第132部分
昼食時には川魚の淡白な味わいに夢中になっていたアイシスだったが、多くの若者がそうであるように、彼女もまた肉を愛する人間の一人である。程良く脂の乗った野鳥の腿肉の旨味とパンの甘味に、塩味と昼食の時には使われていなかった香辛料の風味が絶妙にマッチしており、野草の弱い苦味がアクセントとなってそれらを更に引き立てている。等と脳内で謎の食事レポートをしながらも、アイシスは夢中になって夕食を食べ進めるのだった。
そんなアイシスの食事の様子を、例によって既に巨大バーガーを完食したタチバナはいつもの様に見守っていた。先程その事を恥ずかしいと思っていた筈のアイシスだったが、全くそれに気付いてはいなかった。それ程までに夢中になって自作の料理を食べているアイシスの姿を、こうして眺めている今は悪い時間ではない。その様に考えたタチバナであったが、その考えを自ら即座に否定する。この時間は非常に得難い、かけがえのない時間なのだろう。そんな事をタチバナは思うのだった。
「ご馳走様でした。今回のも凄く美味しかったわ! タチバナって料理の才能も凄かったのね」
夕食のバーガーを食べ終えたアイシスが、高めのテンションを保ったまま称賛の言葉を口にする。アイシスがそう思っていた事を、タチバナはその表情等から既に察してはいた。だが、こうして改めて言葉にされると、また別の感情が湧いてくる。その事を、タチバナはこの時初めて理解したのだった。
「……いえ、素材が良かっただけではないかと存じます」
少々の間を空けてから、タチバナは謙遜とも受け取れる言葉を返す。だが、それは紛れもない本心からの言葉であった。手先を用いる部分についてはアイシスの言う通りかもしれないが、調理の際に工夫を凝らしたり、調味料の組み合わせで複雑な味わいを作ったり等という事を、自身は試みようとさえ思わない。その様な考えから、タチバナは自身に料理の才能がある等と考えてはいなかった。
「いや、まあそれもあるとは思うけど、良い素材を美味しく料理するのが才能ってものなのよ。少なくとも、私が作ったらああはいかなかったのは間違いないからね」
アイシスはその返答を、前半は本心だが後半は一種のユーモアとして口にしていた。そもそも経験が無いのだけど、という様な言葉を続ける事でオチを付けるつもりなのであった。だがアイシスの意図に反し、その言葉はこの段階で既にタチバナへの強力な説得材料となっていた。
それは少女の知らない、タチバナとアイシスの過去の記憶の影響によるものであったが、結果としてアイシスの言葉はタチバナの認識を改めさせる事に成功したのだった。
「……そうかもしれませんね。しかし、仮にそうであるとしても、その才に溺れぬ様に精進して参りたく思います」
えっ、私へのフォローは無し? そのタチバナの言葉を聞き、アイシスが最初に思ったのはそれだった。とはいえ、タチバナが自身の料理の才を認めてくれたのは確かなのだから、良しとして置こう。そう考えたアイシスであったが、若干の釈然としない気持ちは残るのだった。
「……主の称賛を受け、自らの才を自覚しながらも、更なる研鑽を口にするとは。流石はタチバナ、天晴れな心意気よ!」
その結果、アイシスは妙なテンションで更に妙な言葉を発するのだった。タチバナには一部の単語の意味は分からなかったが、文脈から自身を褒めているという事は読み取る事が出来た。また、タチバナはその口調に若干のぎこちなさを感じ、その理由も分からなかったが、何かあればアイシスが自分から言うだろうと気にしない事にするのだった。
「ありがとうございます……と、もう随分と暗くなって来てしまいましたね。そろそろ片付けをしてしまいますので、お嬢様は楽になさっていて下さい」
そのタチバナの言葉を聞いた事で、アイシスは漸く気分を切り替える。このタチバナが主をフォローしなかったのだから、きっと何か理由があるのだろう。そう考えて先の件は水に流し、これからの事を考える事にする。
「分かったわ、お願いね」
そう言ってアイシスは自身の皿をタチバナに渡す。片付けとは言うが、この様な水源の無い場所でどうするのだろうか。ふとその様な疑問が頭に浮かぶが、アイシスは取り敢えずそれを脇に退けて歯を磨く事にする。どうせいつかする事であれば、早いうちに済ませてしまった方が良いだろう。アイシスにはそう思えた。
特に理由がある訳ではないが、歯を磨く姿を見られたり、音を聞かれたりするのは恥ずかしい気がする。その様な思いを日頃から抱いているアイシスは、今日もテントの陰に移動してから歯を磨き始める。そう言えば、鏡が無いから細かい所は磨けているか分からない。そんな事を思いながら、アイシスは自身の口内衛生を保つ為の努力をするのだった。
歯を磨き終えたアイシスが竈の方に戻って来ると、タチバナは既に片付けを終えて休んでいる様だった。相変わらず仕事が早過ぎる。そう思いながら何か声を掛けようとしたアイシスだったが、タチバナの視線がやや上を向いている事に気付くと、それを思い止まるのであった。