君が最期に見る夢は
私は毎晩目を瞑る時、このまま終わらないだろうかと願う。だがその願いは叶わない。そして今朝も自分の意志とは関係無く目を覚ます。
その目に映る日常は、いつもと同じ日常と見紛うも大小に拘わらず確実に異なる。仮に私が止まっていたとしても、私に合わせて周囲が止まる訳は無く、私に関係なく動き続けて変わってゆく。それは逆もまた然りであり、同じ1日など誰にも存在しない。そんな中、私は夜になれば相も変わらず「楽に終えられれば」と目を瞑るのであろうが、きっとその願いは叶わない。楽に生きるというのも叶わぬ願いではあるが、楽に死ぬのも叶わぬ願い。それを願いつつも、ただただ無駄に時は流れ続ける。
私には目標といった夢も無い。人生に悔いが無いかと問われれば、大小に拘わらず何かしたい事が浮かびはする。だがそれを糧に生きていたいかと問われれば、そこまでの物では無いと答える。無理に目標を掲げるとするならば、「人生の終焉」と云った所だろうか。
私が終わりを望んでいる夢が無いからでは無く、単に私が必要の無い存在故である。
私もいくつも仕事を変えた。いや、変えざるを得なかった。そしてここ数ヶ月間仕事を探すも、私を雇ってくれる人は見つからず、今は仕事に就いていない。そうして無収入が続いている今、この先に展望は無く、経済的に破綻するのが目前という状態である。
人は個人法人を問わず社会奉仕を目的に存在すると言って良いだろう。そしてこの国の憲法27条には「勤労の義務」と記されている事からも、「人は労働力して生まれる」と言っても過言では無いだろう。であるならば、仕事に就いていない、就ける仕事が見つからないという状態とは、私の存在が不要であるのと同義であろう。ならば生きている必要は無いという事であり、故に終わりを希望するという事である。
『安月給で毎日朝早くから夜遅くまで頑張っている』
『ブラック企業でも頑張って働いている』
『俺は睡眠を削ってでも頑張っている』
『ネカフェ暮らしで日雇いで頑張っている』
『本業だけでは生活できないから掛け持ちで働いている』
そんな言葉がネットに踊る。私はそれを見る度に思う。
そうまでして生きたい理由は何だ。そうまでして叶えたい夢でもあるのか。私みたいに楽に終わりたいとは思わないのか。いっそ来世に期待しようとでも思わないのか。苦労した上での達成感こそが人生であり、それこそが生き甲斐とでも言うのだろうか。それとも単に寿命まで生きる事が目的目標なのだろうか。そんな苦労を経た上で、何か楽しい事があるというのだろうか。世の中に数多ある事から楽しいという物が見つけられない、若しくは理解出来ない私が悪いだけなのだろうか。ただただ義務として働き、義務として生きているだけでは無いのか。
私が仕事を得られないのを社会の所為にするつもりは無い。労働の義務が憲法に記載されているとはいえ、それが見つからない状態を国の所為にするつもりも無い。
雇う側は人手が足りない、若しくは事業を拡大するが為に人を雇う。継続するが為に人を雇う。その大前提である「仕事」を作る為には、他社と競合した上で仕事を受注する必要がある。唯一無二の技術等を売りにしている、若しくは好き嫌いの感情で以って選択されるならばいざ知らず、その多くは同業他社との競合を強いられ、余程の技術等の違いが無ければ、それは主に値段で以って競争する事になる。値段の競争とは売価や初期費用、運用維持費用等の安さの競争。それを成すが為には極力経費を削る必要がある。時には会社の儲けを減らし、雇用主自らの手取りを減らす。そして可能な限り機械化を進めて人を省く事で経費を抑える。どうしても人を雇う必要があるのであれば、出来るだけ安い賃金で雇用する。それでも経費が抑えられなければ、海外の安い労働力や税金等の経費が安い場所へ移転、若しくは発注する。それは仕事が海外へと流れてしまうという事である。
常に人々は少ない仕事をめぐって競争している状態にあり、そこで勝つ為にスキルを上げてゆく。そしてその競争に、私は負けた。私には雇う価値が無いと判断された。それに対して異を唱えるつもりは無い。会社という組織から生活保護を受けている訳では無く、賃金以上の利益を生み出せない人間だと判断されたのであろうからそれは必然である。報道等に於いては「人手不足」という言葉が見受けられるが、実際には人手が不足している訳では無い。仕事を探している人は常におり、単にアンマッチなだけである。雇う側は安い賃金で雇って色々な事をやらせたい、同じ賃金であれば高付加価値を生み出す人材を確保したい、少ない人数で以って回して経費を削減したい。それも「住所」を持つ清廉潔白、且つ丈夫で従順な人間を雇いたい。雇われる側は高い賃金、若しくは自分の価値観に当てはめた対価を求めるというアンマッチなだけである。
