念願のハッピースローライフですね、お嬢様。
「本当に…もう、領地に帰ってしまうのか?まだ、傷口が完全に塞がったわけではないだろう?王宮でもう少し……」
「いえ、王太子殿下や国王陛下にこれ以上面倒を見ていただくわけには……。
それに、領地にいる兄も心配していると思いますので……」
馬車に乗って帰ろうとしてるのに、まだ引き止めるのかお前は!!
アリアはこれ以上王太子に喋らせまいと食い気味で帰郷したい理由を述べていた。
婚約破棄騒動から二週間、アリアは一刻も早く公爵邸へ帰るために血と汗と涙を流してリハビリに励んだ。
一週間も寝ていたものだから筋力の衰えが激しく、最初は歩くことすらままならなかったのだ。
それでも、アリアは王妃教育で培った根性と従来の負けん気で、馬車に乗って公爵邸へ帰れるだけの体力を手に入れたのである。
何故そこまで公爵邸に帰りたかったのか、
それは、王太子がうざがったからである。
何だ、あの変貌ぶりは。
毎日毎日アリアのところへ見舞いと称して訪ねてきては、
体調はどうだ、なにか欲しいものはないか等とアリアのことを気にかける素振りを見せるのだ。
十年前の態度とは正反対であったため、アリアは困惑しまくった。
また、いつ王太子から襲撃されるかわからない恐怖からずっと公爵令嬢として過ごしていたため、アリアの精神的な疲労は溜まる一方だったのだ。
それを見かねたアリアの父が、馬車に乗れるようになったら家に帰って療養しようと提案してくれたため、
アリアは帰宅するために頑張り、今に至る。
「兄か……、確かノウン小公爵の奥方が身重だとか、」
「そうなんですの。それなのに、更に心配をさせてしまっているので、お義姉様を安心させるためにも帰ろうかと。」
「それは……、仕方ないな。」
よっしゃ!王太子諦めた!と、アリアの心の中はお祭り騒ぎだった。
「王太子殿下には、婚約破棄後も大変お世話になりました。もう会うことはないと思いますが、今後の王太子殿下のご活躍を公爵領からお祈り申し上げております。」
アリアは丁寧にお辞儀をして、王太子が何か話しかけてこようとしていたが、発せられないように急いで馬車に乗り込んだ。
「それでは王太子殿下、さようなら〜!」
これ以上ここに居てたまるか、と馬車を素早く発車させたアリアは王太子に向けて発したことがないようなご機嫌な口調で、窓から手を振って別れを告げたのだった。
「さぁ!これで念願のハッピースローライフよ!!オエッ…」
公爵邸に到着して、馬車から降りたアリアの身体の中で、込み上げてくる喜びと吐き気が乱闘を繰り広げていた。
「馬車の中で陽気に小躍りなんてしてるからよ……、貴女まだしっかり傷口塞がってないのよ?わかってるのかしら。」
「お母様……、だって……最初は喜びが勝ってたんだもの…、あんなに揺れが凄いと思わなかっ…うっぷ…」
「大半はアリア自身が起こした揺れよ。」
正論で母親から返されて、ぐうの音もでないアリアだった。
「アリアー!!」
自分を呼ぶ声の方へ振り向くと、公爵邸の玄関前で手を大きく振る青年と、お腹の大きな女性が立っていた。
「お兄様!お義姉様!!」
アリアは吐き気も忘れて、兄の元へと駆け寄りそのまま抱き締めた。
「よかった……!、腹を刺されたっていうから、俺もソフィアも気が気じゃなかったんだよ。」
アリアの兄ジルベルトは妹を愛しむように抱きしめ返した。
「お義姉様も大事な時期なのに心配かけてしまってごめんなさい…、体調は大丈夫ですか?」
「今のところ元気よ!、別宅で療養させてもらってたのが良かったみたい。でも療養中にアリアちゃんがあんな……、もっと早く帰ってきてれば良かったわ。」
淡い栗色の髪を靡かせながら、アリアの義姉ソフィアは少し悲しげにアリアの頬をなでた。
「私が自分で受けた傷だからお義姉様が悲しむことないのに…、」
「だって私の可愛い妹が大怪我したのよ!?、悲しむに決まってるでしょう…!ジルが怪我するより心配なんだから…!」
そんなぁ…!と悲しむ旦那を横に、ソフィアは妹の頭を撫でくりまわした。
アリアの五つ年上の兄、ジルベルトは幼馴染みであるディチア公爵家のご令嬢と三年前に長年の恋を実らせて結婚した。
その相手がソフィアであり、幼馴染みであるため昔から実の姉のようにアリアを可愛がってくれている。
アリアよりも少し暗い銀色の髪に、父親と同じサファイア色の瞳を持ち、『白薔薇の君』と呼ばれた母によく似たジルベルトは、その美しさと戦での戦いぶりから『氷の貴公子』なんて渾名もついている。
その妻であるソフィアは、栗色の髪に、新緑を思わせるような翡翠色の瞳を持つ優しげな美人である。
この二人こそ美男美女のお似合い夫婦だな…、なんて身内ながらにアリアは考えてしまうのだ。
「そういえばお義姉様、予定日って何時でしたっけ?」
アリアはお腹に触ってもいいか尋ねながら、ソフィアにお腹の子の生誕予定日を聞いていた。
「それがね、二週間前なんだけど一向に出てこないのよ!
