第122部分
アイシスの表情がコロコロと変化している事にはタチバナも当然気付いてはいたが、その理由までは分かる筈も無かった。暫しの間は主の返答を待っていたタチバナだったが、やがてそれが来ない事を察すると視線を川へと戻す。その間にアイシスの思考はエスカレートし、妄想と呼べる域に達していた。
もしかして、屋敷のタチバナの部屋にはファンシーな置物や人形なんかが沢山飾られていたりして。という様な事を、頭の中が花畑と化したアイシスが考えていた頃だった。僅かな水音が響き、それによって我に返ったアイシスがその方向へ目を遣ると、タチバナが二匹目の魚を仕留めた所であった。
妙な事を考えていた所為で、肝心な場面を見逃してしまった。そうアイシスは頭の中で反省したが、その頬は未だ「妙な事」の影響で少し紅潮したままだった。その熱を持った頬を冷ます様な風が川の方から吹いて来た時、タチバナはその魚を川に置いて次の獲物を探し始める。
川岸に新たに置かれた魚が既に動きを止めていた事で、アイシスは先程の出来事が偶然ではなかった事を改めて知り、タチバナの技量に感服する。本人は実戦では役に立たない等と言っていたが、狙った場所を正確に突くという技術は持っているに越した事はないとアイシスには思えた。そこで、少しでもそのコツか何かを掴めないかと、アイシスはタチバナをじっと見つめるのだった。
主からの熱い視線を感じながら、タチバナは次の獲物を探していた。折角だから、次はアイシスに出来るだけ近い位置で見せられないだろうか。そんな事を考えながらアイシスが居る川下の方へ移動していると、都合の良い位置にこれまでと同種の魚が留まっているのを見付ける。やはり、アイシスには運があるのかもしれない。そんな事を考えながらレイピアを構えると、タチバナは獲物に狙いを定めるのであった。
そして数瞬後、タチバナが三度目の突きを川へと繰り出すと、まるで同じ映像を繰り返しているかの様に、動きを止めた魚が水揚げされる。何度見ても見事な業だ。そうアイシスは思ったが、肝心のコツの様な物を学ぶ事は出来なかった。
「あまり捕り過ぎても仕方がありませんので、この程度にして置きましょうか。お嬢様、ご覧になってみて如何でしたか。何か得るものはございましたか?」
タチバナは捕った魚を川岸に置くと、剣に付いた血や水を払いながらアイシスに尋ねる。アイシスが即答をせずにいると、タチバナは懐から布を取り出して剣を拭きながら返事を待った。
「……いえ、貴方の技量に感服するばかりだったわ。ごめ――」
「いえ、お嬢様が気にされる必要はございません。先ず第一に、この様な真似は曲芸の様な物で、先程も申し上げた通りに実戦では然程役には立ちません。何故なら、急所を狙った突きの軌道が多少ずれたとしても、それに準ずる何処かに当たれば実戦では十分だからです。第二に、自分で言うのも如何なものかとは思いますが、私は運動や戦闘に於いて通常の人間は持たない才を持っており、頭で想像した通りの動きを、身体で寸分の狂い無く再現する事が出来るのです。ですので、私と同様の事が出来ないからと言ってご自分を卑下なさったり、それに申し訳無さを感じる必要など一切ございません」
やがてアイシスが口を開くが、そこから謝罪の言葉が生まれそうになるとタチバナが即座に口を挟む。そして、その必要が無い事をやや早口で、だが淡々とした口調で一気に話し終える。その様子にやや圧倒されながらも、そこからタチバナの思いが感じられてアイシスはそれを嬉しく思った。それと同時に、アイシスはタチバナが凄い事を言っていた様な気もしたが、その点については考えない事にするのだった。
「……ありがとう。まあ、私も武器や身体の扱いで貴方に対抗する気は起きないわ。だからこそ……という訳じゃないけれど、私は是非とも魔法を習得して貴方の……じゃなくて、冒険者のパーティーとして出来る事を増やしたいわね」
本人が実際にどうであったかは兎も角、タチバナに懸命に励まされたと感じたアイシスは、照れ臭さを感じながら言葉を返す。その途中で更に照れ臭くなる様な言葉を言ってしまいそうになり、何とかそれを誤魔化しながらも、アイシスの頬はまたも赤く染まっていた。
「……そうですね。その目的の為にも、先ずは速やかに昼食を頂くと致しましょう。私はその準備を致しますので、その間お嬢様はご自由になさっていて下さい」
僅かな間を置いてからこの場をまとめる様な事を言うと、タチバナはレイピアの柄を前にしてアイシスへと差し出す。それを受け取りながら、アイシスはタチバナの言葉から現状と自身の空腹を思い出す。同時に、アイシスはそれが一気に主張を強めるのを感じた。
「ああ、そう言えばそれが目的だったわね。思い出したら一気にお腹が空いてきたわ。それじゃあ、その間は川でも眺めているから、悪いけどお願いね」
アイシスは剣を鞘に納めると、その心中をほぼそのまま言葉にする。特に理由が無い限り、アイシスはタチバナに対してありのままを見せる事に抵抗は無くなってきていた。
「かしこまりました。それでは、少々お待ち下さい」
タチバナは即座に返事をすると、手袋を外して懐へと仕舞う。それを何となく眺めながら、アイシスは魚の調理方法について思いを巡らせるのだった。