義兄上に勝てるわけないですよ、殿下。
なんということでしょう。
あの、華奢で男性なのか女性なのか判別し難い細い曲線美を描いていた身体が、
逞しい筋肉をつけているではありませんか。
そんな解説が頭の中で流れてしまうぐらいには、アリアは困惑していた。
「え………、王太子………殿下………??」
「そうだ。君がひょろひょろな男性は好きじゃないと言っていたから、君にもう一度会うために鍛えてみたんだが………、どうかな?」
垂らしていた前髪を半分かき上げていたり、顔の形が前よりも少し角ばってはいるが、
金髪銀瞳を揺らして微笑む様は、確かに華奢な王太子を彷彿とさせる美しさである。
一ヶ月でここまで変わる!??!?
嘘でしょ!?、何よこれ……、儚げで今にも消えそうな美少年って言葉が似合いそうな王太子が……、あの王太子がっ……!!!
「なんて素敵な筋肉をつけてるのよっ……!!!」
心の声を漏らさないように震えていたが、王太子があまりにも好みに近い肉体を目にしたため、途中から声に出してしまったアリアである。
「凄いわ……、胸鎖乳突筋からの鎖骨のラインがくっきりしてるし、布越しからでもわかる胸筋と僧帽筋の張り…、太腿も一回りぐらいがっしりしてるし上腕二頭筋も………」
アリアは芸術品を鑑賞するかのように王太子の身体を凝視しながら周りを回って各部位の筋肉の名称をぶつくさと唱えている。
アリアに褒めらているのが嬉しいのか、王太子はご満悦な様子でどうだ!とファヴィオに顔を向けてくる。
「ティグレくん……、殿下がドヤ顔でこっち見てくるんだけど………っ、これ、笑っちゃダメかな……?」
ファヴィオはあまりにも滑稽な二人の状況に震えながら笑いを耐えているが、今にも吹き出しそうなため、馬車から王子と一緒に出てきた従者のファヴィオに許しを貰おうとした。
「いやぁ……、流石に……ぶぶっ、笑っちゃ……っふふ、いけな……あはははははははは!!!」
「物凄い勢いで笑ってるよね!?、君殿下の従者だろ!?」
ティグレが腹を抱えて笑いだしたせいで、ファヴィオの笑いのツボは何処かに消え去ってしまった。
「あのひょろひょろな面影が一切ないわね……、これは素敵だわ……。」
ティグレの笑い声など気にもせず、アリアは王太子の肉体美に酔いしれていた。
「君の理想通りの男になったんじゃないかな?」
「いやぁ、これは最っ………ってなるかアアアアアッ!!!」
危なかった。
一ヶ月での変わり様と、かなり理想に近い肉体だったが為に王太子の問に頷きそうになってしまったが、アリアは間一髪で思い直した。
「たっ、確かに、体型的には理想に近いけど、
中身はあのままでしょう!?
それにっ、お兄様の肉体美には程遠いわよ!!」
「中身だって、身体だってこれから更に変えていってみせるつもりだ!!、ジルベルトを越えてみせる。」
「中身はもう手遅れだっつーの!!、大体ね、お兄様も幼い頃から婚約してるけど、お義姉様の事を妹が見ても甘すぎるぐらい溺愛してるのよ。
それも幼い頃から!、王太子殿下とは天と地よりも差があるの。
お兄様を軽く見ないで!!」
ノウン小公爵より自分の方が上だと考えていた王太子の脳内に、電撃が走った。
アリアの兄ジルベルトは『氷の貴公子』という渾名の通り、誰に対しても凍てつく眼差しを向ける事でも有名だった。
また、その長身と体格の良さも相まってご令嬢方からは美しいけど近寄り難い存在として見られていた。
それに比べて、王太子は自分のの元に寄ってこない令嬢はアリア以外いないと言っても良い程好かれていたため、ジルベルトより自分のほうがモテるだろうと考えていたのである。
「アリア、まだ王太子殿下とアルバ小伯爵殿を中にお通ししてなかったのかい?」
「あっ、お兄様!」
王太子がショックで固まっている間に、ジルベルトが玄関から息子を抱えて様子を見に来た。
アリアは王太子が聞いたこともない、嬉しそうな声色でジルベルトに近づいていく。
「王太子殿下、ご無沙汰しております。今日は、我が家によくおいでくださいました。」
ジルベルトは王太子に対して軽くお辞儀をした。
「あうー、」
「ははっ、エーリオ、髪の毛は引っ張っちゃだめだよ。」
お辞儀をした際にエーリオの近くで揺れた髪を息子が引っ張るのを、ジルベルトは愛おしそうな目で見つめている。
「久しぶりだな、ジルベルト、エーリオ。息災そうで何よりだ。小公爵夫人は?」
「休んでもらってます、今日は俺がエーリオと遊ぶ日なので。」
我が子を眺めながら、妻を愛しむような微笑みを見せるジルベルトを見て、
王太子はこれは本当にあの『氷の貴公子』なのか?、と当惑した。
子供を乳母のように慣れた手付きで抱いており、育児に追われる妻を休ませるのは当然と言わんばかりの口調で話している。
これは、勝てない。
顔は私よりも美しいわけではないが、美人であることは間違いない。
体格は私よりも逞しく整っており、魅せるため筋肉ではなく、活用するための筋肉である。
さらに、妻に対しても子供に対しても愛情が深い。
婚約者を罵っていた私とは違う……!!
王太子は悔しさで唇を噛み締めた。
「おや、王太子殿下は最近鍛え始めたのですか?
でも……、まだまだですね。見た目だけ整え上げただけで、これじゃ使えませんよ。」
「ぐっ……!!」
ジルベルトに図星の事を言われた王太子は、胸が痛くなった。
「あぁ、アリアに手っ取り早く好かれようとでもしたんですか?、ははっ…、馬鹿馬鹿しい。言っときますけど、俺に勝てなきゃ嫁に出しませんよ。
そもそも、可愛い妹を罵ってた人を許せるほど俺は寛大じゃないので。」
先程の柔らかな笑みが消え去り、ジルベルトは凍てつくような眼差しで王太子を睨んでいる。
ジルベルトの威圧と言葉にすっかり意気消沈してしまった王太子を何とかしようとファヴィオが言葉を紡ぎ始めた。
「えっと、義兄上は今までエーリオと何をしてたんですか?」
「衛兵の訓練所を見に行ってたんだ。エーリオ、剣が好きみたいだし、アリアの婿選びもあるしね。」
「婿選び!?」
さっきまでの落ち込みは何処へ行ったのか、王太子は驚いたようにジルベルトに聞き返した。
その様子を見たファヴィオは、
あ、マズい話題を振ってしまった黙っとこ。
と口を噤んだのである。
「父上が舞踏会後に仰ってた通り、アリアの婿になれそうな男性を探してるんですよ。
武力が俺ぐらいある人の中から選んでもらうために、衛兵達と決闘してもらってるんです。」
「何人かいい人いた?、せめて副団長以上の力がある人が良いんだけど……。」
アリアが自分の婿になれる人がいるのかどうか、口を挟んだ。
「うーん、貴族のお坊ちゃま方はやっぱり弱すぎるからなぁ……。衛兵団長か副団長をお婿さんにした方がいいと思うよ。」
「あ、やっぱり?。国内ならあの二人のどっちかか、他の騎士さんか………」
「……も、」
兄妹がエーリオをあやしながら悩んでいる中で、王太子がぼそぼそと呟いた。
「え、何?」
「私も衛兵と決闘する!!」
「えぇ………、」
王太子が力強く言い切ったのを、アリアは白けた目つきで見ていた。




