第125部分
二切れ目を飲み込んだ後、アイシスはふとある事を思い付く。箸を皿に置くとパンを真ん中辺りから手で開き、その間に箸で魚の切り身と野草を全て挟む。アイシスは一体何をしているのか。それを眺めていたタチバナはそう思ったが、当の本人はノリノリでその作業を行っていた。
こうすれば、魚の旨味と共にパンや野草を頂く事が出来る。我ながら良い案だわ、名付けてアイシスバーガーと言った所ね。そんな事を考えながら、アイシスがそのパンに噛り付いた直後であった。
「んんん~!」
アイシスは目を閉じると、再び奇妙な声を上げながら首をゆっくりと横に振る。魚の旨味と共に、パンの甘味と野草の風味が同時に口内に広がり、魚のみの時とはまた別の味わいがアイシスを心から喜ばせる。味付けは魚への塩と少々の香辛料のみであったが、それだけでもアイシスは十分にそれらの味を楽しむ事が出来ていた。
アイシスが行った食べ方は、タチバナの認識では一般的ではないものであった。それ故に、最初はタチバナも怪訝な思いでそれを見ていたが、その後のアイシスの様子を見てタチバナはその認識を改める。あの食べ方は、どうやら味を損ねる様な事は無いらしい。それに、全てを同時に食す事が出来るので時間短縮の面でも優れていると言えるかもしれない。そんな事を考えながら、タチバナは満面の笑みを浮かべて更に食べ進むアイシスを眺めていた。
その後も、アイシスは自作のバーガー擬きを、あまりの美味しさにやや咀嚼が足りない様子で食べ進めていった。その様な食べ方をした事もあり、最後の一口が訪れるのにそう時間は掛からなかった。その瞬間、それを口にすれば食事が終わってしまうという名残惜しさと、一刻も早くまたその味を楽しみたいという欲望がアイシスの中でせめぎ合う。今回の食事はアイシスにとってそれ程に素晴らしいものであったが、その結論が出るのに時間は掛からなかった。
少しでも冷めないうちに食べてしまおう。そう思ったアイシスは、最後の一口を早々に自らの口に押し込むと、目を瞑ってその味へと集中する。リアクションこそ当初より小さくはなっていたが、この食事の間に既に何度も味わってきたにもかかわらず、その味への感動は薄れる事はなかった。
「ご馳走様でした。タチバナの料理はいつも美味しいけれど、今日のは特に美味しかったわ。やっぱり、新鮮な物は違うのかしらね?」
最後の一口を飲み込んだアイシスが、普段より高いテンションで食後の挨拶を済ませる。そしてそのまま味の感想を素直に述べるが、ストレートに褒められる事に慣れていないタチバナは直ぐそれに反応する事が出来なかった。
「……そうかもしれませんね。これまでに良く食べていた干し肉は、あくまで保存食でございますので」
そう答えながらも、タチバナは考えていた。食事とは生きる事に必要な栄養を補給する為の行為であり、その味はさしたる問題ではない。それがタチバナの、食に対する本来の考え方であった。だが、それは間違いなのかもしれない。この旅でアイシスの食事する姿を眺めているうちに、タチバナはそう考え始めていた。そして今日、アイシスが今までよりも更に強い感動をその身で示した事で、タチバナのその思いは更に強くなっていた。
無論、タチバナとて味覚が無いという訳ではない。寧ろ、以前本人が言った五感を鍛えていたという言葉の通り、その味覚も他の感覚と同様に鋭いものである。それ故に、各食材や調味料等の味わいも詳細に感じ取る事が出来ていたが、それをあまり気にしていなかったというだけである。
だが、それは勿体ない事であったのかもしれない。目の前であれ程に喜びを露わにするアイシスを見続けた事で、タチバナの中にその様な考えが芽生えたのだった。アイシスの言葉を反芻する様に、タチバナは直前の自身の食事の味を思い出す。自身は味を気にしていなかったとはいえ、主に出す為の物でもあるのだから、その調理や味付けは確かなものであった。
そうして思い返してみると、そもそもが肉と魚で違う素材である事は抜きにしても、今日の昼食は確かに干し肉等よりも美味であった気がする。その様にタチバナは思ったが、時間が過ぎた今では流石にその要因までは分からなかった。より厳密には、その確信を持つには至らなかった。
だが、こうして振り返ってみた事で分かった事もある。自分は確かに味についてそれ程気にしてはいなかったが、それを美味だと感じてはいたらしい。こうして過去の食事との味の比較が出来ている、という事自体がその証左である。
そこまで考えた所で、タチバナは小さく笑みを浮かべる。この私が、食事を十分に楽しんでいなかった事を「勿体ない」等と思うとは。それはその様な、かつての自分と比較しての自嘲的な意味を込めた笑いではあったが、反面タチバナは悪い気分にはなっていなかった。
アイシスと旅を始めて以降、自身には様々な変化が訪れた。それは、殆ど完璧であるとさえ思っていた自身が、決してそうではなかった事の証明でもある。だが、それは悪い事ではないのだろう。思えば、自身は未だ二十にも満たぬ若造であるのだから、変化や成長をする余地は未だ十分にある。それを気付かせてくれたのは……。
そんな事を考えながら、タチバナはアイシスを眺めていた。