第111部分
互いの為にもライトに食い下がる余地を与えぬ様に、アイシスはわざと強い言葉を使って断りの文句を並べた。論理的には尤もな事しか言っていなかったが、それは口調的にも喧嘩を売っているとも取れる言葉になり、案の定エイミーがそれに噛み付いた。だが、それをも遮ってアイシスがはっきりと断る旨を叫ぶと、辺りは静寂に包まれた。
「……ちょっとアンタ、断るにしても言い方ってものが――」
「良いんだ、エイミー」
アイシスの剣幕に押されて一時言葉を失っていたエイミーが、我に返って言い返そうとするのをライトが止めると、今度はエイミーも素直に引き下がる。アイシスの言い方が気に入らなかったのは確かだが、ライトの依頼が断られた事については、エイミーは正直ほっとしていた。アイシスが懸念していたものに近い心配を、エイミーやユキも持っていたのだった。
「……全て君の言う通りだよ、アイシス。あの魔族に三人掛かりでも歯が立たなくて、僕は焦っていたのかもしれない。もし君達に力を貸して貰えたとしても、僕には返せるものは何も無いというのに」
そう言いながら、ライトは自嘲気味に笑みを浮かべる。確かに恥知らずな依頼ではあったし、使命を大切にし過ぎるが故に、時に非情とも取れる決断をしてしまうとはいえ、ライト自身は正義感に満ちた善良な人物である。そんなライトが、いや「勇者」がその様な表情をしているのは、アイシスにとってあまり気分の良いものではなかった。
「いえ、先程はああ言ったけど、実際にはそんな事も無いのよ。確かに、タチバナの個としての戦闘力は高いわ。言い方は悪いけど、異常と言っても良い位にね。でも、どれだけ一対一、或いは少数精鋭との戦闘に長けていても、あまりに数が多い魔物との戦闘に於いては、魔法が使えないタチバナには出来る事に限りがあるの。ナイフだって無限に持てる訳ではないもの」
落ち込む勇者を励ます為にアイシスが話す姿を、場の全員が一様に黙って見守る。だが、その時に浮かべる表情は各々で異なっていた。ライトは口を閉じたままに目を見開き、エイミーはそれに加えて口をポカンと開いていた。ユキも口の開き具合以外は殆ど同様であったが、タチバナだけは少し呆れ気味に微笑えみを浮かべていた。尤も、その変化は誰も気付かない程ではあったが。
「だけど、貴方達には魔法の力がある。黒星……ああ、貴方達が敵わなかったというあの魔族の名前ね。黒星みたいな圧倒的な戦闘力を持つ相手には分が悪くても、そこらの魔物を相手にするのであれば、私達よりも余程多くの敵を相手に出来るでしょう。第一、あんな戦闘狂みたいなのに絡まれたのは不運であって、本来は黒星みたいな相手とはそうそう出会わない筈なのだから、まあ鳥の糞にでも当たったと思っておけば良いのよ」
アイシスが話し終えると、ライトが小さく笑い声を溢す。その表情は、先程までの自嘲気味なものとは明らかに異なっていた。本来であればもう一つの笑い声も響いていた筈だが、タチバナはその強靭な精神力で、自身の声と表情を抑制していた。
「……そうだね、君の言う通りだ。確かに言われてみれば、こんな都市からも然程離れていない平原で魔族と出会う事自体、本来はおかしな事の筈だしね。焦ったりはせず、今まで通りに困っている人々を助けながら、地道に力を磨いて行けば良いのかもしれない」
そのライトの言葉と表情に、アイシスは満足げに笑みを浮かべる。そうよ、「勇者」とはこうでなくちゃ。そんな事を思いながら、アイシスはもうタチバナの方から怒りを感じない事に気付いていた。
「そういう事よ。十分に分かって貰えた所で、最後に一つ良いかしら」
「ああ、何だい?」
アイシスの問いに、ライトが答える。少女にとっては過去の出来事が他人事でしかないとはいえ、その姿には既に何のわだかまりも感じられなかった。
「仲間っていうのはね、そう簡単に入れ替えたり、追放したりするものではない筈よ」
「最後に」と断った上でアイシスが言ったのは、少女が本当に伝えたかった事だった。先の暴言染みた言葉も、それに付随した励ましも、どうでも良いとまでは言わずとも、この一言に比べれば少女にとっては些細な事と言って良かった。
アイシスがそれを言い放った後、またも場には沈黙が流れる。それはライトにとっては耳に痛い言葉ではあったが、今度はエイミーもそれに噛み付こうとは思いもしなかった。ユキも、その隣で事の成り行きを静かに見守る。その様な雰囲気の中で、タチバナは先程小鬼に投げたナイフを回収したいと考えていた。
「……そうだね。……そんな事は、ずっと前から知っていた筈だったのに。勇者という肩書きが、僕を焦らせていたのかな……」
表情を曇らせながらそう言うと、ライトはまた自嘲気味な笑みを浮かべる。またこの人は……まったく、随分と世話の焼ける勇者だ。そう思ったアイシスが、再び何か励ましの言葉を掛けようかと考えた時だった。
「まったく。らしくないわよ、ライト! アンタは天が認めた勇者様なんだから、もっと堂々としていなさいな」
ユキと共にライトへと歩み寄りながらエイミーが言う。おお、初めてエイミーと気が合った。そんな事を思ったアイシスが少しだけ感動していた時、タチバナは小鬼の額に刺さったナイフを見つめていた。