《1》佐伯優馬 櫻井夏希
佐伯優馬
櫻井夏希
出会い
キー…… キー……
と、ブランコの錆びた鉄同士が、擦れ合う音。
もう、黄昏を過ぎ去った夜の街に、灯りが、不規則に途切れる街灯が、静かに僕を見下ろしていた。
背後には何もないのに、不思議と何かが見ているような、異様な気配がある。
振り向いては、何もないのを確認し安堵し、またしばらくして振り向くを繰り返した。
(このまま背後に誰かがいて、僕を八つ裂きにしてくれたらいいのに)
どのくらい漕ぎ続けたのか。もはやわからない。
ピロリン♪
携帯が鳴った。送信者名に、母と映る。
「ご飯ができました。早く戻って来てちょうだい。」
送信者は、母でもなんでもない。孤児院のシスターだ。
毎日、同じ時間に送られるこのメールは、僕の帰宅の目安となっていた。
ブランコから重い腰を上げ、その場を後にした。
しばらく歩くと、長年育った孤児院が見えた。
帰宅すると、数名の子供が、シスターに言われるまま手伝いをしていた。
みんなの近くにいくと、僕は笑顔を作った。
昔から、シスターの教えで笑顔は幸を呼ぶと言われてから、毎日笑顔を作り、ぎこちなかった笑顔も、今じゃお手の物になった。
「ただいま。」
「「「「お帰りなさい!」」」」
元気な子供たちの声に迎えられ、ちょうどご飯が並べ終わったので、そのまま席に着いた。
それぞれ席に着くと、シスターの挨拶とともに夕飯を味わった。
────
夕飯を終わり、シスターに呼び出された。
呼び出された内容は、わかっていた。
シスターの後をついて、一番奥の部屋に入る。
シスターが、観音開きの窓を開けると、夜風がスーッと入り頰を撫でた。
「気持ちのいい夜ね」
「そうですね」
シスターは、夜空を見上げ、少しすると振り返った。
シスターは笑顔を保ちながら、静かな声で言った。
「やはり、行く気はないのね」
無言で頷く。
この話はもう3度目だ。
初めは、2ヶ月前にシスターに呼び出されたことから、始まった。
内容は、僕の実の母親が、僕を引き取りたいと、申し出たらしい。
僕は、今年で18になる。
もうすぐここを、出て行かなきゃいけない。
17年もお世話になったここを、離れるのは心細いが、急に知らない人の家に転がり込む方が、もっと嫌だ。
「何度も言ったけど、俺は1人で生きる」
シスターは悲しそうな顔をしたが、僕の意見を反対する気はないようだった。
「あなたの人生よ。好きに生きなさい。」
振り返り、また空を見上げ始めた。
軽く会釈をして、その部屋を後にした。
その日の夜、僕は夢を見た。とても暖かくて、どこか切なくて……
僕の求めているもの全てを、映し出したような、奇妙な夢を。
────
水泳部と青い筆で書かれた、部室に向かう。
去年の文化祭に、みんなで書いたものだ。中に入ると、土屋が、流菜と話していた。
土屋は、男子水泳部の部長だ。ガタイが良く、逆三角形な背中は、女子が引かれるポイントとなっていた。
私は、それを横目に通り過ぎて、女子更衣室に入った。
他にも部員がチラホラ見えた。上着を脱ぐと、土屋と話し終えたらしい流菜が、入ってきた。
「うい、今度の大会の構成決めてた。」
「そうなんだ。」
私が聞くまえに、答える流菜。
流菜とは、この高校で一緒になり、クラスさえ違うが、部活で馬があい仲良くしてもらってる仲だ。
流菜は、中学から私のことを知っていたらしい。
私は、小さい頃から水泳をしていて、1度辞めたが、中学から本格的にやり始め、クロールでは、負け無しだった。
テレビに取り上げられることも多々あり、本気で水泳をやっているものは、大抵私を知っていた。
流菜もその1人である。
私は強豪にいくと噂されていたし、実際オファーはあった。
しかし、それを蹴って、近場のこの高校に通っている。
2人は着替え終わると、プールに向かった。
何名かは、もう泳いでいる。
ストレッチを入念にやると、プールに入った。
軽く泳いで、ウォーミングアップをする。
