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第173部分

「成程。そういう事なら前衛は任せるわね」


 自身の前を歩くタチバナにそう短く答えながら、アイシスはその直ぐ後を、西日が目に入らぬようにやや身を低くして付いて行く。長く西に見えていた森林の最北を越えたとはいえ、件の森林までの距離は未だそれなりに離れており、その入り口を探すのには暫しの時間を要するであろう事はアイシスも十分に理解出来ていた。だがそれでも、西に向かっている自分達の正面に緑のカーテンが存在しないという事実に、アイシスは大きな達成感を覚えずにはいられなかった。


 思えば、これまでの旅路に於いて、アイシスはそうまじまじとタチバナの姿を見る事は無かった。だが、こうしてタチバナの後ろを付いて歩いていれば、その視界の多くは自然とその姿が占める事になっていた。そうして改めてタチバナの後姿を眺めていると、アイシスはそれに対してこれまでは気にもしなかった違和感を覚え始めていた。


 女性にしては高い方だとは思うが、前を歩くタチバナの背丈は自身と同程度である。その体格も、服装に隠れている為に詳細までは分からないが、少なくとも一目で分かる程の隆々とした筋肉を備えている訳ではない。そして、その服装は所謂メイド服そのものであり、その外見を総合して評価した時に、どう考えてもこれまでに見てきた様な高い戦闘力を想像する事は出来ないだろう。


 その様な事を考えながら歩いていたアイシスには、当然ながら周囲への警戒をする事などは出来なかったが、その事に不安を感じたりはしていなかった。タチバナという、アイシスにとっては世界で最も信頼出来る相手を、視覚という最も確かな方法で感じられている。その様な状況であるからこそ、この様に思考に没頭しながら歩くなどという、本来であれば危険な行為をアイシスは続けていられるのであった。尤も、その様な状態であっても、アイシスも自身の足元への最低限の注意までを疎かにしている訳ではないのだが。


 でも、もしその外見と戦闘力の剥離を本人に指摘しても、きっと「それも戦術の一つです」とか何とか言うわよね。続く思考の中でそんな事を思った時、アイシスは思わず軽く笑ってしまう。無論、その事には前を行くタチバナも直ぐに気付いたが、それに対して何か言葉を掛ける様な事はしなかった。流石のタチバナでもその笑いの理由までは分かる筈も無かったが、その必要があるとさえ思ってはいなかった。如何なる理由であれ、アイシスの笑顔はタチバナにとって負となるものではなかった。無論、それが心からのものであるならば、だが。


「あら、いつの間にか森の近くまで来ていたのね」


 自身の目に映る景色の変化にふと気付いたアイシスが、その思考をそのまま口に出す。それは自身が暫しの間ぼうっとしていた事の自白以外の何物でもなかったが、口にした当の本人はその事に気付いてはいなかった。一方、その事に気付いたタチバナは思わず吹き出してしまいそうになるが、やはり強靭な精神力でそれを堪えているのだった。


「……そうですね。……と、あれは何でしょうか」


「え? どれどれ……って眩しっ」


 それ故に少々の間を置いてからタチバナが答えるが、その話の途中でタチバナは何かに気付く。その言葉を聴いたアイシスも、タチバナの真後ろから少し身体をずらして前を見るが、西日の眩しさに目が眩むだけであった。その一連の流れによってタチバナは再びの危機を迎えるが、やはりその精神力は強靭であった。


 とはいえ、あまりの滑稽な行為の連続には流石のタチバナも、もしかしてわざとやっているのだろうか、というあらぬ疑いを抱かずにはいられなかった。無論、そうではないという答えを、自身の中で既に出した上での事ではあるが。


「……私の視力でも今しがた見え始めた物ですし、丁度西日も差しておりますので、お嬢様には暫くは見る事が出来ないかもしれません。どちらにせよ、このまま西に歩いていれば辿り着く事にはなりますので、その時に確認すれば良いでしょう」


 いつもの様に淡々とした口調でそう言ってはいたが、そうしながらタチバナは思っていた。それならば、自身が口に出さなければ良かっただけなのでは、と。だが、タチバナはそれを自身からは口にしない事にする。アイシスに対して偽りを述べる様な事はしたくないが、自らの失態をわざわざ報告する必要も無いだろうと思われた。あくまでもこの様な些事に於いては、だが。


「……そうね。でも、タチバナはこの西日の中で良くそんな遠くが見えるわね。それが目に入らない様に視点を下げるとか言ってなかったかしら?」


 目の眩みから回復したアイシスが、現状に於ける当然の疑問を口にする。タチバナにとっては幸いな事に、その直前の失態にアイシスは気付いていない様だったが、それでもタチバナには即答する事が出来なかった。とはいえ、無論タチバナはそれに答えたくないという訳ではない。自身が感覚的にしている事を言葉で説明した経験が殆ど無かったが故に、それをする事はタチバナの聡明な頭脳を以てしても簡単な事ではないのであった。

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