第116部分
そうして二人が並んで歩き続けている間に、すっかりと日は高くなっていた。日差しによる些かの暑さを感じ始めると同時に、アイシスは若干の空腹感を覚える。そろそろお昼ご飯の事が気になるな。そんな事を思ったアイシスが、何となくタチバナの方を見た時だった。
「お嬢様。昼食についてですが、もう少々お待ち頂けますか。実を言うと、干し肉の残りが少なくなってきております。その為、可能であれば昼食の主菜は現地調達で済ませたいのです」
そのアイシスの動きと現在のおおよその時刻から、主の要件を瞬時に推測したタチバナが言う。その反応のあまりの速さに、アイシスは自身の思考が見透かされている様で少しだけ気になったが、考えてみれば難しくもない推理であると直ぐに納得する。
「あら、そうなのね。でも、そう簡単におかずになる様な物が見付かるかしら?」
以前にも碧豆を探して食した事はあったが、その類の物が何処にでもあるとはアイシスには思えなかった。狩りをするという事であったとしても、その獲物もやはり簡単に見付かるとも思えない。だが後者に関しては、アイシスは見付からないで欲しいとさえ思っていた。既に何度も似た様な事をタチバナに指摘されている為に口には出さないが、魔物は兎も角としても罪の無い野生動物の命を直接奪う事には、アイシスは未だ抵抗があった。
「正直に言えば、現在の所は不透明です。食用に出来る獣の類はこの付近にも棲息しているでしょうが、猪の様な獲物を仕留めたとしても、その肉を直ぐには処理し切る事が出来ません。干し肉等にするとしても、それには多大な時間が掛かってしまいます。目的地を定めた旅の道中なのですから、その様な事に費やす時間はございません。かと言って、獲物の命を無駄にする様な事はお嬢様は好まれないでしょう。他の獣等の食物にはなりますので、厳密には無駄になるという訳でもないとは思われますが、それでは無責任でしょう。お嬢様であれば、恐らくその様な事を仰るのではないでしょうか」
そのタチバナの言葉を聞きながら、アイシスはまたも感動していた。タチバナが自身を良く理解してくれているという事と、それを汲んでくれているという事に。
「その様な理由で、今はその場で消費し切れる程度の獲物……つまりは魚の類を探したいのですが、この辺りに川や沢の類が存在するかは不明なのです」
魚か……それならば、命を頂く事への抵抗は獣程には強くない。アイシスがそう思うと同時に、その腹の虫が小さく鳴る。思えば、未だこの世界で魚の類は食べていなかった。その事に気付いた時、アイシスの身体はその味を楽しむ事を強く意識し始めてしまったのであった。
「成程ね。そういう事なら、是非魚を探しましょう。でも、川とかは地図には乗っていないのかしら?」
その頬を少し紅潮させながらも、アイシスは当然の疑問を口にする。人類の生活圏外であるとはいえ、地図が存在するのであれば、その様な重要な情報は載っていない方がおかしい筈である。少なくとも、少女の常識によればそう考える事が出来た。
「……この辺りは一見すると穏やかな風にも見えますが、既に人類の生活圏からある程度遠く離れた立派な危険地帯でございます。その様な所に足を踏み入れるのは、当然ながら冒険者位のものです。そして多くの冒険者にとって、その様な危険地帯とは漁師にとっての海の様なもの……つまり、その場所の情報は、自身のみで把握していた方が自身の利益になるのです。その為、その様な情報は基本的に各冒険者毎に隠匿されていて、一般には出回らないものなのです」
アイシスにとっては当然であった疑問に対し、タチバナによって解答が示される。それは納得出来るものではあったが、少女にとっては少々落胆する様なものでもあった。折角異世界に来る事が出来たのに、その中でも一番浪漫がある職業とも言える冒険者であっても、お金を第一に考えている。それが、まるで人間の本質を表しているかの様で、少女には少し悲しい事であった。
「……成程ね。まあ、仕方が無い事だとは思うけど、何だかなあという感じね」
その気持ちを隠す事も無く、アイシスはそれを言葉にする。タチバナはその様子から、主が自身の言葉を聞いて気分を損ねた事を察する。それは自身の言葉そのものによってではなく、その言葉が齎した情報が原因であろう。その事はタチバナも理解してはいたが、どの様な理由であれアイシスに気分を害したままで居て欲しくはなかった。
「……そうですね。ですが、全ての冒険者がそうだという訳ではございません。冒険そのものを目的とする方もおりますし、中には人々を助ける事を目的としている方もいます。……丁度、先程お会いした勇者様がそうである様に」
アイシスは自身が志す冒険者が、その利益を優先する様な人種である事に気分を害したのだろう。そう推測したタチバナは、そうでない者も居るという事を例を挙げて示す。その際に勇者ライトを引き合いに出す事は、タチバナにとって気分の良い事ではなかった。だが、それが僅かでも主の気分を良くする助けになるのであれば、それはタチバナにとって甘んじて受け入れるべき事であった。