第155部分
タチバナが仕事をする水場を離れたアイシスは、早速何か食べられそうな物が無いかと辺りを見渡す。だが、一見しただけでは雑草の茂みや木々が目に入るだけであり、思った程には簡単な仕事ではないという事が分かるだけだった。しかし、その事を知ったアイシスは不敵な笑みを浮かべると、小さな声で独り言ちる。
「面白いわね。それでこそ、というものよ。簡単に終わってしまっては詰まらないものね」
とは言ったものの、このまま漠然と辺りを見渡しているだけでは、食材となる物が見付からないであろう事は確かである。そう考えたアイシスは、先ずは今後の探索の方針を決める事にする。その為に立ち止まって思考を始めたアイシスの背中を、タチバナは水場で洗濯をしながら見ていた。何か助言をするべきだっただろうか。そういった考えが湧いた事は否めなかったが、タチバナは主を信用して見守る事を選ぶのだった。
一方のアイシスは、探し方の方針を決める為に、先ずはどの様な食材を優先して探すかを考えていた。きのこ類であれば木の根元を、果実類であれば樹上や枝の先を探すべきである様に、探すべき場所は欲する食材毎に自ずと異なってくる。無論、例えば樹上を重点的に探す時にも、根元にあるきのこが見付かるという場合もあり、その際にそれを無視するという訳ではない。だが、やはりある程度の方針を決めた方が、効率良く食材を探す事が出来る気がする。その様な理由からの思考であった。
きのこは……美味しいけれど、カロリーが無いから冒険中の食事には向かない気もするわね。それに、毒があったりしても私には区別が出来ないから止めておきましょう。果物は……朝食やデザートには良いけど、昼食の材料としては少し違う気がするわ。お肉は……是非欲しいとは思うし、食べる為であれば狩猟もやむなしという話にはなったけれど、流石にこの手で……というのは気が引けるわね。
その思考の一部を声に漏らしながら、アイシスは探すべき食材の選定を進めていく。暫しの時を経て、アイシスはこれから狙う食材を決めるのだった。
「よし、取り敢えずは豆を探す事にしましょう。そうそう都合良く生えているかは分からないけど、肉類を探せない以上は蛋白源として悪くない筈だわ」
自身が決めた方針を、アイシスは意図的に言葉として出力する。それは目移りしてしまいがちな自身への戒めであると共に、自らを鼓舞する為の決意表明の様なものでもあった。それが功を奏したかは自身でも分からなかったが、アイシスはこの仕事への情熱が胸の中で滾っている事を感じていた。
斯くして、アイシスは改めて食材を探す為に歩き始める。幸いな事に、アイシスは豆を探すという作業は既に経験済みであり、目を付けるべき場所も概ね把握出来ていた。木の幹や枝に這う蔦を探せば良い。それは以前碧豆を探した時に得た教訓だったが、同じ時に得たもう一つの教訓もアイシスは覚えていた。でも、それはあくまで碧豆という種類に限った話。先入観に縛られず、豆が在りそうな場所は全部探さないと。
その様に考えたアイシスは、木の幹や枝に近付いて観察するだけではなく、背の低い茂みにも目を向けて辺りを歩き回る。そうして豆を探す事に夢中になったアイシスは、ふと水場から離れ過ぎてしまいそうになるが、寸前でそれに気付くと歩く方向を変える。先程タチバナはその事について言及はしなかったが、それは自身を信用しての事だろう。そう思っていたアイシスには、それを裏切る様な事は決してしたくはなかった。
そうして辺りを探し回るアイシスであったが、豆を含む食材の類は中々見付からなかった。方針を誤ったのか、それともこの辺りには食料になり得る物が殆ど存在しないのだろうか。その様な考えが、アイシスの頭の中に浮かび始めた頃であった。
アイシスがその視界に捉えたのは、眼前の木の幹を這う、どことなく見覚えがある緑色の蔦だった。思わず湧き上がる興奮を極力抑えながら、アイシスは更に近付いてその正体を確かめる。そうして改めて目に入ったのは、紛れもない碧豆の姿だった。
「ああ、良かった。任せて、とか格好良く言ったのに、何も見付からなかったらどうしようかと思っていたわ」
漸く目当ての物を探し当てた事による興奮と、何の収穫も得られないという結果を逃れる事が出来た事による安堵。それらを同時に感じたアイシスは、深く息を吐いてから早口にそう独り言ちる。そして、漸く見付けたそれを手で採取すると、落とさぬ様にしっかりと、だが潰してしまわぬ程度の強さで握り締める。
だが、目的の物を入手したとはいえ、未だその量が不足している事は明白である。そう考えたアイシスは再び豆を求めて歩き出すが、その足取りは先程よりも軽かった。取り敢えずは食材を入手出来たという事もさることながら、自身が決めた方針が間違っていなかった事による自信が大きく影響しているのだった。
柳の下の泥鰌の故事の様にはならず、自らの仕事に自信を得たアイシスは次々に碧豆を手に入れていく。疎らに生えている木々を巡っては、偶にその幹に存在する豆を毟る。それだけの作業ではあったが、穏やかな陽の下で行うそれが、アイシスにとっては本当に楽しい事なのであった。