第123部分
実を言えば、久し振りに食すことになる魚がどの様に調理されていくのかに対して、少女は興味が無い事はなかった。だが、タチバナは自身が料理する姿をあまり見られたくないだろう。何となくそんな風に思えた為、アイシスはそれを遠慮したのだった。幸いであったのは、少女は生きている方の魚にも興味津々であるという事だった。
タチバナが調理する為に魚を運ぶ際に、アイシスは初めてそれ自体に注目したが、自身の記憶にある魚とは少し違った姿をしていると感じられた。とはいえ、少女自身は別に魚に詳しい訳ではない。その記憶にある姿も、入院前にスーパーマーケットで並んでいるものを見かけたり、テレビで紹介されている所を視聴した事があるという程度である。事実、タチバナが仕留めた魚達は、少女がかつて居た世界でも特別珍しい訳ではない、鱒という種に似たものであった。
尤も、アイシス自身は魚の種類分けにそれ程強い関心を持っている訳でもない。先程の魚達を見た時も、綺麗な魚だという事と、見た事が無いという事位しか思っていなかった。彼女にとって魚とは魚であり、その中で種類が幾千以上にも分けられている事も知らなかった。精々、鯵等の良く食べられる魚であれば、いくつかの種類を知っているという程度であった。
だが、その様な細かい分類等への関心は無くとも、アイシスはそれらが生きている姿には強い興味を持っていた。この様な浅い川で暮らしている魚は、何を食べてどうやって暮らしているのだろう。その様な事を考えながら、アイシスは川を間近に覗き込める位置にまで歩いていった。
「思ったより流れが速いわね。所々で飛沫が上がって見づらいわ」
そうして川を覗き込んだアイシスだったが、その直後には思わずそう呟く。良く目を凝らして見ると、比較的穏やかな水面をしている場所であれば魚影らしきものは見える。眼前に広がるのはその様な光景であり、自身が想像していたものとは大分異なっていた。
お魚さんが仲良く泳いでいる姿をゆっくりと観察出来る。その様な想像をしていたアイシスにとっては、目に映るのは期待外れと言っても良い景色だった。だが、それだからこそ思う事があった。この様な視界の中で、水中の魚を正確に捉えて一撃で仕留める。それを成し遂げたタチバナの技量に、改めてアイシスは感服するのだった。
試しに、という事でアイシスは剣を抜き、それを先程のタチバナと同様に構えてみる。その上で川の中を必死で探すと、やがて一つの魚影らしきものが見付かった。アイシスはそれに狙いを定めてみようとするが、光の反射や水面の揺らぎによって、その姿を満足に目で捉える事すら難しかった。そして、アイシスがそうこうしている間に、その魚影は気配を察して泳ぎ去ってしまう。
「……自分で言うだけの事はあるわね」
実際に体験してみたアイシスは改めてタチバナの技量を思い知り、そう独り言ちる。当初から感じてはいたが、この方向でタチバナに追い付く事はやはり難しい。そう考えながら、アイシスは剣を鞘に納める。だが、アイシスはそれを嘆く事はしなかった。
人には向き不向きがある。身体能力や武器を用いた戦闘力がタチバナに及ばすとも、その他の事でタチバナの助けになる事が出来れば良いのだ。現時点でも、私にはタチバナの助けになれる力がいくつかある。そう考えながら、アイシスは自らの荷物の中にある懐中時計を意識する。軽々に使うべき力ではない事は自身とタチバナの共通見解だが、もしタチバナを助ける為にそれが必要な場面が訪れれば、私は迷いなく使う事になるだろう。
その様な事を考えたアイシスは、更に思考を続ける。それに、どれ程能力が高くても、一人の力には限界がある。だから、戦闘に於いても、足を引っ張りさえしなければ力になる事は出来る筈である。その為にはこれからも、これまで通り色々な技術を身に付けていこう。それは戦闘に於いてもそうだし、それ以外の事についても同様である。
その様な思考を経たアイシスは、最終的にこれまでと同様の結論に到る。タチバナと助け合える様になる為には、やはり魔法の習得は必要である。その為には、この旅を無事に成功させなければならない。その可能性を上げる為にも、やはり、これまで通り色々な技術や知識を吸収しながら旅を続けるべきである、と。
曲がりなりにも数日間旅を続け、少なくとも当初よりは成長した自身が出した結論が、それまでの自身を肯定するものであった。その事は、アイシスに少々の自信を持たせるのに十分な理由となる。それらは全て自身の頭の中で完結した出来事ではあったが、それでも、これまで通りで良いという結論はアイシスの心を楽にさせた。
「お嬢様。そろそろ昼食のご用意が出来ますので、よろしければお戻りになって下さい」
不意にアイシスの耳に入ったその声は川の音に紛れてしまい、はっきりとは聞き取る事が出来なかった。だが、その事にアイシスは少々の喜びを感じていた。大きな声を出す事が苦手なのか、それとも不要だと思っているのかは分からない。だが、タチバナも全ての仕事を完璧にこなす訳ではない。その事が、アイシスには妙に嬉しく思えるのだった。