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第192部分

「……いえ、どうかお気になさらないで下さい。以前にも申し上げた通り、お嬢様はお嬢様が思う様になさればよろしいのです。無論、その内容如何では私も一言を申し上げる事もあるでしょうが、少なくとも私がそうしていない場合に於いては、お嬢様がご自由になさっている事こそが私の望みなのですから」


 その刹那の思案の後、タチバナはわざとらしく深い息を一つ吐くと、普段通りの口調で淡々とそう口にする。ごく僅かな時間とはいえ、その聡明な頭脳を遺憾無く用いた思考をした結果、タチバナが選んだのは本心をそのまま伝える事だった。妙な所で鋭いアイシスを納得させる為には、下手な気遣いは却って逆効果になり得る。その選択にその様な理由が含まれていないと言えば嘘にはなるが、タチバナはこの機会に、自身の考えをもう一度アイシスに伝えておきたいと考えたのであった。


 そのタチバナの言葉を聴くうちに、その申し訳無さそうな表情はみるみる晴れていき、終わる頃にはまた耳まで赤く染まっていた。その百面相の様な表情の変化をタチバナは不思議に思いながら見ていたが、同時に若干の羨望を抱いていた。様々な理由により、自身がそうする事はもう二度と無いだろうと考えてはいたが、アイシスがこうして感情を素直に表に出せている事に対し、タチバナは些かの憧れを抱かずにはいられなかった。


「……そう? それなら良いのだけど。……でもそれなら、私がさっきみたいに謝るのも、別に自由って事じゃない?」


 先のタチバナの言葉には嘘が無い事を感じ取り、それ故の照れ臭さから顔を赤らめていたアイシスが、その事を誤魔化す意味も込めてそう尋ねる。タチバナ程に優れている人間が、自身の何処をそれ程に気に入ってくれているのか。その答えが未だ分からない事もあり、アイシスはちょっとした混乱状態に陥ってしまっており、その為に自身でも良く分からない言動を取ってしまったのであった。


 アイシスの様子からその事はタチバナも概ね察してはいたが、仮にも主から質問をされた事は事実であり、真摯に答えない訳にはいかなかった。タチバナはもう一度大袈裟に息を一つ吐くと、その目的の為に口を開く。


「……それはお嬢様が仰る通りなのですが、先程も申し上げた通り、その内容如何によっては私も一言を申し上げる場合がございます。そしてその言葉通り、先程私は『お気になさらないで下さい』と申し上げました。無論、それでもお嬢様がそうなさりたいのであれば、私はその意を尊重致しますが」


 先程と同様の口調でタチバナがそう口にしていると、アイシスの表情もまた面白い様に変化していった。そうしてタチバナが話し終える頃には、そこからはすっかりと血の気が引いてしまっていたが、今度はタチバナもそれを羨みはしなかった。


 その感情の振れ幅もアイシスの個性である。そうタチバナは考えており、その部分も敬意の対象の範囲ではあったが、流石に現状には若干の精神の疲労を感じずにはいられなかった。とはいえ、それはタチバナの対人経験の少なさから来るものであり、タチバナは主に対して些かも負の感情を抱いた訳ではなかった。


「あの、そんなつもりじゃなくて……その、ごめ――」


 そんな事は知らぬアイシスは、あわあわしながらも何とかタチバナに言葉を返そうとするが、謝罪の言葉を口にしようとした所で慌てて自らの口を塞ぐ。それを見たタチバナはまた息を一つ吐くが、今度のそれはこれまでとは異なり、自然に行われたものであった。自らがそうあって欲しいと願う姿とはかけ離れたアイシスの様子に、それを招いた自らの対人交流技術の低さを改めて感じた事で、タチバナの身体は自然と溜め息を溢していたのであった。


「……お嬢様。私の対人交流に関する技術の不足により、不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。ですが、此処でこれ以上の時間を浪費する事は望ましくありませんので、この話は此処で止めておく事に致しましょう」


 そうして、自身の能力では現状の問題を解決する事が難しいと考えたタチバナは、その事を謝罪すると、そこで話を打ち切る事を提案するという力業に出る。それは現状では最も合理的な判断ではあったが、強引な方法である事は否めなかった。だが、その強引さはアイシスを驚かせ、その強い精神的な衝撃により、結果としてアイシスは平静を取り戻すのであった。


「……タチバナこそ、別にそんな事で謝らなくても良いのよ。でも、そうね。確かに時間が勿体ないし、この話はお仕舞いにして、いい加減に先に進んで行く事にしましょう」


 そう話すアイシスの様子は普段通りに戻っており、その事にタチバナは一先ず安堵するが、主が僅かに微笑んでいる理由は分からなかった。自身だけでなく、タチバナもまた所謂コミュニケーション能力に難がある。その様な共通点を嬉しく思った為か、或いはそれ故の成長の余地を共有出来る事への喜び故か。その実の所は本人にも分かってはいなかったが、アイシスにとってそんな事はどうでも良かった。


 何やら互いに無駄な気苦労をした様な気はするが、それもまた一つの経験であるし、何よりもこうしてタチバナと共に再び歩き出せればそれで良い。そんな事を思いながら、アイシスは森林の奥へと足を踏み出すのであった。

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