まずにそう相槌を打つと、やはり料理の事よりも実際にその言葉通りであるのかを見る事の方に興味があるのか、そう言って視線を台所の方へと向ける。
一方、概ねの調理工程を終え、後は配膳を残すのみとなったタチバナの耳には実際に当然ながらそれらの言葉も届いていたのだが、無論当人も本来はその実行に不安などは持っていなかったものの、何故かシラユキがそこに目を光らせている事実と、本来ならば喜ぶべきものである筈の主からの信頼の言葉により、妙な緊張感を持ったままそれに挑む羽目になっていた。
とはいえ、普段通りにやれば何も問題は無い。とは当人も思っており、少なくともシラユキの評価基準も一般的なそれと同様であるならば、と仮定すれば実際にその通りでもあったのだが、その仮定が真であるかは不明である上、今回配膳する物は何れも自身にとっては初めての料理であるという事もあり、流石のタチバナでも一定の緊張と不安を感じている事は否めなかった。
尤も、その他の条件を全て揃えたとしても以前のタチバナであれば、或いはこれから配膳する相手が別の人物であれば、タチバナがそれらの感情を抱く事などは無かった可能性が高かったのだが、実際には既にそういった感情を抱いてしまった以上、当人に出来るのはそれが実際の行動には影響しない様に注意する事だけだった。
「おっと、真打は最後に登場という訳ね」
とはいえ、そうして自身の何気ない言葉がタチバナの仕事にまで影響を与えかねない事になっていた事などは知る由も無い為、食卓でどの様な料理が出て来るのかという期待が9割と、シラユキの影響でその配膳方法についての興味が1割といった心持ちでその時を待っていたアイシスは、やがて台所からタチバナが現れるなり鋭い視線を送るが、その両手にあったのは自身以外の分の湯呑と漬物の類のみである事を確認すると、妙に感心した風にそう言い放つのであった。




