第374部分
とはいえ、それが呆れてしまう程に子供染みた反抗である事は確かではあるものの、存外にもその目的を果たす為には、つまりシラユキからの精神的な追撃を防ぐ為には有効な手段だったのか、その溜め息の後にも例によってシラユキがその態度を咎める様な事は無かった事もあり、結果としてその場には久し振りの纏まった沈黙が訪れる。
しかし、それが一応は狙い通りの結果であるアイシスは兎も角、その状況を例によって聴覚のみで探っていた、もとい知る事になっていたタチバナからすれば、流石に実際にそうであると考えている訳ではないものの、そのアイシスとシラユキの間が一触即発になっているとも取れる状況は決して心穏やかで居られる様なものではなかったが、その心配、及びその原因である沈黙もそう長い事は続かなかった。
というのも、流石に現在の状況的に会話を続ける事もアイシスに歌わせる事も難しいと考えたのか、或いはそのタチバナの心配も含めて悪化した場の雰囲気を和ませようという魂胆か、それとも元より最終的にはそうするつもりだったのか、はたまたそれらの複合的な理由による行動かは当人以外にとっては不明だが、その沈黙の原因となったシラユキはふと咳払いを一つしたかと思うと、誰にとっても意外な事に急に歌を歌い出したのである。
そのあまりにも予想外な行動に、それを最も間近で受け取る事になったアイシスは勿論、それを少し離れた場所で聞いた、則ち一段階のクッションを挟んで受け取ったタチバナでさえ、少なくとも一瞬はその作業の手を止めてしまう程には強い驚きを覚えていたが、その間にもその澄んだ歌声が続いていくと、その驚きの理由も少しずつ変化していった。
というのも、先ずは先述の通りその意外さに強く驚いた為に両者共に直ぐには気付かなかったものの、
そうしてシラユキが歌い出したのは先程アイシスが歌っていた楽曲に相違なかった為、タチバナからしても自身が一切知らなかったそれを知る、どころか歌ってみせる博識には瞠目せざるを得なかったのだが、その歌が現在のそれから見れば異世界のものであると知るアイシスからすれば、その驚きがより著しいものである事は当然の事だった。
尤も、冷静に考えればそれは単にシラユキの能力によるものである、つまり一度聞いただけの楽曲を細部まで記憶して再現しているだけであるのだが、その「だけ」の行為でも一般的な人間のそれと比較すれば十分に驚くに値する上に、そのこれまでにも聞いた事がない程の歌声に、いや厳密に言えば割と最近に同等のものを聞いた筈なのだがそれも思い出せない程度にはその歌唱の技術もまた同様であった為に、未だ誰もその様な冷静な思考には辿り着けてはいなかった。
だが、驚愕に値する事はそれだけに留まらず、彼我の距離を含む状況や性格及び能力によりアイシスよりも先に冷静さを取り戻した……とまでは言えないにせよ、一定の思考の余裕が戻ったタチバナにも更なる驚きを与えたのは、シラユキが歌う楽曲が先のアイシスのそれと同一である事は確かであるが、別に元のそれを正確に記憶していた訳ではないものの、その歌詞に関しては明確に異なっていた事であった。
そして、それらの驚きは当然ながらそれを眼前で聞く事になった、かつその楽曲についてより深く知るアイシスの方が大きかったのだが、その驚きの大きさ故にそれに気が付くのはタチバナよりも遅くなったものの、やがてその歌詞の違いに気が付いて半ば無意識にその内容を良く聞いてみると、胸中を占めていた驚きは一気に別の感情へと変わっていった。
というのも、本来ならば初めて聞いた筈の歌でその様な即興での替え歌をするなどという事も、また十分過ぎる程に驚きに値する事である筈なのだが、その即興の歌詞の内容がひたすらに自身と思しき弟子やその使用人、及び現時点での自身は知らぬ相手ではあるものの、当人の知り合いであろう妖精への愚痴の様なものとなっていた為に、その楽曲の本来の真面目な歌詞や当人の大賢者という立場とのギャップもあり、その内容を聞けば聞く程に自然とその顔には笑みがこぼれてしまっていたのである。
そして、その妖精の正体を既に知るタチバナからすれば、当人の、もとい当妖精のその歌への反応を自然と想像してしまった事もありその可笑しさは更に増すというものである為、無論その歌詞の中の自身に当てた部分に関しては一定の反論を試みたいという気持ちを持ちつつも、例によって吹き出してしまう事を懸命に堪えていた。
ともあれ、元々の楽曲からして特に長いものではない上に、かつてアイシスもそうしていたのだからそれを再現したシラユキも当然ながら同様にイントロや間奏は省いた為、そう長く掛からずにシラユキがその替え歌を歌い終えると、礼儀として暫しの余韻の時間を設けたのか、或いは単に呆けていただけなのかは不明だが、その一曲を聞き終えたアイシスは暫しの沈黙の後、拍手を以てその見事な歌声を称えるのであった。




