第107部分
こんな場所に真っ当な客が来るとは思えない……という事は、魔物やその他の敵が接近して来ているという事だろうか。タチバナの言葉を聞いてそう思ったアイシスは、警戒を強めてその視線の方向、昨日に自分達が此処を訪れた方角を見守る。そう密集している訳ではないとはいえ、点在する木々が視線上に重なっており、そう遠くまでを見通す事は出来なかったが、その範囲では特に気になるものは見えなかった。アイシスはその後も暫しの間警戒を強めていたが、何も現れる事は無かった。
その間にはタチバナも何の動きも見せなかったが、アイシスにはタチバナの言葉を疑うという選択肢は無かった。だが更に時間が経っても、タチバナは特に警戒をしている様子を見せる事は無かった。という事は、本当に客が来たという事なのか。そうアイシスが思った時だった。アイシスの視線の先に、何やら人影の様な物が映る。
「良かった。未だ出発せずにいてくれたみたいだ」
アイシス達に向けてではなく、人影が後ろを向いてその様な事を言う。アイシスにはその声がはっきりと聞こえた訳ではなかったが、その声には聞き覚えがある気がした。そしてその外見にも、アイシスは見覚えがあった。
「やあ……アイシス。……元気そうで何よりだ」
アイシス達の方へ歩み寄りながらそう言うのは、少女が目覚めてから最初に出会った人物……紛れもなく勇者ライトその人だった。何故勇者がこんな場所に。そう思いながらも、アイシスにはその声が妙に疲れている様に感じられた。良く観察すれば、その姿も少々薄汚れており、以前の第一印象よりも少々くたびれている様に見えた。アイシスにはそれらの理由が気になりはしたが、まあ旅をしていればそんなものだろうという事にして、先ずは挨拶を返す事にする。
「これはこれは、勇者ライト様ではありませんか、ご機嫌よう。こんな所でお会いするとは奇遇……という訳ではなさそうですわね」
少女自身にとってはパーティーを追放されたのは過去の事であり、そう気にしてはいなかった。だが、それをした張本人が、こうしてぬけぬけと目の前に現れる事には若干の疑問を覚えていた。そこでアイシスは、丁寧でありながらやや嫌味とも取れる様な挨拶を返す。本来のアイシスであっても、似た様な事をしたであろう。少女にはそう思えた。
「……ああ、君達を探していたんだ。そちらの方が、タチバ――」
「ちょっと! ……速いわよ、ライト……」
ライトが此処に現れた理由を説明しようとするが、後から現れた、金髪を両側に結んだ少女がそれを遮る。初めて見る相手ではあったが、少女には直感的に、それが以前ライトから聞いた仲間の女性……エイミーかユキのどちらかである事は分かった。当然その声も初めて聞いた訳であるが、その一言を聞いただけでも、アイシスを追放する事になった原因が彼女である事も薄々と感じられた。
その少女の身長はアイシス達よりもやや小さく、体つきもより少女らしく華奢な印象だった。黒のローブを着用し、自身の身長に対して長めな杖を持っており、まさに魔法使いといった出で立ちだとアイシスは思った。そしてライトと同様、いやそれ以上に息を切らし、疲れている事が一目瞭然な様子であった。
「ああ、すまないエイミー。もし出立されてしまったら、また暫く会うのが難しくなってしまっていたからね。勿論、夜を徹しての移動についても済まないと思っているけど、どうしてもアイシス達に会っておきたかったんだ」
話を遮られた事を気にする風でも無く、ライトがローブの少女……エイミーに謝罪をする。その言葉から、アイシスはいくつもの情報を得る事が出来た。魔法使いであろう少女の名前、勇者パーティーの人間関係、そしてライトが徹夜してでも自分に会いたかったという事。その目的も何となく予想する事は出来たが、そんな事をしなくとも本人が語ってくれるだろう事も分かっていた。
「……会えなければ良かったのに」
エイミーが独り言ちる。その呟きは、当然誰に聞かせるつもりも無いものであり、事実目の前のライトにも聞こえてはいなかった。だが、タチバナの耳にはしっかりと届いてしまっていた。尤も、その内容はタチバナにとってはどうでも良いものであったが。
そして、エイミーから更に遅れて、その場にはもう一人の少女が到着する。その少女はエイミーと対になる様な白いローブを身に着け、やはり長めの杖を持っていた。体格もエイミーと似通っており、黒い髪を肩の辺りまで無造作に伸ばしていたが、前髪がその目を隠す程に伸びているのが印象的である。その為にその表情は判然とはしていなかったが、やはり疲労の色が強く出ている様にアイシスには見受けられた。
ツインテールの方がエイミーという事は、こっちの目が隠れている方がユキって事よね。その場に勇者パーティの三人が揃った事で、アイシスはそう推測する。他のメンバーが増えている、または入れ替わっているという可能性が完全に無いという訳ではないが、この短期間ではその様な事は考え辛いとアイシスには思えた。
「ああ、話が途切れてしまって申し訳ない。それで、そちらの方がタチバナさん……で間違いありませんか?」
ライトが改めてタチバナにそう尋ねる。それを聞き、アイシスは少し違和感を覚える。仮にもこの世界では地位が高いであろう自身にも、ライトは敬語の類を使う事は無かった。それ故にライト自身も身分の高い存在なのだと思っていたのだが、タチバナには丁寧語で話し掛けている。……ああ、仲間だから、という事か。尤も、今は元仲間であるが。そんな事をアイシスが考えている間も、タチバナは押し黙ったままであった。その聡明さから来る思考の速度故に、実際にはそれ程時間が経った訳ではなかったが。