人海戦術的な配送という仕事も存在する。1個の配送に於ける単価が低くとも、効率的に動けば何とかなる。だがそれは万人に通ずる話では無く、ある程度のセンスを要する。効率的に動ける街や地区と言った物も存在し、それらの仕事を取るのも競争だったりする。そういった仕事であっても従事する人が多ければ市場原理が働き競争競合が起こる。結果、それは賃金の低下といった事を招く事となる。競争が無ければ高い賃金を保てるが、それは消費者に転嫁されるだけであり、それを消費者は善しとはしないだろう。誰しもが貰う分には多く、払う分には少ない方が良いと思うのは当然だろう。故に競争競合は現代に於いて是とされる。
『業績が悪くなり仕事が無くなったからって解雇するな。解雇するなら保証しろ』と、そう言った言葉が時折見受けられる。社員として雇用されている者は法律によってそれなりに保護され、会社は給与と社会保障費を含めて相当な経費を支払い雇っている。その他の雇用形態に於いてもそれなりの金額が支払われてはいるが、どちらにせよ、雇用される物は給与以上の利益を会社に還元しなければ損害を与えているとも言える。その還元すべき利益を生み出す仕事が無いのに雇っていても、それは単に経費が嵩むだけであり無駄な出費と言える。それらの者は権利ばかりを主張しているだけではないのだろうか。それとも会社が潰れるその日まで、無給でも良いから働き続けるとでも言うのだろうか。仕事を与えられるのが当たり前と思っているのではないだろうか。「死なば諸共」と、会社が潰れない限りは雇い続けろとでも言うのだろうか。そうでないならば自らが仕事を取って来る、自らが仕事を作ってから言うべきであろう。若しくは唯一無二といった技術等、会社が決して手放したくないような付加価値を、備えている必要があるだろう。そのような人材であれば、会社も安々とは手放さないであろう。
新卒と呼べる社会人成り立ての人を社員として雇う際、3年間は育てる為の投資期間という。3年を過ぎれば会社に対して利益を生み出すようになると考えるという。それよりも前に退職すれば、その投資は無駄と言う事になる。だとしても、雇用される側は自己都合で辞める権利を有し、それを行使して直ぐにでも退職する事が出来る。退職理由は兎も角、育て上げたその者らは会社の都合を考えずに辞める事が出来るが、この国では社員として雇っていれば、余程の事が無い限りは簡単には解雇できない様に法が作られている。業績が上向いていれば問題無いが、業績が下がっても簡単には解雇出来ないままに、社会保障費と給料は払い続けなければならない。その事務的経費もそれなりに掛かる。それ故に正社員と言う存在を忌避し、契約社員やアルバイトという形態が重宝される事態になっている。育てるという投資も必要もなく、最初からスキルを要した人を時限的に雇う。そういった形態が好まれる。それは労働者が保障を求め過ぎた故の結果とも言えるのではないのだろうか。
それに対して『政府が悪い、行政が悪い、社会が悪い』と、そんな短絡的な言葉が稀に見受けられる。例えやりたい仕事では無くとも「職業選択の自由」という権利を行使し働いているはずだ。準備すべき事が煩雑且つ多くあるのかも知れないが、何なら起業する事だって出来る。「親の因果が子に報う」という言葉も存在する事からも、実社会に於いては大きな違いが出る事も多々あろうが、それでも憲法の庇護下に於いては一応平等と言える。それでも言いたい事があるのであれば、「言論の自由」の名の下にあらゆる媒体を行使して、自らが率先して社会等に対し論理的に訴える事も可能である。若しくは民主主義を謳うこの国の中に於いて、同じ意思を持つ同士を集めて選挙に打って出る事も可能であり、民衆がその訴えに呼応し衆参両議院で過半数をとれば、ほぼ全てを変える事も不可能では無い。だが実際そこまでの事はしない。言いたい事はあってもそこまで本気ではない。変えたいと思うよりも変えて欲しいと願い、他責に於いて自分に都合のいい変化しか望まず、自分に直接的な責務が発生する程には望んでいない。その他責に対して愚痴を言っているに過ぎない。それ故に変化が起こらない。
