第361部分
「ああ良かった。それなら安心です」
しかし、そうして本来ならば当然理解しておくべきであった、より厳密には少なくともシラユキはそう考えていたからこそ省いたであろう情報を補足として受け取った、つまり自らの師にわざわざ余計な説明をさせた形になった訳であったが、その説明を聞いたアイシスは一切悪びれもせず、例によってそれが一目で分かる程に心からの安堵が込められた声でそう答える。
とはいえ、無論それはアイシスが相手の立場を考えない自己中心的な人間であるという訳ではなく、いや悪く言えばそうとも言えなくもないのだが、単純に少なくとも平常時に於いてはというか、意識していない限りは相手の発言について深く考えるよりも早く感情が素直に反応を示してしまう性質である為に、今回も何よりも先に自らの不安が消え去った事への安堵が態度にも表れてしまったのであった。
「いや、安心するのは未だ早い。実際に生命が掛かる様な状況にはならぬとは言ったが、相応の緊張感が無ければ訓練にはならぬからのう」
そして、恐らくはそのアイシスの性質を既に理解しているからこそ、これまでの無礼とも言える態度にも特に言及して来なかったと思われるシラユキではあったが、だからと言って毎度それを無条件で許すのも面白くはないと思ったのか、そうして心からの安堵を見せたアイシスの返答に対し殆ど間髪を入れずにそう答えると、例の、人の悪そうな方のにやにやとした笑みを浮かべながらそう続ける。
「え!? いや、まあそうかもしれないですけど、一体どんな事をさせる気ですか?」
そのシラユキの予想外の言葉に、直前までの安堵からの落差もあってかアイシスは先程よりも更に強い驚きをその声で表現するが、何だかんだ言っても頭の回転自体は悪くはないという事か直ぐにその言い分には納得を示すと、再度不安に満ちた口調でそう訊き返す。
が、先程とは明らかに異なっている点もあり、既に生命が掛かる様な状況にはならないと明言されている事と、そもそも良く考えればシラユキが自身をそんなに危険な目に遭わせる筈も無いという事に気付いたアイシスの声には不安だけではなく、同量程度の不満も込められていた。
いや、だから仮にも師に対してその態度はどうなのか、という事は措いておくとしても、そこからどう飛躍したら「不満」に繋がるのかという話なのだが、先述の通りに危険な目には遭わないと思われるにもかかわらず「相応の緊張感」があるという事は、危険ではないものの碌でもない目に遭う可能性はあるという事である為、その一例として漠然と水浸しにされる様な状況を想像したアイシスの声には自然とその様な感情も含まれてしまったのであった。
「先に教えてしもうたら詰まらぬじゃろうが。まあ、精々その時を楽しみして置くのじゃな。尤も、お主が無事に訓練に成功してしまえば、残念ながらそれを楽しむ機会も失われてしまう訳じゃがの」
しかし、とはいえその声にはそれと同程度には不安が込められていた事は確かであり、かつそれを察する事が出来ぬ様なシラユキではない筈なのだが、その返答を受けたシラユキは此方も呆れた様子を隠そうともせずにそう答えると、再度にやにやと笑いながらそう続ける。
「……そうですか。それなら精々楽しみにさせて頂きます」
そして、その意地の悪い態度には流石のアイシスも更に不満を強めずにはいられなかったが、逆に言えばその態度はやはり危険な目に遭う様な事はない事の証左でもあった為、少なくともその意味での不安は解消された事もあり、これ以上は不満を露わにする事も憚られたアイシスはなるべく感情を込めずにそう答えると、同様に全く「楽しみ」にはしていなそうにそう続ける。
尤も、凡そ千年分の経験の差以前に、そもそも元より感情を隠す事が苦手なアイシスである為に、実際にはその言葉は棒読みにはなっていたものの、それも含めてそこに込められた感情を読み取る事は決して難しい事ではなかったが、当の本人としてはシラユキにこれ以上の攻撃を許さない為の返答をしたつもりである為に、それ故の得意げな感情もまたその表情に出てしまっていた。
「うむ。とはいえ、昼食後に予定しておるのはまた別の修行なのじゃが、そんなに楽しみであるならば別に順番を入れ替えてやっても構わぬぞ?」
とはいえ、やはり基本的な方針としてはそうであるという事なのか、それには当然気付いている筈のシラユキもその事をわざわざ指摘したりはしなかったが、話の流れで今後の修行の予定の一端に触れつつも、やはりにやにやとしたままその言葉の一部からアイシスにそう問い掛ける。
「いえ、大丈夫です。私の我儘でシラユキ先生が考えた予定を変える訳にはいきませんので」
それは一見すると親切な問い掛けではあったが、その相変わらずにやにやとした表情からしてその限りではないという事を直感し、やはり言い合いでは勝てる筈が無いという事も改めて実感したアイシスは一気に大人しくなった口調でそう答えると、続けて漸く自身の立場を弁えたその理由を述べるのであった。




