もう一回殴っていい?、王太子。
わぁ……人間って、こんなに高く飛べるんだ。
自分の主が応接室の天井にあと少しで届きそうな所まで近づいたのを、ティグレは呆然と見ていた。
「ふざけたこと言ってんじゃねぇよ、このクソやろオオオオオオッ!!!!!!」
その発言と共に腹に拳を受けた王太子は、
飛んだ。
正確に言うと、アッパーの威力に負けて大人五人分位の高さまで、くの字のまま飛び上がった。
アリアは天井に向かって拳を突き上げており、王太子は床に嫌な音をたてながら落ちてきた。
コレも私の監督不行き届きか!?嘘だろ……
無事であってくれ、殿下…………!!!!
天井が高くてよかったとも思いつつ、自分の責任になることを恐れたファヴィオは、王太子が一応生きていますように……!と目を瞑りながら祈っていた。
「………言葉の綾…?
私を醜いと罵ったことが、たかが結婚をやめたいがための方便だったと!?
ふざけんな!!
大勢の前で醜いと言われて、嘲られて、私は今まで顔を隠して生きてきたんだ!!!」
アリアは切らした息を整えながら、苛立ちを隠さず王太子に向けた。
「……ずっと、私の顔は醜くて世に出せないモノだと思ってた。
こんな醜女と結婚しなければいけない王太子殿下に対して、本当に申し訳ないと………。
だから、王妃教育を完璧にこなして、
せめて貴方様を影から支えられるモノ位にはなろうと思って努力した。」
苦しい面持ちで語るアリアを、周りの人間は黙って見ている。
「自分のことを醜いと罵って、嫌っている相手のために努力するのは辛かった。
……でも、十年間も醜女に縛り付けられている貴方は、
もっと辛いのだろうと思って、お互いが楽になるようにと婚約を破棄したの。
なのに!!、お前は……私が苦しんだ十年間の原因を言葉の綾だと……!?
しかも私に求婚する!?、こんな馬鹿げた話があるか!?
まだお前が私を醜女だと思っていて嫌っている方が良かったわ!!!!
あーーもう!!!もう一回ぶん殴りたい!!!」
アリアは怒りに任せてズンズンと王太子に近づいていく。
「だめーーっ!!!ダメ!!!、これ以上は死ぬって!!」
ファヴィオはやばい!!これ以上アリアが殿下を殴ったら私の将来が危ない!!!、と慌ててアリアを抑えにかかった。
「そうだよアリアちゃん!!、ほんと全部レオナルドが悪いんだけどっ、これ以上殴ったらアリアちゃんが悪者になっちゃうからっ!!、ね?、抑えてーっ!!」
ティグレも急いで駆け寄り、主を守るために必死で食い止めようとしている。
「…………に、」
床に死んだように倒れていた王太子が、ゆっくりと腕を立てて胴体を起こし始めた。
まさか起き上がるとは思っていなかったアリアは動きを止めた。
「ゲホッ………、たしかに、私は貴女を醜いと言った。それは謝る。」
口から血を吐きながら王太子はアリアに語りかけた。
「でも、今は君を醜いと思っていない!!!」
「だから何だっつーんだ、私が自分を醜いと感じるようになってんだから意味ねぇだろーがアアアアアア!!!!!」
精悍な面持ちで決めた王太子だったが、アリアはその言葉に激昂して、絶対もう一回殴ってやると言わんばかりに暴れだした。
誰が火に油を注げと言ったんだ阿呆!!!!!
死ぬ気でアリアの侵攻を防いでいるファヴィオとティグレは王太子に対して内心怒りが湧いてきていた。
流石、軍神の娘。
成人男性二人が死にもの狂いで抑え込もうとしているのに、すぐに決壊させられそうである。
蛙の子は蛙というが、二人はアリアにここまでの馬力があるとは想像もしていなかった。
というか、この暴れ馬を何とかして止めたいのに、軍神は笑みを浮かべているだけである。
何余裕な顔をしてるんですかっ!!、ていうか貴方ぐらいしかアリアとめられないんだから助けてーーーっ!!
