第117部分
その言葉を聞いて、アイシスは自身の態度がタチバナに気を遣わせてしまっている事に気付く。当然ながらそれは本意ではない為に謝罪をしたい所ではあったが、その場合にはタチバナに更に気を遣わせてしまう可能性もある。そう考えたアイシスは、少しだけ間を置いてから口を開く。
「……そうよね。少なくとも、私はお金の為に冒険をする訳ではないからね」
そう言うと、アイシスは少し大袈裟に笑ってみせる。それが作りものである事はタチバナにも筒抜けではあろうが、少なくともその意図は伝わるだろう。そう考えての行動だった。
「……そうですね。ですが、お金が大切なのは事実ではございます。お忘れかもしれませんが、我々の懐事情は現在の所、相当に心許ないものとなっておりますので」
アイシスは気遣いが無用であるという旨を伝えたかったのだろう。その言動の意図をそう推測したタチバナは、冗談染みた言葉によって自身からも同様の意図を伝える事を試みる。以前の自身であればその旨を明言するか、或いは黙したままでいただろう。そう考えると、やはりアイシスと同様に自身も変化しているようだ。そうタチバナは思うのだった。
「ああ、そう言えば散々に散財していたわね。良いお金の使い方だったとは思うけど、今回の冒険で多少なりお金になる物を持ち帰らないと不味いわね。何だかんだ言っても、私達はそれなりに魔物を倒して来た気がするけど、何かそういう物は無かったのかしら?」
タチバナと同様に相手の言葉からその意図を推測した結果、後はいつも通りに振る舞えば良いと判断したアイシスが言う。その言葉の初期の段階でタチバナは一瞬吹き出しそうになるが、例によって精神力でそれを抑えながら残る部分を聴いていた。
「……我々が討伐した魔物はどれも珍しくも強大でもない相手でしたし、素材として有用な部類でもありませんでしたからね。狼擬きの毛皮や牙であれば多少の小遣い程度にはなるでしょうが、荷物になる上に臭い等の問題もある為に見送って参りました。まあ、お金が必要になるのは街に帰ってからですので、復路になってから考えれば良いでしょう。無論、そういった問題が無い戦利品がこの先もし見付かれば、それを入手する事に不都合はございませんが」
笑いを強引に抑制したタチバナは、少しの間を空けて冷静さを取り戻してからアイシスの問いに答える。その言葉を聞きながら、アイシスは考えていた。先程からもそうであったが、やはり自身の質問に答える時には、タチバナは少し饒舌になる、と。そして同時に、その事が妙に嬉しく思えるのだった。
「成程ねえ……確かに、魔物の死体やその一部と共に旅をするのはちょっと遠慮しておきたいわね。それに、お金が必要なのは帰ってからというのも尤もだわ。貴方の言う通り、その事を気にするのは後にしましょうか」
でも、それを言い出したのはタチバナではなかったっけ。そう思いながらも、アイシスはタチバナの言葉に同意する。無論、タチバナがそう言ったのは、他に意図があっての事だとはアイシスも理解している。それでも、そういった思いが湧く事自体は止める事は出来なかったが、アイシスはそう思える事を寧ろ嬉しく感じていた。
「はい。……お嬢様、お話はこれ位にしておきましょうか」
アイシスの言葉に同意を示したタチバナが、少し間を置いてから言う。
「何かあったのかしら?」
その言動から、タチバナが何かに気付いたのは明白だった。それが何かが分からないアイシスは、若干の緊張感を持ってタチバナに尋ねる。
「はい。此処から前方に暫く進んだ辺りに草木が生えていない部分がある様に見えますので、川の類である可能性があります。この推察が正しければ、我々は漸く昼食を取る事が出来るでしょう」
そのタチバナの返答に、アイシスはほっとして緊張を解く。そして同時に、わざわざ話を中断する程の事であったのかとの疑問が浮かぶ。それを気軽に口にして良いものかと考えていると、アイシスはその理由に思い当たる。
ああ、タチバナも空腹を我慢していたのか、と。思えば、今日の朝食をタチバナは自身と同程度しか食べていない。タチバナは自身が人よりも多くの栄養が必要だと言っていたから、私よりもお腹が空いているのも当然である。自分ですら先程腹の虫が鳴いたのだから、タチバナの空腹は相当なものだろう。
「成程ね。それじゃあ少し急いで向かいましょう。いい加減にお腹が減ってしまったわ」
その様に考えたアイシスはそう言うと、少し歩行のペースを上げる。タチバナは自身が人よりも多く食べるという事を、少なくとも誇りには思っていない。今までの言動からそう推測したアイシスは、あくまでも自身の空腹を先を急ぐ理由にするのだった。尤も、その発言自体は十割方事実なのだが。
「……そうですね、急ぎましょう」
タチバナは少しだけ間を空けてそう答えると、すっと加速してアイシスと歩調を合わせるのだった。