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第147部分

 そのアイシスの言葉の意図を直ぐに理解する事は出来たが、そうする事に何の意味があるのかはタチバナには分からなかった。タチバナから見れば、どの緑果を食そうともそこに違いは無いに等しく、先程の提案もタチバナなりにアイシスの事を考えてのものであった。故に、アイシスの提案に反対する理由はタチバナには毛頭無かったが、思考を停止してただ従う事は何故だか憚られた。


「無論、お嬢様がそれをお望みであるならば私は構いません……が、それこそ折角ですので、その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」


 以前の自分であれば、この様に主の行動の意図が理解出来ずとも、それを本人に尋ねようなどとは考えなかっただろう。そうは思いながらも、タチバナはその言葉を呑み込む事は無かった。タチバナがその様な質問をするという事、それ自体がアイシスにとっては意外ではあったが、その内容についても同様であった。


「え? 自分が剥いた物は折角だからタチバナにも食べて欲しいし、折角タチバナが剥いてくれたものは自分でも食べたいじゃない」


 だが、タチバナが自身の考えを知る為に質問をしてくるという事は、アイシスにとっては嬉しい事である。特に隠す必要がある様な情報でもない為、アイシスは素直に答える。その答えをアイシスがさも当然の事を語るかの様に口にした事で、タチバナは自身の無知を思い知る。


 とはいえ、自身の特殊な生い立ちを考えれば仕方が無い事でもある。先程の様に自身がアイシスに何かを教える事があれば、自身がアイシスから学ぶ事もあり、それは何もおかしい事ではない。その様に考えている事からも分かる通り、タチバナは自身がアイシスより優れた人間であるなどとは思っていなかった。


「……成程、そういうものなのですね。ご教授頂きありがとうございます。それでは、いい加減に朝食を頂くと致しましょう」


 自身の様な考え方は一般的ではないかもしれない。タチバナの反応から少しだけその様な不安を抱いたアイシスだったが、直ぐにそれを振り払う。この様な事に正解なんてものが在る筈はなく、どう感じるかは人それぞれの自由である。だとすれば、偉そうにタチバナに答えたのは何だったのかという話になるが、あれは私がそう思った理由を尋ねられただけなのだから問題は無いだろう。


「そうね。それじゃあお皿を……ありがとう」


 その様な思考を辿った後、意識がすっかり食事の方へと傾いたアイシスがその用意をしようとすると、既に皿を用意していたタチバナがそれをアイシスへ手渡す。相変わらずの仕事の速さだ、と半ば呆れながらそれを受け取ると、アイシスはトレーから緑果を二つ取ってそれに載せる。二つの果実の外見の差がそれ程大きくは感じられず、アイシスは自身の仕事に少しだけ自信を持つ事が出来た。


 タチバナも同様に自らの分を皿に取ると、自身の席へと移動する。そうして両者が席に着いた事で朝食の準備は整ったのだが、アイシスはそれまでの過程の時程にはテンションを上げる事が出来ずにいた。


「それじゃあ、頂きます」


「頂きます」


 やや抑えめの声でアイシスが食前の挨拶をすると、タチバナもそれに続く。先程までよりもアイシスの元気が無い事がタチバナには気になったが、その理由は概ね推測する事が出来ていた。先日の件が尾を引いているのだろう。そのタチバナの推測は正しく、アイシスは目の前の果実の味には良い思い出を持っていなかった。


 いえ。確かにこの前は酷い目に遭ったけど、あれは甘い果実の後に食べたからの筈。そう自身に言い聞かせて緑果を手に取ると、アイシスは思い切ってそれに噛り付く。その直後だった。


「すっ! ぱい!」


 そう叫びながらも、アイシスは何とかそれを吐き出さずに堪える。その様子を向かいで見ていたタチバナも、口から果汁を吹き出してしまう事を何とか堪えていた。アイシスが酸味に耐えながら何とか口の中の物を飲み込んだ時、丁度タチバナも一つ目の緑果を嚥下し終える。


「何よ? 話が違うじゃないの! 別に単体でも物凄く酸っぱいじゃない!?」


 ぷりぷりと怒りながらアイシスがそう言うと、タチバナは再び吹き出しそうになる事を強靭な精神力で無理やりに抑える。主に対して不敬であるとは思いつつ、タチバナはそのアイシスの様子を見ていると、愉快な気持ちを抑える事が出来なかった。


「……申し訳ございません。お嬢様がそれ程までに酸味に弱いとは存じておりませんでした。よろしければ、代わりの食物をご用意致しましょうか?」


 気を取り直したタチバナがそう提案すると、アイシスは目の前の緑果を見つめて考え始める。正直に言えば、残りの緑果を全て食べるのは少々辛い。だが、これを用意するまでの過程を考えると、それらをふいにしてしまう事はあまりに勿体なく思えた。


「いえ、大丈夫。予想より酸味が強かったから驚いただけよ」


 そのアイシスの答えが真実ではない事は、タチバナも薄々と気付いてはいた。だが、それがアイシスの意思であるならば、尊重する以外の選択肢はタチバナには無い。


「かしこまりました」


 タチバナはそれだけを答えると、自身の食事へと戻る。二つ目の緑果をそのまま口に放り込むと、自身が味わうものと同じ酸味と格闘するアイシスを、先程とはまた異なる感情と共に見守るのであった。

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