アリアを押さえつけていた腕が外れそうになりながら、ファヴィオは公爵に目で訴えかけたその時、
「全く……、夜も更けるってのに、随分と騒がしいわね。」
応接室の扉が開き、部屋の中に人が入ってきた。
「ベルナルティ卿……!」
優雅な足音をたてて乱闘場所に入ってきた気品のある老婦人を見て、ノウン公爵は驚いたように声を発した。
「どうしてこちらに……、王宮の守備などで何か問題でも?」
「王宮の中で今一番問題なのはココだろう?、だから私が来たのさ。
このままじゃ王太子がふっ飛ばされて壁に穴でも開けるだろうよ。」
深緑のビロード生地の裾に、瀟洒なレースの寝かせた襟が美しいドレスを着た婦人は、右手を滑らかに上げ、
「"現れよ"」
そう唱えると、掌に何処からともなく白銀の杖が現れた。
「"癒やせ"」
老婦人が杖を王太子に向って振りかざすと、煌めく光の粉のようなものが王太子を包み込み、アリアに殴られた傷を跡形もなく消していった。
「アタシが王宮内に住んでて良かったわね、王太子。肋折れてたわよ。」
「……ありがとうございます、宮廷魔術師殿。」
王太子は自分の体を確認しながら、宮廷魔術師であるベルナルティ卿に礼を述べた。
この世界には、魔法を使える人間が稀に存在している。
確率で言うと、二百人に一人程度である。
魔法は呪文を唱えることによって使用することが可能であるが、その呪文は物凄く長い。
簡単なものであっても五十文字は軽く超える。
魔法を使える殆どの人は一つの属性のみを使用し、その呪文を覚えるだけで精一杯である。
そのため、魔法使いは貴重な存在であり無闇矢鱈に戦場等に駆り出せるような者達ではない。
だが、全属性を使用でき、なおかつ魔法の構造を理解出来るようになると、呪文を短縮することができるのだ。
そのような芸当が出来るのは国に五人いるかいないかの確率である。
その高等魔法使い達の頂点に立つのがベルナルティ卿である。
三文字の呪文、または無言であっても魔法を使うことができる唯一の人物であり、
アリアの顔に呪いをかけた張本人でもある。
「アリア、流石に王太子殺したらアタシでも庇えないから、そこまでにしておきな。」
ベルナルティ卿が乱入してきたことにより驚きで止まっていたアリアは、それは許せないと言わんばかりに反応した。
「そうかもしれませんがっ……!!、それでも……」
「確かに王太子が悪いけど、アタシはアリアが犯罪者になるところを見たくないのよ。アタシの顔に免じて、拳をおさめてくれるかい?」
自分の願いを聞き届けてくれた人にそう言われてしまったアリアは、口を食いしばって拳を降ろした。
「わかり、ました……。」
「有難うね。」
偉大な魔法使いはアリアに向けて爽やかに微笑んだ。
「……さて、今言い争いをしてるのはアリアと王太子が結婚するかどうかって事であってるかね、国王陛下?。」
「ああ、その通りだ。」
「王太子はアリアが顔に呪いをかける原因になった張本人だけど、それでもアリアを次期王妃として迎え入れたほうが良いと思ってるのかい?。」
「国王としては、王妃教育を完璧に修得し、さらに王太子を諌めることができるアリア殿が次期王妃となってくれることはありがたい。
王家と公爵家の繋がりを深めるためにも、ノウン家の令嬢が好ましいと思っている。」
現在の王妃は政治を司るディチア家の傍系に当たる血筋であり、ここ何代かはノウン家の血筋を引く令嬢が王族に嫁いでいない。
つまり、このままではディチア家の勢力が強くなってしまうのだ。国の事を考えると、ノウン家、またはその傍系の令嬢が次期国王に嫁ぐことで勢力の均衡を図ることが一番である。
「父親としても、レオンが結婚したいと思える人と夫婦になってくれたら好ましいが……。
どうにもこうにも………、愚息のアリア殿に対する態度が酷すぎて……」
嫁に来てもらうのは本当に申し訳ないと顔に書かれているように思えてしまうほど、国王は苦い顔をしている。
父の渋い顔を見てやっと自分が何をしでかしたのか解ったのか、王太子は下を向いて拳を握りしめたまま動かない。
「まぁ、年端もいかない女の子の心に一生癒えない傷をつけておいて、
自分が嫌じゃなくなったら結婚しろって迫る男だものねぇ……。