もしかしたら、皆が帰ってくるまで待ってるんじゃないか?なんてジルと話してたの。」
「へぇ、私が帰ってくるまで待っててくれたのかな?、そしたら叔母さん凄く嬉しいな。」
ほわほわした気持ちでアリアはソフィアのお腹を優しく撫でた。
「皆が揃うまで待ってるんだとしたら、うちの子は産まれる前から神童だな!」
「やだぁ、ジルったらもう親馬鹿なんだからあははは………ゔゔっ、」
快活に笑っていたはずのソフィアが急にお腹を抱えて座り込んだ。
「え、うそ。」
「ええっ、まさか!?ソフィア!?」
慌てた兄妹がソフィアの前で右往左往している。
「そのまさか、です………。」
「ギャーーー!?!?、どうしよどうしよココ玄関じゃん!!お兄様!!!ちょっと、ミレーとかゴートを……!」
アリアは振り向いて兄に助けを呼んできてもらおうとしたが、顔面蒼白でどうしようどうしようと連呼しているだけである。
「戦場での活躍っぷりは何処に行ったんだお前ーーーっ!!」
つい、本音が出てしまった。
「何!?ソフィアちゃん陣痛始まったの!?」
「おっ、お母様!!」
「ほら!!旦那がしっかりしなくてどうするの!ジルベルト!!
衛兵達はお医者様と産婆さんを今すぐ呼びに行きなさい!!
あなたーっ!!!」
「ローザ!?、どうした!?」
馬車を仕舞っていた父が、母の呼びかけから一瞬で飛んできた。
「貴女はミレーとゴートにお産の準備をするように言って頂戴!!、私とジルベルトとアリアでソフィアちゃんを部屋に運びますよ!いいわね!?」
「「「はいっ!!」」」
親子三人の声が響く。母は強しである。
どうにかこうにか、ソフィアを部屋の寝台へと横たわらせた。
「な、なんとか……なった……。」
「後は、ソフィアちゃんの頑張り次第ね…。ジルベルト、ちゃんとソフィアちゃんの側にいて支えてあげなさい。」
「勿論。」
ジルベルトは妻の手を握りながら、強く頷いた。
「じゃあ、私達はお産が終わるまで迷惑になるだろうから外で……、アリア?」
ローザが部屋の外に出ようと歩くが、自分の娘は寝台の方を向いたまま動かない。
「お母様……?」
自分の方を向かないまま、アリアが自分へと呟いた。
「どうしたの、アリア。」
「傷口、開いちゃったみたいです………。」
母の方へ向いたアリアは、口から血を吐き出して倒れ込んだ。
「あっははははははははははははははは!!!!!、ひーっ、ひぃっ、お前っ、何だそれっ……ぶぶっ、ははははははははは!!!!」
栗色の髪の青年は片手で腹を抱えて、もう一方の手で机を叩きながら爆笑していた。
「…………いくらなんでも、笑いすぎじゃありません?」
「陣痛中に目の前で人が倒れるなんざ、姉さんが不憫で仕方ないな……ふふっ、あははははは!!!」
ツボにでもはまったのだろうか、青年は目に涙を溜めながら両足をじたばたしている。
「しょうがないでしょ!?、慌てふためいて動きすぎたので傷口が裂けてたのに気が付かなかったの!!」
「いや、その前にどーせ馬車の中で嬉しくて踊ってたんだろ?」
その通り。
アリアは自分の行動を見透かされているようで何も言えなくなった。
「姉さんの出産祝いに来たってのに、こんな面白いことがあるとは……、流石ノウン公爵令嬢は裏切らないなぁ!」
「褒めてるんですか、それ?
