表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

165/750

第165部分

「お嬢様が仰った事は正しく、そこに間違いはございません。確かに、目を閉じるという工程は必ずしも必要という訳ではありません。実際に、目を開いたままであっても、聴覚等の他の感覚に意識を集中させるのはそれ程難しい事では無いでしょう。ですが、視覚以外の感覚に集中しているという状態を事前に経験していた方が、それを鍛錬する際に成功の想像がし易いかと思われます。その感覚を最も簡単に経験する方法が、目を閉じた状態で任意の感覚に集中するという事なのです」


 その内心を殆ど感じさせない声で、タチバナが淡々とアイシスの問いに答える。その内容は至極尤もな事であり、今度もアイシスはそれに納得せずにはいられなかった。人間の脳の働きの何割かは視覚の処理に使われている。かつて何処かで目にしたその情報が真実であるかは少女には分からなかったが、それが少女の納得を後押しした事は確かだった。


「成程ね。言われてみれば、確かにその通りだとしか言えないわ。そういう事なら、私が……たとえば聴覚の鍛錬をしようとしたら、先ずは目を瞑ってやってみた方が良いわよね」


 タチバナの話を聴いたアイシスが、あまり深く考えずに言葉を返す。それは訊かずとも答えがある程度予想出来る様な質問でもあったが、アイシスはそれを口にする事を躊躇ったりもしなかった。時間が限られている状況であればまた話は変わるが、少女にとってのタチバナという人物は、既にその様な気の置けない相手になりつつあった。


 一方のタチバナは仮にもアイシスの従者であり、主に対して気を遣わないという訳にはいかなかった。というよりも、寧ろ以前よりも更に気を遣う様になっていた。だが、それはタチバナから見たアイシスへの距離が、その逆よりも遠いという訳ではない。他ならぬ自身の意思でアイシス個人の従者となる事を選んだタチバナにとって、自らの配慮でアイシスに正の影響を与えるという事は、まさに望む所なのであった。


「そうですね。最初は目を閉じて、何か特定の音……出来るだけ普段は気に掛けない物が良いでしょう、に耳を傾けてみると良いと思います。そうしましたら、そのまま目を開いてもその音に集中出来ているかを試したり、或いは一度集中を解いた後、もう一度その音に意識を集中出来るかを試してみるのも良いかもしれません。この辺りについては、その時にご自身が思い付いた事を色々と試して頂ければよろしいかと思われます」


 いつも通りの淡々とした口調でタチバナは答えるが、その節々にもアイシスへの配慮が散りばめられていた。アイシスの言葉が思慮不足と言えるものであっても、それを気にせずに肯定する。アイシスが実際に鍛錬をする際に困らぬ様に、具体的な方法を明確に説明する。その上で、アイシスの自主性を尊重する為に工夫の余地を残す。この様な配慮の全てが、実際に最もアイシスの為になる事かは不透明である。だが、それでもこの様に、タチバナはアイシスにとってより良い結果を生むべく、殆ど常に気を遣い続けているのだった。


「成程成程。流石はタチバナね。とても分かり易い説明で、私が感覚の鍛錬をする時にどうすべきかが、全部分かってしまったわ。早速試して……といきたい所なのだけど、今までのは私みたいな初心者がやる時向けの話よね。貴方が実際に鍛錬する時はどういう事をしているのかしら? 気になるから教えて頂戴……勿論、無理にとは言わないけれど」


 アイシスはそういったタチバナの配慮の全てに気付いている訳ではないが、その一部を感じる事は珍しくはなかった。今回もタチバナの言葉からそれを感じ取ったアイシスは、自身も多少はそうすべきかと考え、言葉の最後に取って付けた様な気遣いを加える。自身のコミュニケーション能力の低さにアイシスは歯痒さを感じるが、その気遣いはしっかりとタチバナに届いていた。


「……お嬢様がそれを知りたいと仰るのであれば、無論、それを話す事に異論はございません。しかし、恐らくお嬢様の参考にはならないかとは思われますが」


 少々の間を置いた後に口を開いたタチバナは、アイシスの問いに答える前に敢えて断りを入れる。本人の言葉の通り、タチバナにはそれを話す事に異論がある訳ではない。だが、タチバナにはその質問の意図が分からなかった。自身の戦力や能力に興味を持つ事は理解出来るが、その背景を知る事の意味を理解する事は、特殊な生い立ちを持つタチバナには難しかった。


 無論、タチバナ自身がアイシスへのそれを持っている様に、他者への興味を持つ事が理解出来ないという訳ではない。だが、タチバナにとって、自身とはそうされる価値のある存在ではなかった。


「そんな事は気にしないで良いわ。タチバナの事だから知りたいと思っただけよ」


 そのタチバナの断りに対し、早く続きを聴きたいアイシスは言葉を選ばずに答える。その結果、それは後から思い出せば後悔は必至とも言える様な台詞になっていたが、今のアイシスはその事に気付かずにいるのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