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第182部分

 そうしてテント内へと足を踏み入れたアイシスは、蝋燭の灯りのみに照らされたその狭い空間に、不思議だと感じる程の安心感を覚えていた。魔法が存在する世界に於いて妙に高価で売られていた事から、何かしらの魔除け等の効果が布地に込められていたりはするかもしれないが、そうは言っても脆弱な布切れで覆われただけの空間である事には変わりがない。にもかかわらず、この場所に居る事でこれ程に安心を感じられている事は、アイシスにとっては我ながら意外な事であった。


 無論、タチバナが近くに居て危険を察知、及び排除してくれるという事が、その理由の多くを占めている事は本人も理解していた。だが、それとはまた別の、それこそ実家の様な安心感と言える程に、自らの心が妙に落ち着いている事をアイシスは感じていた。何故だろうか、とその理由を思考し始めた刹那、アイシスはその答えに直ぐに思い当たる。


 ああ、そうか。私がこの世界で目覚めて以降、寝泊りをしたのはこのテントの中でだけなのだから、そこを自身の住処だと感じて安心感を覚えるのは、別に何もおかしな事ではない。その答えに気付いた直後、アイシスはタチバナを外に待たせている事を思い出し、慌てて着ている物を脱ぎ始める。そうして頭のリボンを解きながら、安心とは長続きしないものなのね、と苦笑いを浮かべるアイシスであった。


「お待たせ、タチバナ。もう入って来ても大丈夫よ」


 本日もタチバナの用意した布で身体を拭き、寝間着へと着替え終えたアイシスがテントの外に居るタチバナへと声を掛ける。それらの作業をする際、やはり自身がイメージする程には臭い等が気にならないで済んでいる事は、少女にとっては非常に嬉しい誤算だと言えた。その事が、自身が元居た世界との法則の違いによるものなのか、或いはこれらの衣服に掛けられた加護か何かによるものなのかは分からないが、どちらにせよ非常に助かる。そんな事をアイシスは思わずにはいられなかった。


「はい。それでは失礼致します」


 そのアイシスの言葉を受け、タチバナがそう言ってテント内へと入って来る所を、アイシスは直前の思考の続きをしながらぼんやりと眺めていた。でも、臭いは兎も角としても、そろそろ髪を洗いたいという思いは否めないわね。その様な事をアイシスは考えていたが、その点も自身の想像程には状況が酷くはなっていない事も感じており、やはりその事を有難く思っていた。


 当然ながらその思考内容までは分からないものの、主が何やら考え事をしている事を察したタチバナは、黙したまま自らのスペースへと移動するとそこに腰を下ろす。ならば、自身が今やるべき事は。そう考ると、タチバナはテントの外部への警戒を更に強めるべく、より多くの意識をそちらへと傾けるのだった。


 そうして、やがて自身の衛生状態についての思考を終えたアイシスは、昨夜の様にまたタチバナと様々な事を語り合いたいと思っていた。だが、その話題を考えようとしても頭が上手く働かず、思考に軽く靄が掛かっているかの様に感じる。その原因を突き止めようとする思考までもが同様であった事で、アイシスは漸くその原因が眠気である事に気付く。


「……タチバナ、ごめんなさい。今日はいつもよりも疲れたのか、ちょっと起きていられそうにないみたい。おやすみ……タチバナ……」


 自身の眠気を自覚したアイシスはそう言うと、タチバナの返事も待てずにその身体を横たえる。流石にそのまま即座に眠りに落ちる事は無かったが、それも時間の問題だった。


「かしこまりました。おやすみなさいませ、お嬢様」


 そう小声で答えたタチバナの返事を耳にすると、それを合図としたかの様にアイシスの意識は闇へと溶けていく。その様子を見守りながら、タチバナは直前の主の言葉について考えていた。本日の進行の速度は普段よりも明らかに速かった上に、最後には全力疾走の様な事までしていたのだから、そうなってしまうのは無理もないだろう。だが、主であるアイシスが自らの身体の欲求に従って身体を休める事に、何故謝る必要があったのだろうか。


 その様な事を真剣に考えるタチバナであったが、早い段階でその疑問には論理的な解答など出し様が無い事に気付き、直ぐにその思考を打ち切る。そして眠りに就いたアイシスの様子を暫しの間観察し、その眠りが十分に深い事を確認すると、自身も衣服を脱いで眠りに就く準備を始めるのだった。


 無論、所謂ショートスリーパーである自身の特性を考えれば、未だそうする必要が無い事はタチバナも理解していた。だが、万が一にもアイシスを起こしてしまう様な事が無いように、その眠りが深いと確信出来る今のうちに、多少なり音が出る用事は済ませてしまいたかった。


 そうして自身の仕事着を脱ぎ終えたタチバナは、灯りとなる蝋燭を手の動きの風圧のみで掻き消すと、座ったまま毛布に包まる。ほぼ完全な暗闇となったテントの中でタチバナは目を瞑ると、再び意識をテントの外側へと巡らせる。


 その特性により他者よりも長い夜をこうして独りで過ごす際、その時間を潰す明確な方法をタチバナは未だ持っていなかったが、既にその事にも慣れてしまっていた。だが少なくとも、その時間をこうして傍に居るアイシスの安全を確保する為に費やせる事は、タチバナにとってかつての夜よりも遥かに有意義だと感じられるのであった。

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