なんだかきな臭くなってきましたよ、お嬢様。
醜いと罵り、二度と顔を見せるなと命を下した
婚約者の口から、あり得ない依頼が舞い込んできた。
「……私の顔も見たくなかったのでは?
いつものように、他の美しいご令嬢とご出席なさいませ。醜い私とご一緒ですと、王太子殿下にまで悪評が付きますわ。」
アリアは吹き出しそうになった紅茶を必死に飲み込み、平穏な装いを保ちつつ、ティーカップを机に戻した。
婚約者がいる場合舞踏会では一緒に出席するか、
最初の曲を一緒に踊らなければならない。
だが、アリアは王太子の『顔も見たくない』という
意向に添う為、ここ十年ほどは一切王太子の前に姿を表していない。そのため、王太子は舞踏会に一人で出席することが多かった。
幼い頃はそれでもよかったが、最近は様々なご令嬢と出席しているらしい。
アリアの元には、王太子と舞踏会に出席したご令嬢達から、悪意の篭った素晴らしいお手紙が沢山届くため、そのことを知っていたのだ。
断られるなど微塵も思っていなかったのだろうか、
王太子はアリアが口にした言葉に苦い顔をしながらゆっくりと口を開いた。
「……実は、最近平民から子爵令嬢になった方と一度舞踏会に出席して以降、好意があると思われてしまって……」
「付き纏われていると。ですが、自分で蒔いた種では?
どうせ話しかけられた時にきっぱりと断わらなかったりしたのでしょう?ねぇ、ティグレ様?」
「アリアちゃんの言う通り!!コイツ、女性にはキツく言えないみたいでさぁ……」
「あら、やっぱり?女で嫌われてるのは私ぐらいですものね。」
自分の従者と婚約者が仲良く自分を笑っている。
王太子は怒鳴ってしまいたかったが、どれも正論であるため言い返せない。
咳払いをして、なんとか本題に戻そうと試みた。
「その子爵令嬢だけならまだしも、厄介な男爵令嬢にも目を付けられていて……
公の場での行動は一挙一動全て監視され、届く贈答品はそのご令嬢の髪や血が含まれていて寒気どころではなく、殺気を感じる程だ!!!」
「まぁ、モテる男性はおつらいですね。」
青白い顔をする王太子をよそに、アリアはさらりと返答した。
「茶化さないでくれ、一度も踊ったことのない令嬢がその方達しかいなかったんだ。好意を持っていると思われないためにも、一人一回までしか誘わないと決めている。」
「良い心がけだとは思いますが、ならば意中の方とずっとご出席されれば済むのでは?」
「……いたら君を舞踏会に誘うと思うか?」
「ああ……」
コイツ理想が高すぎて、女取っ替えひっかえしてるのか……可哀想だな。
そんな憐れな目線を王太子に向けていたのがティグレには伝わったのか、口元を抑えて震えていた。
「とにかく、もう誘った事のないご令嬢が君しかいないんだ!!
それに、君は仮にも私の婚約者だから……仲の良い姿を見せれば諦めてもらえるかと……」
「私を巻き込むのやめてくださいます?私がご令嬢に恨まれる立場じゃないですか。」
「そこは、私が全力で守る。信じてくれ。」
「そんなか細い腕で守れるわけがないでしょう。生憎、そんな台詞が通用する女ではありませんのよ。」
「ひぃっ……、ダメだ……っ、もう無理……あはははは!!」
正論で攻められ焦っている王太子がツボに入ったのか、ティグレの抑えていた笑いが吹き出してしまった。
「わっ、笑うな!!何が可笑しい!?」
「だって……ふふっ、こんなに慌ててるレオナルドなんてっ…ぶぶっ、中々見れな…あはははは」
「ふふっ…」
腹を抱えて足をジタバタするティグレと、耳を真っ赤にする王太子が可笑しくて、アリアもつい息を漏らしてしまった。
「ひー、はー……、まぁ、王太子がそんだけ慌てる案件だからさ、ここは一つ、アリアちゃんの力を貸してください!!」
笑いがなんとか収まったティグレは、笑って出た涙を拭った後、アリアに頭を下げた。
「ティグレ様にそう言われてしまったら……、まぁ、考えないこともないですが……」
「何故私よりティグレの方に靡く。」
「そりゃあ、月に一度お茶に付き合ってくださるご友人と、十年も会っていない婚約者だったら、どっちを取るか明白では?」
「そうだよなー、アリアちゃんと俺の仲だもんねー」
ねー!と二人で笑い合う。
月に一度、アリアへ王妃教育の教材を届けたり、提出物を回収に来るのは王太子の従者であるティグレの仕事であったため、その度にお互いの状況報告も兼ねて二人でお茶を飲んでいたのだ。
「それで?私が王太子殿下の助けになったら何か良いことでもありますの?」
「私の願いを対価で決める気か?」
「王太子殿下より、『二度と顔を見せるな』と仰せつかっておりますので……、
そのご命令に背く事になりますのよ?対価が無ければ背きたくありませんわ。」
「………二ヶ月。」
王太子は嫌そうな顔で、ぼそぼそと喋り始めた。
「今、何とおっしゃいました?もう少し大きな声で…!」
「王妃教育を二ヶ月!!私が両親と掛け合って取りやめにする!これでどうだ!?