で、アレッサンドロはどう思ってんだい?、あのバカ王子に娘を嫁がせる気はあるのかい?。」
「父としては許せません。アリアの可愛らしい顔が華やかに笑うことがなくなった原因ですから。
……公爵家としては、嫁いだほうが利益なのも確かですが、そんな利益より娘の好きなように人生を送らせてやれるだけの力ぐらいは蓄えておりますので、アリアの好きなようにしたらいいと考えおります。」
「なるほどね、」
「アリアが仮に王太子と結婚することになりましたら、承諾はしますが、生かしておけるかどうかは別です。」
ノウン公爵はいつもとは違う紳士的な笑みを浮かべており、傍観者と化していたファヴィオとティグレはその笑い方に背筋が凍った。
「最後に、アリアはどうする気なんだい?。
王太子はアンタを嫁にする気満々のようだけど……」
ベルナルティ卿はアリアの方を向いて強い眼差しで訪ねた。
「ぜっったい、無理。」
アリアは王太子を見ることなく、ばっさりと切った。
「方便のために他人を醜いと言う男なんて嫌。
たとえ民から好かれてて、ちゃんと仕事ができる王太子であっても変わらない。
というか、私の呪いは一生解けないものなんだし、のっぺらぼうのまま王妃になんてなれないでしょ。なる気もないけど。」
「……のっぺらぼう?」
その言葉が引っ掛かった王太子はアリアに尋ねるように繰り返した。
「ああそっか、私がただベールで顔を隠してるだけだと思ってたのね、見せてあげる。」
アリアは顔の部分のベールを捲って、王太子の方に顔を見せた。
「なっ!?、」
王太子が見たアリアの顔は、何も映っていなかった。
ただそこには肌だけが存在し、目も口も鼻もない。
「これが、ベルナルティ卿にかけてもらった"呪い"よ。」
王太子はアリアの声が認識できないほど、驚愕していた。
王太子だけでなく、アリアの素顔を見たことがない国王夫妻やティグレも、開いた口が塞がっていない。
「……私が信頼し合える人じゃないと、私の顔は一生見えないように呪いをかけてもらったの。
だから、家族や僅かな友人しか私の本来の顔を見ることはできない。
なんせ、醜い顔を一生見たくないと仰った人がいたからね。」
ベールを降ろしながら、アリアは王太子に背を向けた。
たった七歳の少女に、自分は一生解けない呪いをかけさせてしまったのか。
今更悔やんでも遅いが、自分がなんて利己的で浅ましい人間だったのかと王太子は後悔した。
「……私は、君に対してとても酷いことをした。
謝っても許されるモノじゃないのもわかっている。
………だけど、君と仲良くなりたい。それに、君の呪いを解きたい。」
「はぁ!?」
「ベルナルティ卿、彼女の呪いを解く方法はないのか?、私の何を代償にしてもいい。」
誰もそんなこと頼んでないわ!!とアリアが怒鳴る前に魔法使いが微笑んだ。
「……おや、それは誰のために呪いを解くんだい?」
「私のためだ、私が彼女に素顔で笑っていてもらいたいから解いてほしい。」
「な……、」
アリアのために呪いを解くと言ったら次は殺す気で殴ろうと思っていたのに予想外の答えが飛んできたことにより、アリアの動きが止まった。
「私のせいで、彼女は心の底から笑う機会など多くのものを失ったんだ。
償いにはならないかもしれないけど、私は彼女が笑って暮らせるようになって欲しい。
……そのためになら私の何を代償にしても構わない。
だからベルナルティ卿、解いてもらえないだろうか?」
「……ふん、さっきよりかはマシな男になったね。……いいだろう、解き方を教えてやるさ。」
「ええっ!、解き方あったの!?、絶対解けないようにしてって私お願いしましたよね!?、ベルナルティ卿!!!」
アリアは裏切られたような面持ちでベルナルティ卿を問い詰めた。
「たった七つの子に呪いをかけるだなんて、嫌な仕事をさせるもんだから、未来に希望を残しとこうと思って。」
希望じゃなくて絶望だ。
おちゃめなウインクを飛ばすベルナルティ卿にアリアは少し腹が立った。
「呪いの解き方はとっても簡単さ、
真実の愛のキスで、アリアの呪いはたちまち消え去りハッピーエンド、ってね!」
まるで御伽噺のような呪いの解き方に、アリアは吐き気を催した。




