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第120部分

「かしこまりました。それではお嬢様。申し訳ありませんが、その剣をお貸し頂けますか?」


 アイシスから魚を捕獲する事の委任を承ったタチバナが言う。その内容が想像もしなかったものであった為、アイシスはそれに返答するまでに少々の時間を必要とした。その間に瞬きを繰り返しながら考えた結果、確かに自分達の手持ちの道具の中には、泳いでいる魚を確保出来そうな道具は他には無い様に思えた。


 言われてみれば、魚を銛で突いて捕るという事は少女の居た世界でも普通に行われている事ではあった。だが、それは自ら積極的に手に入れた情報ではなく、寧ろ残酷に感じられた為に遠ざけていた類の情報であった。それ故に、アイシスはこの場面に於いても、タチバナに言われるまではそれを手段として思い付かなかったのであった。


「……まあ、それは勿論構わないのだけど、意外な申し出ではあるわね。勝手なイメージで申し訳ないけど、貴方は何でもナイフで済ませようとするって思い込んでいたわ」


 無論、今のアイシスは魚を突いて捕るという事に強い抵抗や嫌悪感を抱いている訳ではない。だが、その事に自身の大事な剣を使われる事には、無意識にだが多少なりとも抵抗を感じていた。それが理性に作用した結果紡ぎ出されたのが、この快く了承しているとは言えない言葉だった。


「……お嬢様がそうすべきだと仰るのであればそう致しますが、ナイフとは魚を捕る事に向いてない道具でございますので。刃の部分が短い為に魚が水面の近くに居なければ届きませんし、それでも強引に捕ろうと思えば無駄に腕を濡らす必要が出て参ります。また、ナイフでは刃の幅が大きい為に魚の身体を無駄に傷付けてしまいますが、そのレイピアであれば刃も細く――」


「分かったわ。私が悪かったからもう止めて頂戴。ほら、大事に使いなさいよ」


 タチバナがアイシスの剣を借り受ける必要性を論理的に説明するが、その説教染みた語りに嫌気が差したアイシスはそれを遮る。そしてレイピアを鞘から抜くと、柄の方をタチバナに向ける様にして差し出した。


「ありがとうございます。剣に損傷を与える様な使い方は致しませんので、どうかご安心ください。尤もこの素晴らしい剣であれば、そう簡単に刃毀れ等が起こる事は無いかと思われますが」


 そう言いながら、タチバナはアイシスから剣を受け取る。その受け渡しの際、アイシスは不思議な気分を感じていた。自身の為にノーラが作り、共に何度かの死線を越えた相棒とも言える剣を、信頼する従者とはいえ他人に渡す事への寂寥感に似た感覚。そして、そんな大切な剣を託す事が出来る程に、自身がタチバナを信頼している事への喜びの様な感覚。それらが混ざった様な奇妙な感覚を覚えながら、アイシスはその愛剣を我が子の様に見送るのだった。


「さて、それではいよいよ魚を確保しようかと思いますが、お嬢様は如何なさいますか」


 アイシスのレイピアを右手に持ったタチバナがそう尋ねる。「どうするか」とは、その様子を見るのか、という事だろう。そう受け取ったアイシスは、その答えを出す為に少し深く考える事にする。


 そもそも、タチバナがわざわざそんな事を尋ねたのは自身への配慮だろう。今までの自身の言動は、自分は生物の命を奪う瞬間を見る事を好まない、と思われるに十分なものであった。そして、それにもかかわらずタチバナがあの様に尋ねたという事は、それを見る事にも意味が存在するとタチバナは考えている筈である。


「……勿論、見届けさせて貰うわ。……貴方がその剣を乱暴に扱わないかをね」


 そこまで考えた所で、待たせ過ぎるのも良くないと思ったアイシスは取り敢えずの答えを出す。タチバナがそれに意味があると考えているのであれば、見ないという選択をする理由は無く、その意味を考えるのは後でも良い。そう考えながらの発言だったが、自身があまり気にしていない事をアピールする為にやや冗談味を加えるのだった。


「……かしこまりました。それでは、直ぐに川の方へ向かうと致しましょう。ですが、その際にはお嬢様は少し離れた所からご覧になっていて下さい。魚は陸上の気配にも敏感ですので」


 それを聞いたタチバナはアイシスを川へと誘うと、同時に注意点をアイシスに伝える。その内容自体にはアイシスも納得していたが、その前提が本来はおかしい事にも気付いていた。ギャラリーでしかない自身が近付くだけでも魚が反応すると言っているのに、タチバナ自身はそれを剣で捕らえるつもりである。それはつまり、自身は魚が気付かない程度には気配を断つ事が出来るという宣言に等しかった。


「ええ、分かったわ。それじゃあ、しかと見させて頂くわ、貴方のお手前をね」


 アイシスの了承の言葉を聞き、タチバナは川の方へ歩き出す。その進行方向から実際に魚を捕ろうとする場所を予測したアイシスは、川に近付き過ぎない範囲でそれを良く見る事が出来る場所を探す。なるべく音を出さぬ様にその場所へと歩きながら、アイシスは先程棚上げにした思考の答えに気付いていた。


 タチバナが魚を捕る場面を、こうして見届ける事の意味。それは一つであるとは限らないが、タチバナの技を見て何か学ぶ所を見付ける事が、そのうちの一つなのは間違いないだろう。少なくとも、今の私にはレイピアで水中の魚を捉えるなんて真似は出来ないのだから。

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