顔めちゃくちゃ笑ってますよね?ディチア小公爵様?」
アリアは目の前にいるディチア公爵家の嫡男、ファヴィオを睨みながら紅茶を口に含んだ。
ソフィアはアリアが目の前で倒れるというハプニングがあったにも関わらず、元気な男の子を産んだ。
母子共に健康であり、ここで倒れたらアリアちゃんに顔向けができない……!等という根性でお産を乗り切ったそうだ。
それから三週間後、ソフィアの体調が落ち着いたということで、ソフィアの家族であるディチア公爵家の皆々様が、ノウン公爵邸に遊びに来ていたのである。
「母上と父上が初孫を可愛がってるもんだから、お前とお茶でもして待ってようと思った私は正解だったな!
持つべきものは笑える幼馴染み!、これで当分話題に困らないな、ありがとう。」
姉と同じ栗色の髪を揺らしながら、ファヴィオは爽やかで清々しい笑みを向ける。
「何勝手に私の事喋ろうとしてるんですか。なるほど……、そっちがその気なら私も暴露大会でもしましょうか?九つのときのじょ……」
「やめろ、私が悪かった。」
よほど喋られたくない事だったのだろう、アリアが言い終わる前にファヴィオは頭を下げた。
アリアはふん!と鼻息をついた後、仕方ないなという顔で口を閉じた。
「……それにしても、何でお前まだベールなんかしてるんだ?
もう婚約破棄してハッピースローライフだー!って弾けてるのかと思ってたぞ。」
「ちょっと、捲らないでくれますー?、呪いはそう簡単に解けるもんじゃないから、一応してるのよ。」
アリアはベールを捲っているファヴィオの手を叩いた。
「でも、私はアリアの顔が見えるんだからする意味なくない?」
「ファヴィオはいいけど、ディチア公爵と公爵夫人は私の顔見えないでしょ。ベールを外したまま出てってみなさいな、のっぺらぼうが現れるのよ?」
「そりゃあ、姉さんのお産の時より笑えるかもな!」
アリアの呆れた顔を見ながら、ファヴィオは皮肉を込めた笑みを浮かべた。
アリアの顔は、互いに信頼している人物には見えるようになっているが、信頼していない人がアリアと認識してアリアの顔を見ると、
顔には"何も映らない"。
つまり、アリアの顔がのっぺらぼうであると判断してしまう呪いである。
アリアをアリアとして認識していない場合は、普通に顔が映る。
だが、一度でもアリアだと認識してしまうと、どんな顔だったかも思い出せなくなり、のっぺらぼうにしか見えなくなるのだ。
「でも、そんな縛りがあって幸せな生活できてんの?」
「え?、めっっっちゃ幸せだよ?。だって王妃教育は無いし、王太子の訪問もないからトマトの品種改良と出荷方法についても作業できたし、前々からやってる事業も本腰入れれたし……、もう最高よ!あとは前みたいに動けるようになるだけ!!」
「トマト……!、あれ、お前の仕業か!!うちの領内でも流行り始めてお前んとこからの輸出額がちょっと値上がりしてんだよ……、おのれ……」
「あらー、小公爵様?もしよければ苗と育成方法でも教えて差し上げましょうか?勿論、高く付きますわよ?」
アリアは、オホホホホと公爵令嬢らしい笑い方をしながらファヴィオを煽っている。
「嫌なヤツ…!!」
「まぁ!敵を多く作ってる小公爵様からそう言われるだなんて、褒め言葉ですわね!」
公爵令嬢としてではなく、アリアとして喋れる相手であるファヴィオとの会話は楽しく、近づいてくる足音にアリアは気が付かなかった。
「どうしてノウン公爵邸に、ファヴィオがいるんだ?」
「レオナルド王太子殿下…!?」
アリアのベールを捲ったり、髪を引っ張られたりして言い争いという遊びをしていたファヴィオは、背後に自分の主が立っているとは思いもしなかった。
それはアリアも同じである。
げえーーーっ!!、なんでっ、なんで家に来たのよー!!
そんな心の声が、アリアの中で響き渡った。




