第148部分
一口目よりも二口目の方が、一つ目よりも二つ目が。食べ進める毎に少しずつ舌が慣れて来たアイシスには、食事の後半になるに連れて緑果の味が良くなった様に感じられた。強い酸味にばかり意識が行ってしまいがちだが、果物らしい甘味もそれなりには含まれている。二つ目の二口目を口に入れた頃、アイシスは漸くその事実に気付いていた。
「ごちそうさまでした」
そう口にする直前には、アイシスの緑果に対する評価は当初から随分と変化していた。確かに酸味が強くはあるが、果物の一種として十分に味を楽しむ事が出来るものであり、先程の自身のリアクションは明らかに過剰である。改めてその様に緑果を評価したアイシスは、それならば何故先程はあの様な反応をしてしまったのかを考える。そう時間を掛ける事もなく、少女はその答えを推測する事が出来た。
ああ。そう言えば、強い酸味のある物なんて暫くは食べた記憶が無かった。その為に、久し振りの刺激を自らの感覚が少し大袈裟に捉えてしまったのだろう。少し前に同じ緑果を食べはしたものの、あの時は訳があってより強く酸味を感じていた為、逆に舌が麻痺していたのかもしれない。それらが正しい推測かは誰にも分からない事だったが、当の少女はその考えで納得する事にしたのであった。
「ごちそうさまでした。それでは、私は直ぐに片付け等をして参ります……が、お嬢様ご自身のナイフは、申し訳ありませんがご自分でお手入れをお願い致します」
タチバナは主に続けて食後の挨拶を済ませると、早速仕事に取り掛かろうとする。タチバナがその際にアイシスにも仕事を頼んだ事は、それがアイシス自身の物についてであるとはいえ、両者共に珍しいと感じる事であった。にもかかわらず敢えてそうしたのは、諸事情により食事の準備が普段よりも遅れていた為である。そう表面上では考えていたタチバナであったが、アイシスがある程度の事を自分でやりたがっている事に気付かぬ程、その感性は鈍くはなかった。
「……ええ、分かったわ。それじゃあ、これはよろしくね」
驚きから少々の間を空けつつも笑顔でそう言うと、アイシスは自らが使用した皿をタチバナへと差し出す。それが無事に受け取られた事を確認すると、今度はトレーの上に放置されていた自身のナイフに手を伸ばす。だが、アイシスはそこで手を止め、そのナイフの事をまじまじと凝視する。この世界で目覚めた時点から、既にこの衣服に鞘と共に取り付けられていたナイフ。それ故に、今までは特に気にする事も無かったが、先程それを初めてまともに使用した為か、アイシスにはそれの事が妙に気になったのであった。
先程の緑果の皮剥きの際に殆ど力を込める必要が無かった事からも、少なくとも優れた切れ味を有した業物である事は分かる。巷で名が知られている程の家の令嬢が旅に出たのだから、その時にはそれなりの物を持たされるのは当然だろう。この衣服だって、確か魔力が込められているとか何とか、鍛冶屋でタチバナが言っていた気がする。そんな事を考えていると、アイシスの興味は次第に移ろっていった。
これらの装備は、誰が用意したのだろうか。それを推測する為の手掛かりは決して多くはなかったが、少女は今までの記憶からそれを推理していく事にする。近くで作業しているタチバナに尋ねれば数秒で解決する問題ではあったが、それは野暮な事だと少女には感じられた。尤も、少女がかつてミステリーも愛読していた事が、その行動に影響していないとは言えないが。
先ず最初に考えられたのは、父親を始めとする家族であるという説であった。だが、それを少女は直ぐに否定する。それ程に裕福な家庭であるならば、家族は費用を工面するだけで、実際の業務は使用人にやらせるだろう。そう考えられた為だが、それならば、その中の誰がそれを行ったのだろうか。だが、それ程の家であれば使用人の数も多く、特定は困難を極めるだろう。
ミステリー好きを気取ってその様な似非推理を楽しんでいた少女であったが、実の所はその解は既に薄々とは推測出来ていた。使用人の数がどれ程膨大であろうと、その中で冒険に対する知識に秀でている人物は限られている。そして、年頃の娘の衣服を用意するのであれば、同性で年齢が近い者の方が向いているだろうが、双方に該当する人物などそうはいない。つまり――
そこまで考えたアイシスが横目でちらりと視線を向けると、タチバナは既に朝食の片付けを終えてテントを畳んでいる所だった。それを見たアイシスは慌てて思考を打ち切ると、付近の濡れた布に手を伸ばす。それを用いてナイフに付いた果汁等を拭き取りながら、アイシスは思っていた。そこまで強固な根拠がある訳ではけれど、この推測が当たっていたら……嬉しいな。
水拭きをした事でナイフに付いた水分をどうすべきか。気を取り直したアイシスがそう思って付近を見渡すと、トレーの傍には乾いた布も置かれていた事に気付く。いつの間に、と思いながらもその布でナイフの水分を拭き取ると、アイシスはそれを腰に付いた専用の鞘へと納める。そして何気なくタチバナの方へ再び視線を向けると、そこには既にテントは跡形も無いのであった。