表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

196/751

第196部分

 とはいえ、何時までもその様な事に意識を割いている訳にはいかない。そう考えたタチバナは直ぐに平常心を取り戻すと、改めて食事を取る事に向いた場所を探す事に意識を傾ける。すると、丁度それを合図としたかの様なタイミングで、タチバナは前方に目的の場所を見付ける。未だ遠目で見ているだけである為、そうであると断定するには未だ早かったが、それは自身がこれまでに意図的に見逃した妥協出来る場所と比べても、明らかに探している条件に合致している様にタチバナには思われた。


 それはあまりにも都合の良い展開ではあったが、今朝起きた森林の入り口の件の時とは異なり、タチバナはその方向から目を逸らしてはいなかった。それ故にタチバナはそれを偶然だと断定し、その場所へと足を急がせたかったが、後ろに居る主の事と先程の自身の発言を考え、速度を維持したままそこに向かうのだった。


「お嬢様、お待たせ致しました。あちらの木陰を簡易的な拠点とし、昼食の準備をする事に致しましょう」


 そのまま歩みを進め、その場所と付近の様子が十分に観察出来る様になった時、タチバナは後方のアイシスにそう声を掛ける。それはアイシスにとって待ち望んでいた言葉であり、それを耳にしたアイシスは自身のテンションが一気に上昇する事を感じていた。とはいえ、この道中をアイシスが何だかんだ楽しんでいた事は、鼻歌などを奏でていた事からも明らかであったが、その間もアイシスの空腹感は少しずつ増していたのであった。


「分かったわ。目的地の直前が一番気が緩むと言うから、そうならない様に気を付けて向かいましょう」


 タチバナの発言により上昇したテンションを可能な限り抑えながら、アイシスは主らしい注意喚起を口にする。とはいえ、それはタチバナにとっては釈迦に説法の様な発言かもしれない。その様にはアイシスも思っていたが、食事が近い事を知って自身のテンションが急激に上昇した事もあり、自身へと言い聞かせるという意味も込めてそう口にしたのであった。


 アイシスの推測通り、その忠告の内容はタチバナにとっては当然の知識であった。だが、その様に状況に応じて気を抜く様な真似を、少なくとも現状の様な危険地帯に於いてする事は、タチバナにとってはまさに愚の骨頂であり、自身がする筈が無い事だった。とはいえ、実際にその様になる人間が数多い事は確かであり、主がそうではない事を示しているその発言を、タチバナは素直に感心しながら受け止めていた。


「かしこまりました」


 タチバナはそう短く答えると、周囲への警戒をより強める。元よりタチバナが気を緩める事など無い為に、それは既に過剰な程の警戒ではあったが、タチバナは主の忠告を無為にしたくはなかった。だが、その様にしている間も、タチバナは先程と同様の奇妙な感覚を覚え続けていた。その感覚が再び現れたタイミングを考えると、タチバナにはその正体がおぼろげに見えて来ていたが、それはタチバナにとって俄かには信じ難いものであった。


 この奇妙な感覚の正体……それはアイシスの鼻歌が止んだ事への名残惜しさの類である。先程と同様の感覚を、先程と同様の瞬間に覚えたのであるから、それは間違いようの無い事実である。自身の理性がそう結論付けていても、自らがその様な感傷的な感覚を持ち合わせているという事実は、タチバナにとっては信じ難いと言う他に無いものだった。


 だが、タチバナがそれ受け入れるまでには、そう長い時間は掛からなかった。冷静に考えれば、最近の自身にはその様な発見が数多く起きており、また自身の内面の少なからぬ変化も経験しているではないか。その様な思考を経て、タチバナはこの奇妙な感覚もそれらの一つに過ぎないと気付いたのだった。


 その様な事をタチバナが考えている間にも一行と一先ずの目的地の距離は徐々に縮まり、やがてアイシスにもその場所の様子が詳細に見て取れる様になっていた。そこを視界に収めながら、アイシスはタチバナが場所を移動する事にした理由をもう一度考え始めていた。


 その場所は何の変哲も無い……と言うにはそれを構成する樹があまりにも巨大ではあるが、それ以外には特に変わった所が無い様に見える木陰であった。だが、タチバナがその場所を選んだという事は、先程の場所とは何か違いがある筈である。そう考えたアイシスの思考は、先程とは異なり直ぐに打ち切られる事は無かった。移動先として選ばれた場所が目の前にあるのだから、そこと先程の場所の違いを考えていけば、タチバナの意図も理解する事が出来る筈である。その様にアイシスには思えていた。


 無論、タチバナに尋ねればそれで済む事は確かではあるのだが、そうやって何もかもを直ぐに尋ねて済ませてしまうという事が、アイシスにはつまらない事である様に思えていた。また、タチバナが聡明だと言ってくれる自身の思考能力を、その言葉に恥じないで済む様に鍛えたい。その様な思いを抱えていたアイシスにとって、その鍛錬に用いる事が出来るこの様な謎は、すこぶる都合が良いものなのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