なんなら王宮で用意できるだけの宝石やドレスも贈ろう。」
「二ヶ月ですって!?二ヶ月!?あの世にも悲惨な王妃教育が二ヶ月も休み……!?」
十年間も続く地獄の業火から抜け出せると思ったアリアは、思わず立ち上がってしまい、慌てて座り直した。
「失礼いたしました…、でも、たった二ヶ月ですわよね……たった二ヶ月のために……」
「宝石やドレスも付けるが?」
「要りません。醜女には必要ないものですわ。」
どんなご令嬢も宝石やドレス、髪飾りなど自分を目立たせてくれる装飾品を好んでいると思っていた王太子は、
アリアの浮足立っていた声色が、一気に冷徹な声色に変わったことに驚きを隠せなかった。
再度、自分の婚約者へ目を向けてみると、彼女が身に着けている装飾品は、銀糸で軽く装飾のされたヘッドドレスのみ。
ヘッドドレスの後ろに黒いベールを装着してで髪を隠し、前は淡いベールで顔を隠すために着用しているだけである。
着ているドレスも、胸元をブラウス生地の素材で隠すためだけの最小限の襟飾りと、ヘッドドレスに合わせて軽く銀の装飾が施されているだけのシンプルなものである。
「……王太子殿下、私からご提案させていただいても?」
「ああ、構わないが?」
「王妃教育の休みを二ヶ月以上延ばすことは不可能ですわよね?」
「私の力では、多分そこが限界だな。」
「ならば、私のお願いを一つ叶えてくださいます?」
「……願いだと?」
王太子は飲もうとしていた紅茶を机に戻した。
「大それた頼みでは御座いません。殿下はサインさえしてくだされば叶う程度の望みでございます。」
「サインだけしろ…とは、何ともきな臭いが?」
「私が王太子殿下に詐欺を働くとお思いで?」
王太子の顔に大きく、そうだろう?と書かれている。
「貴方様の力を借りなければいけないほど、私生活に困っているわけではありませんの。
ただ……、貴方様にしか出来ないことがありますので、
私が王太子殿下のパートナーとして務めを完璧にこなせましたら、私の願いも叶える。
それでどうでしょう?」
「なるほど…、報酬としてそれ相応の望みを叶えればいいのだな?」
「ええ。決して王太子殿下ならびに国に対して不利になる願いでは無いことはお約束致します。」
「……仕方ない、誕生祭が無事に終わり次第、君の願いを叶えよう。」
「交渉成立ですわね!ありがとうございます。」
アリアは手を鳴らした後、王太子に会釈した。
「ところで、もし私が応じなかったらどうするつもりだったんです?」
侯爵家の料理長が腕によりをかけて作ったお茶菓子を堪能したあと、アリアは王太子に尋ねた。
「ん?ああ、母上からコレを預かっていたので、無理矢理連れていくつもりだった。」
王太子は手をひらひらと振り、従者のティグレが胸元から一枚の便箋を出してアリアに渡した。
「王妃殿下からの招待状………、拝見しても?」
王太子の承諾を得たアリアは、嫌な予感がしつつも内容を確認した。
「参加しなければならない、だろう?」
読みながらプルプルと震えるアリアにニヤけながら王太子が尋ねる。
「なんですかこれは………、我が息子王太子と参加し、なおかつ王妃様が用意した服を着て出席しろ!?はぁ!?
こんなっ、こんな事が書かれてるならもっと王太子殿下にふっかけましたのに…!!!」
「そんなわけで、アリアちゃんの衣装もコチラにご用意させていただいてまーす!」
いつの間にか抜け出していたティグレがたいそう大きな包を抱えて戻ってきていた。
「そんなっ……!!舞踏会用のドレスだなんて三着あれば充分なのに…、しかも王妃様直々にお選びになったドレスですって!?なんてこと……」
喜ぶのではなく、まるで悲劇にでもあったかのような悲痛な声に王太子は違和感を覚えた。しかも、公爵令嬢であろう婚約者が舞踏会用のドレスを三着しか持っていないという事実がどうにも腑に落ちない。
「まあ……、一度出席すると言ってしまいましたから、たとえ火の中水の中……派手な装飾を身につけるとこになろうとも、ノウン家の名にかけて、務めさせていただきます。」
心底嫌だが、と言わなかっただけだけ自分を褒めたいアリアだった。
王太子殿下に付き纏う平民上がりの子爵令嬢と、男爵令嬢の話を聞きながら、アリアは何故か聞き覚えがあることを不思議に思った。
舞踏会で喋ることのある令嬢は、公爵家のご令嬢またはノウン家の親戚筋の方…。
平民上がりの子爵令嬢がいることすら知らなかったのに、
何故か聞いたことが……
そこでふと、本屋の店主から預かったあの本を思い出した。
そうだ!『王太子殿下の恋人は平民』って本、
平民上がりの伯爵令嬢が主人公だったわね……。
それで、男爵令嬢が王妃の誕生パーティーで王太子を………
ここまで考え込んで、アリアは気がついた。
来週、王太子と出席するととなった王妃殿下の誕生祭は、
『王太子殿下の恋人は平民』で、自分がモチーフであろう
悪役の公爵令嬢が断罪されるクライマックスと
状況があまりにも似ているという事実に。