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第194部分

 アイシスが顔を赤らめながらそう言うが、右隣に居るタチバナがそれに答えるまでには若干の時間を要した。無論、主が決めたその方針にはタチバナも何の異論も無かったが、その前後に自身が覚えた奇妙な感覚が、主への返答の為の思考に於いては不純物となっていた。その感覚の正体がタチバナには妙に気になったが、一先ずはその事については措いて置き、自分達や周囲の状況を加味した上で主の言葉の検討に集中する事にする。


「……かしこまりました。しかし、この場所では少々都合が悪い様に思えます。申し訳ございませんが、より良い場所が見付かるまでの間、もう少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか」


 その検討の結果、アイシスの発言から少々の間を空けてタチバナが言う。それはアイシスの方針に反する発言という訳ではなかったが、主に対して我慢を強いている事は確かであり、従者から主への言葉としては不適切だと思われる可能性は十分にあった。その事は当の本人も承知しており、主体がかつての自身であるか、或いは対象がかつてのアイシスであったならば、決して口にする事は無かっただろうとタチバナは考えていた。


「勿論よ。まあ、何が悪いのかは私には分からないけれど、貴方がそう言うのであればそうなのでしょう。そういう訳で、此処からは貴方が先導してくれるかしら。どうしても我慢出来なくなったらその時は私から言うから、私のお腹の事は気にせず、貴方が良いと思う場所を探して頂戴ね」


 だが、その様な心配は何だったのかという程にあっさりと、アイシスはタチバナの要望を快諾すると、更にタチバナを気遣う様な言葉を続ける。それはタチバナにとって概ね予想通りの反応ではあったが、かつてのアイシスからは考えられない言動でもあった。そのあまりの変化の度合いに、タチバナは思わずその口角を少しだけ釣り上げるが、それ以上その事について考える事は無かった。タチバナにとって大切なのは、今のアイシスに対して自らがどう仕えるかという事だけであった。


「かしこまりました。それでは、此処からは私が先頭を歩きますので、足元に十分に注意を払った上で、お嬢様はその後を付いて来られるようお願い致します。無論、何かございましたら、何時でも遠慮無く仰って下さいませ」


 そのアイシスの言葉に自身に対する配慮が含まれていた事は確かだが、あくまでも形式上は自身に対する命令である。そう判断したタチバナは、敢えて礼は言わずに承諾の意を伝えると、自身も出来るだけ主を慮った言葉を続ける。それは少々過保護な程だとアイシスは思ったが、タチバナのそういった配慮そのものは勿論、その過保護さがアイシスには嬉しかった。


「分かったわ。それじゃあ、早速出発して頂戴。……ああ、くれぐれも急ぎ過ぎない様にお願いね。この間の小鬼が居た水場の時みたいにどんどん先に行かれたら、この足場の悪さだと流石にちょっと厳しいわ」


 その嬉しさを隠さずにそう答え、タチバナに出発する旨を伝えたアイシスであったが、そこから一瞬の間を空けると、軽く握った右手で自身の左の掌をわざとらしく叩き、悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を続ける。それは確かに実際の出来事に基づいた注文ではあったが、それよりも後の時系列に於いて、タチバナは既にそれを反省した先導を見せていた。


 詰まるところ、それは実際にアイシスの悪戯であったのだが、アイシスはそれが許されないなどとは考えていなかった。無論、それは自分達が主従関係である為という事ではない。タチバナの視点からは兎も角、自身から見れば自分達は出会ってから未だ数日しか経っていなかったが、既にそれが許される関係であるとアイシスは思っていた。その対人経験の少なさから、その事には若干の不安が無い訳ではなかったが、少女は自身の感覚を信じる事にしたのだった。


「…………かしこまりました。それでは出発させて頂きますので、くれぐれも足元に注意して付いて来て下さいませ」


 そのアイシスの言動は予想外なものであったが、タチバナにとってより意外だったのは、それを耳にした自身の感情の変化だった。他人に何かを言われた際に、何かを向きになって言い返したくなったのは、タチバナにとっては初めての経験であった。とはいえ、彼我の関係を考えれば、自身は口を噤むしかない。その様な、ある意味では理不尽とも言える状況にもかかわらず、何故かそう悪くない気分にもなっており、それもまたタチバナには不可思議とも思える感覚であった。


 それらの事が影響した結果、最終的にタチバナはその悪戯に対しては何の言葉も返しはしなかった。だが、自身の言葉への返答までに要した長い間は、アイシスにその悪戯の効果があった事を十分に知らしめていた。権力を笠に着た、所謂パワーハラスメントになってしまったかしら。そんな心配をするアイシスであったが、普段と特に変わりが無い筈のタチバナの口調から、それが杞憂である事が何故か読み取れた様な気がしているのだった。

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