周りはフェンスで囲われており、その通りの道路からは、こちらが見えないよう、木々がそびえ立っている。
声が少し聞え、帰宅している生徒が何名かいるようだが、こちらもあちらも見えはしない。
こちらを気にも止める人はいない。
私が、泳ぐのをやめ、プールサイドにもたれ掛かると、
流菜が来た。
「どうした」
ゴーグルをとって、顔を拭う。
「…… ううん。なんでもない。」
「そっか」
流菜は出会った時から、あまり干渉するタイプではない。そんなところも、気があう理由だった。
また、泳ぎ始めた。
────
帰りに珍しく、土屋といつも一緒にいる植原が、話しかけてきた。
土屋とは逆に、植原はほっそりとして、水の抵抗をあまり受けない体つきだった。確か、背泳ぎを得意としていた。
「櫻井ー、今日一緒に帰らない?」
屈託のない笑顔に、ノーとは言えなかった。
どうせ、土屋の鬼指導から、逃げたいに違いない。
特に用事もないので、一緒に帰ることにする。
やはり、上原は、土屋から逃れたかったようだ。
帰りながら、植原は何か話していたようだが、半分以上聞き流していた。
暫く行くと、植原が、いつもと違う道を曲がった。
「どこ行くの」
「あっちのコンビニ寄ってから帰ろ」
「分かった」
車が通れないようなほど、狭い道を歩いていくと、通りにあるブランコしかない、小さな古い公園で、ブランコが動いていた。
そこに人が座っていたが街灯が薄暗く、ひとりでに動いているように見える。
こんな時間に1人でブランコとは、どうかしてる。
「あれ、あれ3組の悠馬だ。佐伯優馬。」
植原は、いった。
「ふーん」
さして、興味もないので、スタスタとその場を去る。
「あっ、ちょっとまってよ」
植原は、すぐについてきた。
佐伯か……
確か、隣のクラスにいたな。その後の植原の話も、半分以上聞いていなかった。
────
目の前を、同じ高校の制服を着ている、男女が通った。
だが、それしかわからなかった。
(こんな道、通る生徒がいるんだ……)
今日もまた同じ時間に、シスターからメールが来る。
重い腰をあげると、ブランコはひとりでに揺らいでいた。
公園を出て、男女が来た道を、逆に歩く。
「ねえ」
急に、後ろから話しかけられて、恐る恐る振り返る。
本物の殺人鬼に、出会ってしまったかと思った。
どうしてこんなに、殺人鬼に敏感なのかは、自分でも疑問に思う。
しかし、後ろに立っていったのは、先程、目の前を通り過ぎた、男女のうちの女の方だった。
無言で見つめる。
無言で見つめ返される。
「な、なに」
「……なんとなく気になって。」
女は、少しだけ首を傾げた。
「あなたって、そんな人だった?」
その言葉が、僕の心を刺した。理由はわからない。
でも、なにか思い出させるようなことを、言われたような気がしてたまらなかった。
なにか失っているものが、ある気がした。よくわからないけど。
2人で見つめあって、僕が負けた。
目をそらし踵を返す、何も言わずに女に背を向け、家路を急いだ。
────
帰宅し、直ぐにお風呂に入った。
佐伯優馬。
常に笑顔で、やんちゃでリーダー質な男。
関わりのない私でさえ、存在を知っているほど人気だった。
容姿も整っているのもあって、何人の女が玉砕したか。
私が知っているのはそんな佐伯。
辛気臭い場所で、ブランコを1人で漕いでいるなんて、変なやつ以外何者でもない。
そしてあの反応。
無表情と言うより、何かに怯えたような顔。
正気を失ったかのように、ただ1つの目的だけに縛られ動いてるようだった。
ふと、風呂の湯船に、小さい頃に買った、アザラシのおもちゃを浮かばせてみる。
久しぶりに触るそれは、所々カビに侵されていた。
ふと、思い出したことがあった。
私が水泳を始めたきっかけ。
確かこのアザラシが、関わっていた気がする。
確かな記憶はないが、このアザラシは、私のことを全て知っている気がする。
ぼーっと眺めていると、芯まで温まったようだ。
顔が火照ってきた。湯船から上がると、シャワーで体を流して、出た。