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第186部分

「それでは、私は後片付けと出発の準備をして参りますので、お嬢様は……」


 そうして仕事モードになったタチバナはそう言うが、アイシスに何かを提案する段になって言葉を詰まらせる。本人は体調に問題が無いと言っていたものの、普段より休息が不足している可能性は十分にあり、その事を考慮するのであれば、あまり体力を消費する様な事をして欲しくはない。だが、本人が平気だと言っている以上、そこで楽にしていてくれと言うのも失礼かもしれない。直前でその様な考えが浮かんだ事で、タチバナには何を言うべきかという迷いが生じてしまったのであった。


「私は適当に休んでいるわ。折角、今日からは目的地に近付いて行けるというのに、無駄に体力を使いたくはないからね」


 とはいえ、タチバナが言葉を詰まらせていたのはほんの一瞬の事であったが、タチバナがその先を続けるよりも早くアイシスが言葉を返す。それが自身の願う内容と殆ど同じである事にタチバナは些か驚きはしたが、直ぐに状況から考えれば当然の発言だと思い直すと、再び意識を仕事へと傾ける。


「かしこまりました。それでは、それらの業務が終わるまで少々お待ち下さい」


 そう言ってアイシスが使用した皿を回収すると、タチバナはそれらを持って井戸の方へと移動する。その背中を見送りながら、アイシスはぼんやりと考えていた。井戸の水で洗い物やら洗濯をする時って、使った水はどうするのだろうか。流石に井戸に戻す訳にはいかないし、今この場所に於いてはそこらに流してしまうしかないだろうが、民家の庭に井戸がある様な場合はどうするのか。かつては文明の進歩により上下水道が完備された国で暮らしていた少女にとっては、その答えは未知のものであった。


 だが、インターネットは勿論、その事を調べる為の文献等すらも付近には存在しない現状では、それを知る術は無かった。無論、タチバナに尋ねればその答えは得られるだろうとはアイシスも思ったが、さして興味がある訳でもない事の為にその仕事の邪魔をする気は無かった。そう時を経る事も無く、その思考は別の事へと移っていくのだった。


「お待たせ致しました。それでは、最後に井戸から水の補給を済ませましたら、いよいよ森林地帯へと進んで参ると致しましょう」


 後片付け等の業務を終えたタチバナが、二人分の荷物を持ちながらアイシスにそう声を掛けるが、その返事が直ぐに帰って来る事は無かった。つい先程まで、アイシスはこれからの旅路への意欲に満ちていた様に見えていた為、それはタチバナにとっては意外な事であった。どうかしたのだろうか。そう考えたタチバナは周囲にその原因が無いかと注意を払い、特に異常が無い事を確認すると、石に腰掛けるアイシスにより注意深く目を向ける。


 すると、アイシスはやや俯いた状態で何やら考え事をしている様だった。無論、その事自体はタチバナも帰還した時点で把握していたが、より注視しても他に変わった所は無い様に思えた。という事は、思考の内容が原因であろう。タチバナは直ぐにそう結論付けたが、同時に少々の呆れに近い感覚も覚えていた。


 折角体力の消耗を避けたというのに、そうして余計な思考により精神を消耗してしまっていては仕方が無いではないか。そんな事を考えるタチバナであったが、無論、それを本気で責める様な気は無かった。確かにタチバナは呆れの感情を抱きはしたが、あくまでそれは親しい相手にだけ感じ得る、一種の親愛の情に近いものだった。


「……お嬢様」


 思考を続けるアイシスが一つ息を吐いた瞬間を見計らい、タチバナが再び声を掛ける。すると、アイシスはその身体をピクリと反応させ、明らかな驚きの表情を浮かべたまま口を開く。


「た、タチバナ? あれ、もう後片付けは終わったのかしら?」


 そうして自身が口にした言葉を聴いたタチバナが、即答をせずにやや深い息を吐いた事で、アイシスは自身がタチバナの何かしらの言葉を聞いていなかった事を察する。その事に対しては素直に申し訳が無いと思うアイシスではあったが、同時に仕方が無かったと弁明したい気持ちも抱いていた。無論、それはその際に自身がしていた思考、もとい想像によるものであったが、その説明をタチバナにする訳にはいかない事がアイシスにはもどかしかった。


 タチバナに説明する事が出来ないという事は、その想像がかつて少女が居た世界に関係するものである事を意味していた。先程していた井戸についての思考を別の事に移す際、少女はついそれに関係する事を頭に浮かべてしまった。則ち、かつて少女が居た国で流行した事がある、井戸から這い出る髪の長い女幽霊の事を少女は想像してしまったのであった。そしてなまじ想像力に長けていた為、現在自身の付近にある井戸からその幽霊が出て来る場面を鮮明に想像してしまい、今に至るまで恐怖に駆られていたのだった。


 だが良く考えれば、そもそもそれを想像した事自体が自身の勝手である。その事に気付いたアイシスは申し訳無さからしゅんと小さくなると、恥ずかしさからその顔を赤くする。これではまるで自分が悪者かの様ではないか。その様子を見たタチバナはそんな事を思うと、再びやれやれと呆れに近い感情を抱くのであった。

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