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第163部分

「無論、承知しております。お嬢様が聡明な頭脳をお持ちである事は、この旅の間のみに於いても十分に拝見して参りましたので。ところで、暇な時に他に何をしているかというご質問の答えですが、そうですね……五感の訓練の他には、筋力が衰えないようにする為の軽い運動や、頭の回転を鈍らせない為の思考、という位でしょうか。それらを併せて行う事も多いですが、やはりそこは状況にもよりますね」


 そこに可笑しさを感じたとはいえ、主の言葉に対してタチバナは真摯に答える。それを聴いたアイシスは、先ずはタチバナが理解を示してくれた事を、そんな事はないという気恥ずかしさを感じながらも嬉しく思っていた。だが、その後に続いたタチバナの言葉があまりにもストイックな物だった事で、それを自身の気楽さと比較して多少なりショックを受けていた。


「……そう聴くと、何か自分のしている事が申し訳無くなってくるわね。私も何かこう、修行とかするべきかしら?」


 自身はこの時間を平穏そのものであるとさえ思っていたが、実際には此処は人類の生活圏の外であり、魔物の領域とも言える危険地帯である。タチバナと自身との意識の差を感じ、更にはその事実を思い出した事で、自らの行動を省みるべきかと考えたアイシスが言う。本心ではそれを途中で遮りたかったタチバナであったが、それを抑えてアイシスの言葉を最後まで聞き届けると、ゆっくりと口を開く。


「いいえ、お嬢様。私がその様にしているのは、私がそうしたいと思っているからに過ぎません。ですのでお嬢様も、ご自分がなさりたい様にすれば良いのです。無論、お嬢様が本気で修行等をなさりたいと仰るのであれば、私もそれに協力を惜しむ様な事は致しません。ですが、お嬢様がご自身の意思に反した過ごし方をする必要などは、決して無いのです」


 タチバナがアイシスを真っ直ぐに見据えてそう言うが、アイシスにはその話が、普段よりも僅かだがゆっくりと、そしてはっきりとした口調である様に感じられた。それは、自身の勘違いに過ぎないかもしれないと思える程の小さな違いであったが、アイシスにはその言葉がタチバナにとって大切なものである様に思えたのだった。


「……分かったわ。貴方がそこまで言うなら、私は今まで通りにやらせて貰う事にするわね」


 自身の思い込みであるかもしれないとはいえ、タチバナの真剣な思いを汲んだアイシスはややゆっくりとそう言うと、そこで一度言葉を切る。だが、タチバナがそれに答える為に口を開くよりも早く、アイシスはもう一度口を開く。


「それじゃあ、私は今、その五感の鍛錬とやらに興味があるのだけど、それってどうやるのかしら? 視覚についての簡単な方法は前に聞いたけれど、他の感覚の場合はちょっと想像がし辛いのよね。そもそも、感覚って鍛えようと思って鍛えられるものなのかしら? それは、何もしないよりは訓練した方が良くなるとは思うけど、それでも限界はあるでしょう? 少なくとも、私はタチバナ程に目が良くなった自分が想像出来ないわ」


 先程のタチバナや自身とは対照的に、アイシスが早口で捲し立てる様に言葉を紡ぐ。その急激な変化と矢継ぎ早に繰り出される質問に、さしものタチバナもやや圧倒される様な感覚を覚えていた。どの質問から答えるべきか。それを高速で考えながら、同時にタチバナは思っていた。やはり、このアイシスという少女は只者ではない。どの様な点についてであれ、自身を圧倒する存在などとは今までに出会う事は無かったのだから。


「……お嬢様の疑問に、新しいものから順にお答えして参りましょう。先ず、五感の鍛錬の限界ですが、当然ながら個人によって差はございます。実際に、お嬢様が私と同等の視力を得るという事は恐らく難しいでしょう。ですが、これもお嬢様の仰った通り、何もしないよりは訓練した方が良くなるという事も確かでございます。無論、既に肉体的な限界に達している能力を更に伸ばす事は出来ませんが、特に訓練を積んでいない場合には、人の五感には鍛錬で伸ばす事が出来る余地が残っている可能性は高いと考えられます」


 此方も先程とは対照的に、タチバナが淡々とアイシスの質問に答えていく。そして此方もまた勘違いかもしれなかったが、アイシスにはそれが普段よりも饒舌である様に感じられた。やっぱり、タチバナは私の質問に答える時とか、何かを説明する時には少し饒舌になるんだ。そんな事を思いながら、淡々とした口調で語られるタチバナの説明を聴いているだけの時間が、アイシスには妙な程に楽しく感じられていた。


「そして、具体的な訓練の方法について……と参りたい所ですが、最初に申し上げておくべき事がございます。今までに話した内容は、私自身の経験やこれまでに見てきた他者の様子からも、恐らく間違いの無い事実であると言う事が出来ると思われます。ですが、これから話す内容は、あくまでも私の私見に基づいたものであり、万人に対して適用出来るとは限りません。それをご承知の上でお聞き下さる様にお願い致します」


 タチバナにしては珍しい保険を掛ける様な発言を聴きながら、やはりアイシスは甚だの楽しさを感じていた。タチバナに何かを教わるのは楽しい。その事を改めて実感すると共に、アイシスは願いにも似た思いを抱いていた。その際に饒舌になっているタチバナも、私と同じ様に感じていてくれたら……嬉しいなあ。

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