第254部分
「え? タチバナこそ何を謝っているのかしら? 確かに私は……そうね、すっごい驚いていたとは思うけれど、それはあくまでシラユキ先生の言葉に対しての事よ。それは、貴方がいつの間にかそこに居た事にも少しは驚いたけれど、貴方が現れる時は大抵そうだし、そっちはもう今更の話だもの」
しかし、そのタチバナの言葉を聞いたアイシスは先程の様な驚きこそ見せなかったものの、心底不思議そうに疑問の声を漏らすと共に素直にその要因を、則ちタチバナが何を謝っているのかについてそう訊き返すと、当然にその内容こそは異なるものの、直近のタチバナのそれと同様にその謝罪が不要である根拠を述べる。
尤も、その口調が若干言い訳染みているという事を措いても、その先程の、タチバナが姿を見せた後の驚きぶりを考えれば、その根拠の信憑性……は兎も角としても説得力にはやや欠ける事は確かではあったが、仮にもその従者であるタチバナは勿論、その師であり何かにつけてアイシス達を揶揄うシラユキもそこに対して何かしらの指摘をする事は無かった。
「……そうでしたか、私とした事がそれは失礼を致しました」
そして、やや間を置いてタチバナがそう答えると、則ち自身の互いに謝罪は不要であるという主張が認められると、アイシスは未だにさぞ不思議そうなそれのままで固定されていた表情を漸く緩めるが、一方のタチバナは相変わらず神妙な表情をしたまま、というよりも例によって傍からはその差異は非常に分かり辛いものの、その表情を更に強めながら再度口を開くと、これまでは棚上げになっていた自身にとっての本題へと入る。
「……が、やはり私の方からの謝罪は必要でしょう。この度はお嬢様が目を覚まされる前に起きている事が出来なかったばかりか、あまつさえお出かけになった事にも気付かずに眠りこけてしまった為に、お嬢様の護衛等の業務も遂行出来ないという従者としてあるまじき失態を……」
則ち、今更になってこの場にのこのこと姿を現す事になった原因である寝坊と、それに伴って放棄してしまった従者としての責任に関して、タチバナは恥を忍んでその責任の対象であるアイシスへの謝罪をしようと試みたのであったが、その途中で再度アイシスがさぞ不思議そうな表情を浮かべている事に気付くと、当人にしては珍しい事に思わずその言葉を途中で詰まらせる。
というよりは、その表情からして恐らくは何か言いたい事があるのだろうという判断から、主であるアイシスに対して発言権を譲ったという所の方が大きかったのだが、それでも未だ本題である謝罪を済ませていないにもかかわらず、それを途中で止めるという反応が当人としては珍しい事は確かだった。
「え? 此処ってそんな護衛が必要な程に危険な場所だったんですか?」
一方、その様な明らかに不思議そうな表情を浮かべる程の疑問を抱きつつも、タチバナの言葉の途中という事でそれをどうにか堪えていたアイシスであったが、その沈黙からどうやらタチバナに発言を譲られたのだという事を察すると、その疑問をタチバナではなくシラユキに向けてそう尋ねる。
とはいえ、無論それはタチバナに対する嫌味であるという訳ではなく、単純に自らの認識とタチバナの言葉の齟齬に対し、その解答となるこの場の、より厳密にはその周囲一帯の状況にはより詳しいであろう、と思われる相手にそれを尋ねただけの話ではあったのだが、その質問の内容も含めたその行動が意外なものであったタチバナは、相変わらず神妙な表情で固まったままその様子をただ眺めていた。
「……いや、そう思われておるのは心外じゃ、という程度には安全であるつもりなのじゃがのう」
更に一方、それらのアイシス達の一連の反応を、それが見世物であるかの様に薄ら笑いを浮かべて眺めていたシラユキであったが、その質問を受けると更にその表情のにやけ具合を増した上で、敢えてそう責める様な、いや厳密にはあくまでも残念そうに口にしたというだけなのだが、恐らくはそれが本心ではないという事を理解しているタチバナからすれば、その様に感じられる口調でそう答える。
「……であると致しましても、やはり主が既に活動を始めていたにもかかわらず眠りこけていたというのは従者として……」
そして、その表情や口調に込められた意図を察しているかは不明なものの、それを聞いたアイシスがほら見ろと言わんばかりの表情でタチバナの方へと向き直ると、タチバナはその点に関しては自らの誤りを認めつつも、やはり従者としての責任感から引き続きその他の部分に関してその失態への謝罪を口にしようとするが、その途中で再度主の表情の変化に気付くと、またしてもその言葉を途中で詰まらせるのであった。