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第129部分

 アイシスはこれまでも、出発の直後は高いテンションにより比較的速い速度で歩いていた。そして現在、アイシスはそれらと比べても明らかに速く歩を進めていたが、タチバナにとっては単独時の通常の歩行速度程の速さであった。アイシスがタチバナの返事を待たずに歩き出した為に多少出遅れてはいたが、これまで通りに苦も無くすっとその右側に並ぶ。とはいえ、これ程飛ばしてしまってアイシスは大丈夫なのだろうか。そう深刻にではないものの、タチバナは若干の懸念を抱くのだった。


 そんなタチバナを横目に、アイシスは情熱を燃料にしてその足を踏み出していく。かつて長い時間を過ごした病室では決して見る事の出来なかった、色彩豊かな景色。初めて聞く小鳥の囀りや初めて嗅ぐ草の匂いに、感動さえ覚えたタチバナの料理。そして、魔物との戦いを始めとした、その心を揺り動かす様々な事件。


 この旅を通してそういった様々な経験を味わってきたアイシスは、決して冒険に飽きたりはしていなかった。未だ見ぬ様々な光景や出来事への希望によってその胸は膨らみ、既に味わった経験の繰り返しにさえその胸を躍らせていた。タチバナとの何気ない時間も、アイシスにとってはかけがえのない宝物と言っても良い程であった。


 だが、目的地が明白に決まっているにもかかわらず、そこから離れ続けなければならないというこの北上には、アイシスは心底辟易としてきていた。漸くそれの終わりが見えるとなれば、たとえその可能性があるというだけの話であっても、アイシスがその為に全力を傾けるには十分な理由であった。


 無論、アイシスがそうするのは、その様な後ろ向きな理由だけによるものではない。北上が終わるという事は、南下が始まるという事である。則ち、進めば進むだけ目的地に近付くという事であり、同時に目標への道筋が明確になるという事でもある。それが目前に迫りつつあるのであれば、アイシスの気が逸るのも無理はなかった。


 概ね同様の事を考えていたタチバナであったが、主を諫めようとは思わなかった。明らかに無謀な試みでもない限りは、可能な限りアイシスの自由にして貰いたい。この様に気が逸れば、その分注意は散漫になってしまうだろうが、その点は自身が補助をすれば良い。その様に考えたタチバナは、冷静に周囲の状況を把握しながら、アイシスの隣を速足で歩くのだった。


 そうして歩を進めていったアイシス達であったが、幸運な事に魔物と遭遇する等の危機が訪れる事は無かった。多少足元が不確かな場所や見えにくい位置の木の枝等、タチバナがアイシスを心配する場面はあったが、アイシスは気が逸りながらも、そういった周囲の状況への注意も忘れてはいなかった。その事に、タチバナは未だ主を見くびっていたのかと内心で反省するのだった。


 更に時が流れ、西の空がやや色付き始めた頃であった。

 

「タチバナ、どうかしら? そろそろ西側の森は入れそうになって来た?」


 流石に疲れを感じ始めたアイシスが、一縷の望みを掛けてタチバナに尋ねる。もしそうであれば、既にタチバナが言っている筈である事はアイシスにも分かっていた。だが、走っていた訳ではないとはいえ、アイシスはそれに準ずる速度で長時間移動を続けてきた。身体能力にはそれなりに秀でた身体ではあるものの、その様な経験をした事が無い少女には精神的な疲れが先に表れたのだった。


 アイシスの言葉や様子から、タチバナもその疲れを察する事は出来ていた。その問いに対して否と答える事は簡単だったが、タチバナは慎重に言葉を選ぶ。アイシスの奮起によって自身の想定よりも距離を稼ぐ事が出来たが、未だ西の森には入れそうにはない。だが、それをそのまま伝えては、アイシスを失望させてしまう可能性が高い。


 元々は自身の見通しの甘さが招いた事態ではあるが、それによってアイシスが奮起した事も、そのお陰で想定以上に先に進む事が出来たのも事実である。であれば、恐らく本人もそれを望まない事を考えると、謝罪は不要であろう。その様な思考を経て、タチバナは主の問いに答える為に口を開く。

 

「……いえ、未だ難しい様に思われます。とはいえ、街を発った当初よりは険しさが薄れてきているのは確かですので、そろそろ北西に進路を取るというのは如何でしょうか」


 主の問いに対して偽りを述べず、かつその熱意を冷ましてしまわぬ様な返答を。そう考えた結果、タチバナは進路の変更を申し出る。いずれは西に行く必要があるのだから、それをアイシスの動機付けに用いてしまおうという、やや狡猾とも取れる発言であった。


「そうね、そうしましょうか。それじゃあ、陽も傾いてきたから、北西に向かいつつ可能な限り水源を探しましょう。未だ水量に多少は余裕があるから、暗くなりそうになったら諦めてテントを張ってしまえば良いわ」


「……かしこまりました」


 そう言ったアイシスのテンションは、流石に先程までよりは大分落ち着いていた。だが、タチバナの発言が功を奏したのか、失望しているといった風ではなかった。その事に安堵しつつ、タチバナは主の言に従って周囲を探るのだった。

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