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第57部分

 斯くして胸に希望を秘めて少し早足で歩を進めていたアイシスだったが、それも長くは続かなかった。いや、例によって殆ど変わらない平原の道沿いの風景の中を無言のままで歩いていた割には寧ろ長く持ったとも言えるかもしれないが。兎も角快調に歩を進めて来たアイシス一行も、日が傾いて来た頃にはそのペースも少し落ちていた。


「ねえタチバナ。圏外に来ても特に何も起こらないものなのね」


 暫しの間、希望や期待を胸に弱音を吐かず歩んできたアイシスも、長く続く退屈には勝てず遂にタチバナに愚痴を溢す。本来であれば目的の為にも平和な旅路を喜ぶべきな事は本人も承知していたが、やはり胸躍る冒険を夢見て初めての旅立ちをした身としては現状に飽いてしまうのも仕方の無い事に思えた。しかし歩調が遅くなっている事に気付いていない、というよりそもそも自分が早足になっていた事にも気付いていなかったアイシスは、寧ろその中でも歩を止めずにいる自身は偉いとさえ思っていた。そんな主の胸中を知ってか知らずか、アイシスの発言を聞いたタチバナが一つ息を吐いてから口を開く。


「……お嬢様、人類の生活圏を脱出しましたので此処は確かに圏外ではございますが、未だ境界から然程離れてはいない上に我々は道に沿って移動しております。圏外に於いても魔物が人類の足跡である道を基本的に避ける事に変わりはありませんし、そもそもそんなに直ぐに魔物と遭遇する程に魔物が多量に棲息しているならば人類はとっくに滅んでしまっているでしょう」


 そのタチバナの発言はアイシスにとっても納得出来るものであり、寧ろ正論以外の何物でもなかった。だが長く続く退屈の上にやや説教染みた正論を返された事でアイシスは少々へそを曲げ、口を尖らせて無言の抗議をする。それを隣で見たタチバナは笑いが込み上げるのをすんでの所で堪えるが、その瞬間も外から見た表情が変わる事は無かった。尤も、唯一のギャラリー候補であるアイシスはその後タチバナが咳払いをするまで前方を見ていたのだが。


「お嬢様、何ですかその表情は」


 表情を一切変えず、普段通りの淡々とした口調でそう言ったタチバナだったが、実はアイシスの表情が笑いのツボに入っており笑いを堪える為に周囲を警戒する為の集中力の一部を割いていた。それでも普通の人間では到底不可能な程の十分な範囲に注意を払ってはいたが、本人は現状を良しとせず現状の打破を試みたのであった。


「何って、貴方がつまらない事を言うからブーたれてるのよ」


「……そうでございましたか」


 アイシスがタチバナの方へ少し顔を向けながら返事をしたその言葉を聞き、更なる笑いが込み上げてきたタチバナだったが、その強靭な精神力で表情と声の変化を抑制して返事をする。「ブーたれる」という言葉を知識としては知っていたが、仮にも良家の令嬢であるアイシスがそれを口にした事はまたもタチバナの笑いのツボを刺激したのだった。しかし無事に表情の変化を抑えたタチバナだったが、その分だけまた警戒出来る範囲は削られてしまっていた。無論、実際に笑ってしまう方がその範囲はより狭まるので必要経費ではあるのだが、いよいよまずいと感じたタチバナは視線を意図的にアイシスから外して前方に向ける。


「……お嬢様、あちらをご覧下さい」


 そのタチバナの言葉で口を元に戻してアイシスも前を向くが、その時点では変わらぬ平原の風景しか見えなかった。だが遠くを見ながら歩き続ける内、アイシスにもそれが徐々に見えてくる。タチバナが指していたのは古い木の看板であり、その更に先には薄っすらと丘の様なものも見えた。


「あ、やっと見えてきたわ。……えっ、タチバナ、貴方あの距離からあれが見えたの?」


 この世界で目覚めて以降、アイシスは何かを見る事に困った事は無かった。寧ろかつての身体よりも全体的に五感が鋭く、それが様々な感動に輪を掛けていたと感じていた。しかしそんな自身が視界に捉えるよりも遥か前にタチバナはそれについて指摘しており、アイシスが驚くのも無理はなかった。


「はい。冒険や戦闘はもとより、従者としての業務や日常のあらゆる場面に於いて五感は鋭いに越した事はございません。ですのでお嬢様も宜しければ日常から自らの感覚を鍛える事をお勧め致します」


 それは鍛える事が出来るものなのだろうか。タチバナの言葉を聞いたアイシスはそう思ったが、鍛えられるかは兎も角感覚を衰えさせない為にも訓練するのは悪くないとも思えた。後でタチバナに訓練方法を教えて貰おう。そんな事を考えている間にも彼我の距離は縮まり、気付けば看板は直ぐ前にまで近付いていた。その向こうの丘もよりはっきりと視認出来る様になっており、その看板がどうやら分かれ道を示しているのだろうとアイシスは思った。


「ええと、なになに……次の都市へ行くには道沿いを、丘の西側には特別な理由が無ければ入らない事、かな」


 看板に近付いたアイシスがその内容を声に出して読む。その内容は大方予想通りであったが、アイシスは地図を取り出して開くとそれを見ながら何やら考え始める。それを眺めるタチバナには当然どちらを選ぶべきかの考えは既にあったが、口には出さず主の判断をただ待つのであった。

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