第385部分
「ほう、仮にも冒険者とは思えない台詞じゃな。未知との遭遇や危険を冒して目標を達成する事に喜びを見出すのが冒険者ではないのか? ……と言いたい所じゃが、そんなものは無論人それぞれの考え方であるからの。実際、あ奴は怒らせると至極面倒な奴であるし、少なくとも今回ばかりはお主の考えの方が正しいかもしれぬな」
そのアイシスの安定志向の言葉を聞いた瞬間、ここぞとばかりに例の笑みを浮かべたシラユキはそれを弟子の職業と、より厳密には未だそれを目指す段階とも言えなくもないがその辺りは省いて結び付けそう指摘するが、弟子が真に受けない様にという事なのか、或いは自身でもその論に無理があると自覚しているのか即座に自ら撤回すると、フィーの事を少なくともこの場では最もよく知る者としてアイシスの選択をそう評価する。
なお、その遣り取りの内容は兎も角、直前のアイシスが何気なく発した「トラブル」という単語は、少なくともタチバナにとっては馴染み深いものではなかったのだが、それを聞いたシラユキが淀みなく言葉を返していた事もあり、これまでの同様の単語と同じく単に自身の無知であるとしてその意味する所を推測する方に意識を集中していた。
「あ、そういう人……人? なんですね。ちょっと怖……くはありますけど、怒らせたりしなければ大丈夫ですよね?」
一方、そんな事は、則ち自身が失言をしたかもしれないという事などは知る由も無いアイシスは、仮にも今回は師に自身の考えを正しいと評価されたにもかかわらず、先の指摘の時点ではしっかりと一定の不安を感じていた事の影響もあってか、シラユキの言葉の中の一部分、つまり未だ見ぬフィーの性格の方にばかり注目してそう、やや言葉を詰まらせながら答える。
とはいえ、当人としては兎も角、それは傍から見れば下らない心配……とまでは言わずとも、実際に会わない限りはどうなるかなど誰にも分からないのだから、少し気にし過ぎている事は確かではあったが、その生涯でも両手で数えられる程度の人間としか関わって来なかった少女からすれば、新たな人間関係を、いや厳密には人間ではないのだが築く事に不安を覚えるのは無理もない事だった。
「うむ。あ奴は確かに怒らせたら面倒な奴ではあるが、滅多な事では怒ったりはせぬ……故、そうむやみに恐れる必要も無いじゃろう。少なくとも、お主であれば普段通りに振る舞っておけば問題は無い……筈じゃ」
そして、現状ではその過去を知る唯一の者としてその弟子の不安を和らげようと考えたのか、その不安げな質問を受けたシラユキは力強く頷くと、自身の友人は怒らせたら面倒な事は確かではあるものの、別に怒り易いという訳ではない為、普段通りに振る舞えば良いと助言を送る……が、何か思う所があったのか、その所々には当人にしては珍しい妙な間が空いていた。
「……それなら、余計な事を考えるのはやめて、その時を楽しみにして置く事にします」
とはいえ、その間の真の意味は当人以外には知る由も無かったが、その当人にしては珍しい間には若干の不安を覚え此方もそれ故の間を空けながらも、シラユキが明言した以上はその通りな筈であると考えたアイシスは、これ以上はこの件について気にしない旨を自身にも言い聞かせる様に宣言する。
「うむ、それが良いじゃろう。結局の所、実際に会わぬ限りはどうなるかなど誰にも分からぬものじゃからな」
そして、その弟子の決断にはシラユキも例によって満足げに頷き、続けてそう千年を生きても変わらぬ人間関係の真理を述べた事で一連のフィーに関する話は一段落と相成った訳であったが、その事を傍観者として人知れず喜ばしくは思いながらも、それだけには終われずにいる者も居た。
というのも、先の出来事を、つまりフィーによるシラユキへの襲撃自体を知らぬアイシスにとっては、その直前のシラユキの発言の際の妙な間の意味は知る由も無いものではあったのだが、その出来事も含めフィーの事を主よりは良く知るタチバナからすればその意味も何となくではあるが察する事は出来ていた為、その間への妙な納得感も相まって溢れ出る可笑しさを堪える事に相応の集中力を要していたのであった。
しかし、そうして謎の努力をする羽目になっていたとはいえ、アイシス達の会話が一段落した現在の状況はタチバナからしても、そして場の全員にとっても一先ずの平和な一時となった筈であったが、それにより全員が、より厳密には少なくともアイシスとタチバナの主従が揃って安堵の息を吐いた時だった。
「……しかし、その時を迎えるにしても今後の修行をするにしても、何れにせよ腹ごしらえが必要になる訳じゃが、中々その時が訪れる気配が無いのう」
ふと口を開いたシラユキがそうぽつりと呟くとただそれだけで場の雰囲気は一変し、その一時の平和は音を立てて崩れ去ってしまうのであった。




