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第153部分

 二人が長期の旅をする為に必要な荷物を両腕に抱え、更には助走すら付けていないにもかかわらず、アイシスよりも高く、そして優雅な跳躍を見せたタチバナは、音を殆ど立てずにアイシスの前に着地する。すると、先程のアイシスの言動によりその生涯でも初めて向きになっていたタチバナは、身体能力の差を誇るかの様にしたり顔でアイシスの方へと視線を向けるのであった。


「凄い! 流石はタチバナね。助走無しで跳び越えるのはまだしも、その重さの荷物を持ったまま跳び越えちゃうなんて。……ああ、それと、荷物を置いて来てしまってごめんなさい」


 だが、アイシスはその表情の変化に気付かなかった事もあり、タチバナの思惑とは異なり素直にタチバナを称賛すると、荷物の件についても素直に謝罪する。それによって自身の大人げの無さに気付いたタチバナではあったが、あくまで自身の内心での事という事もあり、何も無い風を装って口を開くのだった。


「……ありがとうございます。荷物については、この様な場合にお嬢様をお助けする事が私の役目ですので、どうかお気になさらないで下さい」


「ええ、ありがとう。それじゃあ、早速水を水筒に汲んで……と思ったけど、本当に飲んで大丈夫な水なのよね?」


 タチバナの言葉に軽く礼を言うと、アイシスは話題を飲み水の事へと切り替える。取り乱す程に喉が渇いている訳ではなかったが、新鮮な水を目の前にして我慢し続けられる程の余裕がある訳でもなかった。だが、それでもアイシスは念の為にタチバナにその安全の判断を任せる。万が一にでも、この期に及んで腹痛で旅が中断される様な事は避けたかった。


「少々お待ち下さい」


 アイシスの言葉を受け、タチバナは水辺の至近にまで移動してその様子をまじまじと探る。水の透明度は十分であり、内部や付近に獣の死骸や糞等も見当たらない。その水の湧出の仕方を見ても、地下水が湧き出ていると考えて良さそうである。自然の水である限りは完全に安全と言い切る事は出来ないが、そうである可能性は高い様に考えられた。


「そうですね。特に問題は無い様に思われますので、お飲みになって構わないかと存じます」


 その様な思考を経たタチバナであったが、主に無用な心配をさせぬ為、結論だけを敢えて言い切って口にする。無論、完全に安全な水が確保出来るのであればその方が良いが、旅をしている限りその様な事は不可能である。どちらにせよ水分の補給は必須であるのだから、比較的安全と思われる場所で行うしかない。その様な思考……もとい事実に基づいての判断であった。


「ありがとう、安心したわ。此処まで来て、汚染されてるから飲めません、なんて事になってたら大分辛かったからね。それじゃあ……」


 タチバナの言葉を聴いたアイシスは、心配げだった表情を一気に明るくさせてそう言うと、ポーチから水筒を取り出し、僅かに残っていたその中身を地面へと捨てる。そして空になった水筒を水場へと沈めると、半分程にまで水を入れてその内部を濯ぎ、その水をまた捨てる。それを二度程繰り返すと、漸くアイシスは水筒一杯にまでその湧き水を汲むのであった。地下からの湧き水は冷たく、そこに手を浸す事は中々に辛かったが、この後にそれを飲む事を考えると、寧ろ良い事である様にアイシスには思われた。


「うう、流石にちょっと冷たいわね……と、ありがとう」


「いえ」


 とはいえ、自身の右手がすっかりと冷えてしまったのは事実である。アイシスがそう思って独り言ちながら自身の手を振って水気を飛ばそうとすると、タチバナがそっと乾いた布をアイシスへと差し出す。アイシスは礼を言いながらそれを受け取ると、それで自身の手と水筒を拭いながら、タチバナへの評価と信頼と感謝の念を更に増加させるのであった。


 そうして手と水筒の水気を拭き取ったアイシスは、再び礼を言いたい気持ちを抑えて布をタチバナへと返す。そう何度も主が従者に礼を述べていては、却って恐縮させてしまうかもしれない。そう考えての事であった。尤も、それでタチバナが実際に恐縮したりする事は無いのだが、タチバナがそれを不要だと思っている事は確かだった。


「それじゃあ、いよいよ飲むわよ。どれどれ、此処の水のお味は……」


 この世界で井戸水や湧き水を飲む度、アイシスはそれを美味しいと感じてきた。それ故にこの場面では自然と期待が高まったアイシスは、水を飲むだけにしては高いテンションで独り言を口にしながら水筒の蓋に水を注ぐと、うきうきとしながらそれを口許へと運び、そして口にする。


 美味しい。概ねの予想通りにそう感じたアイシスだったが、それを口にする事もなく次の一杯を口に含む。ただでさえ喉が渇いていれば大抵のものは美味く感じるものであるが、そこに丁度良く冷えた天然の地下水を流し込んだとなれば、アイシスが最早本当にただの水であるのかと思う程に美味に感じたのも無理はなかった。


「喉が渇いていたのは分かりますが、未だ昼食も控えておりますので、あまり飲み過ぎてしまわぬ様にお願い致します」


 タチバナが珍しくそう諌言する程に、アイシスはあまりに美味しそうに水をごくごくと飲んでいた。

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