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第124部分

「ええ。直ぐに行くわ」


 妙に元気良くそう答えると、アイシスは声がした方へ振り返る。竈の辺りから何やら煙が上がっているのが目に入るが、風向きの関係でその匂いはアイシスには届かなかった。さて、あの魚達はどの様に調理されたのだろうか。それを予想しながら、アイシスはタチバナの元へと向かう。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 アイシスがある程度まで近付いた時、タチバナが振り返って言う。逆側を向いて作業をしていた筈なのに。そう思ったアイシスだったが、タチバナの能力の高さについてをあれこれ気にする事はもう止めにする事にしていた。代わりにという訳ではないが、その目に映った光景のある部分が、アイシスには気になった。


「ただいま。ところで、魚は串焼きではないのね。何となく、外で捕った魚はそうやって食べるイメージがあったのだけれど」


 それは火元の近くにその様なものが見当たらなかった為に、アイシスが何気なく発した言葉だった。だが、それを聞いたタチバナは作業の手を急に止めると、固まったまま口を開く。


「……そうした方がよろしかったでしょうか。骨や頭部等の処理や食べ易さを考慮して、既に解体して調理してしまったのですが」


 そのタチバナの口調は普段通りのものであったが、その動きや雰囲気から、自身が言った事を気にしているのはアイシスにとっては明白だった。それはアイシスにとって非常に意外な反応だったが、そんな事を考えている場合ではないと慌てて口を開く。


「いえ、別にそういう訳じゃないわ。そういうイメージがあったというだけで。寧ろ、そういう配慮をしてくれた事に礼を言いたい位よ」


 やや早口でアイシスが言う。タチバナのそれとは違い、こちらは内心の焦りが滲み出た口調となっていた。タチバナにはアイシスが何を焦っているのかは分からなかったが、気にしないで良いという意図を察する事は出来た。


「それならば良かったです。既に調理は概ね完了しておりますので、お席に着いてお待ち下さい」


「分かったわ」


 タチバナの言葉に素直に従い、アイシスは例によってそこらで用意した石である、食事用の席に向かう。調理を含む食事の準備の全てをタチバナに任せる事に、アイシスは未だ抵抗が無い訳ではなかった。だが、本人が自身の従者である事を改めて望んだ以上、それは甘んじて受け入れるべき事だと理解してもいた。


「お待たせ致しました。少々時間的に遅くなってしまいましたが、昼食を頂くと致しましょう」


 そう言ってタチバナが差し出した皿の上には、いつものパンと加熱された魚の切り身、そして付け合わせの野草が載せられていた。アイシスがそれと箸を受け取った時、焼けた魚の香ばしい匂いがその鼻腔へと届く。それによって食欲を刺激されたアイシスは、既に空腹が限界に近い事もあり、一刻も早く食べたいという衝動に駆られる。だが、タチバナを待ちたいという思いがそれを勝っており、それらを手に持ったままタチバナを待つのだった。


 そう時間を掛ける事もなく、タチバナも自身の分を用意して席に着く。その皿にはアイシスの倍程の量の食物が載っていたが、もうアイシスがそれを気にする事は無かった。


「それじゃあ、頂きます」


「頂きます」


 これまでより高めのテンションでアイシスがそう言うと、タチバナもそれに続く。本来であれば、アイシスは先ずは新メニューである魚の観察をする所であったが、今度ばかりはそうもいかなかった。普段よりも遅い時間である事や、生前から数えても久し振りに食す事になる魚の味への期待が、アイシスにそれを真っ先に食す事を選ばせた。


「……」


 それを口にした時、これまでと異なりアイシスはその味の感想を口にする事は無かった。今回はアイシスが真っ先に食べる事を選んだ為に、流石に未だ完食とはいかないでいたタチバナは、それを見て自身の味付けや調理に問題があったのかと一瞬だけ不安になる。だが、その直後のアイシスの表情を見てそれが杞憂である事を即座に理解すると、自身の食事を再開するのだった。


 物凄いにやけ面で魚の塩焼きの一切れ目を飲み込んだアイシスは、直ぐに二切れ目に箸を伸ばす。普段ならば間にパンを食べる事を挟む所であったが、今はこの焼き魚の味への感動が上回っていた。少女は魚が特別好きという訳ではなかったが、捕れたての物を現地で焼いた魚の美味しさは、その生涯に於いても最高に近いものであった。


「んん~!」


 それを口に含んだアイシスは感動から首を横に振り、妙な声を鼻から出しながらそれを味わう。素材が良いのか、調理や味付けが良いのか、普段よりも空腹であるからか、屋外である事や現地で捕ったものである事等のシチュエーションによるものか。その理由は分からなかったが、アイシスには兎に角その魚が異様にと言って良い程に美味に感じられていた。


 その頃には食事を終えていたタチバナは、そのアイシスの様子を今日もただ眺めていた。自身が調理した……今回に限れば食材の調達もした物を、自らにとって最も大切な人がさぞ美味しそうに食べている。それをこうして眺めている今の気分は、タチバナにとって悪いものではなかった。自身が選んだ生き方は、どうやら間違っていなかったようだ。そんな事を、タチバナはぼんやりと考えていた。

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