兎角「海外では」という例え話が見受けられるが、それは都合の良い所ばかりを見ているに過ぎない。現時点でも世界には紛争地域だって存在する。国民が銃を持つ事が許されている国だって存在する。この国では違法薬物としている物を合法としている国だって存在する。それはそれぞれの国の生い立ちにより形成された物であり、それを経た上で今がある。それらを経た上での国民特性という物だってある。それらを無視して都合の良い事だけをフィーチャーするのは、その国の積み上げられて来た歴史や文化を無視しているとも言えるのではないだろうか。
『努力が報われないのはおかしい』と、そんな言葉も見受けられる。努力は美徳と言えるが、結果を出さずに評価されるのは学生時代だけであろう。それを美徳として教えているこの国、いや大人達に問題があるのだろう。兎角完璧を目指すべく指導されるが、実社会に於いては完璧さよりも効率や要領の良さが必要と思える。頑張っている姿は美しいと言えるのかも知れないが、同じ事を短時間でやる者、徹夜して成し遂げた者とを比較すれば、短時間でやる者の方が利益を出している、効率的、必要な人材、評価されるべき人材であると言える。競争社会に於いては努力した者よりも結果を出した者が勝者であり、その社会に於ける評価項目に、「努力点」といった項目は無いのだ。
『苦労は買ってまでしろ』といった言葉も存在する。その趣旨は「多くを経験しろ」「困難を乗り切れば次の困難にも立ち向かえる」という事であろうが、本当に人の人生とはそこまでする価値があるのだろうか。人間の命などたかだか7、80年。地球という星の歴史から言えば一瞬とも言える年月。そんな取るに足らない人間の人生に於いて、そこまで苦労して生きる価値はあるのだろうか。辛く苦しい思いまでして生きる価値が、果たしてあるのだろうか。そもそもこのような社会に何の意味があるのだろうか、どんな意味があって存続しているのだろうか。ただただ止める訳には行かないという理由だけで、云わば惰性だけで存続しているだけでは無いのだろうか。そんな社会に於いて、人は我慢しながら生き続けているのだろうか。生きていて苦しくないのだろうか。どういう思いで生き続けているのだろうか。
現代の世界は経済と言う名の下に構築されている。少し前のその経済に於いては、それは全て人が行っていた。経済とはサイクルであり、概ねで言えば「人が物を作り物を売り、対価を得て物を買う」と、それが延々と続く事で意味を成す。だがそのサイクルの中、人が物を作るという行程に於いては人が不要となって来ている。言ってみれば、そのサイクルは既に破綻している。破綻した状況に於いては、人その物が多すぎると言えるのかもしれない。
今のこの国は高齢者が多く、若い人、生まれてくる人が少ないという。それは今、いや今後の経済サイクルを考えれば正しいとも言えるのだろう。そして100年後を想像するに、どれくらいの人が労働に従事しているのだろうか。果たしてその時に、「勤労の義務」といった憲法は意味を成しているのだろうか。もしかしたら無理にでも、人を必要とする何かが作られているのだろうか。それとも限られたホワイトカラー職の人間だけが生き残り、無意味に人類を存続させているのだろうか。
既に機械が考え導きたした答えに人間が従うという状況も存在する。その仕組みを創造したのは人間ではあるが、いずれそれらも機械が自動で創造する事になるのだろう。そう考えるに人は必要なのだろうか、何の意味があるのだろうか。人が食す家畜以上に、人の存在に意味があるのだろうか。
さてさて前置きが長くなったが、人間の機能停止といえる死を自らの意志で以って迎えるにはどうすれば良いだろうか。
この国、いや世界、または人類社会と言ったほうが良いだろうか。ほぼそれらは人を楽に死なせてくれる制度や施設を持たない。産科といった生産施設、内科外科といった矯正施設。葬儀社や火葬場に墓地といった死者の施設はあるが、死を与える施設はといえば、日本に於いては拘置所という公的施設にしか存在しない。だがその施設は特定条件に当てはまる極少数の人間しか利用する事は出来ない。それはどんなに苦しくとも生きる事が正義だと、苦しみぬいて死ねと言わんばかりである。故に自らの意志で以って死を求めるならば、自殺と呼ばれる方法しか無いという事になる。その方法については色々な物が存在するが、見聞きする物に於いてはどうにも確実性に乏しく思う。家の中にしろ、誰も入らない山の中にしろ、終わる前に見つかる可能性は否定できない。そこで確実な方法は何だろうかと考えるに、それは公的な物であると言えるだろう。
しかし不思議に思う。人が誕生する際には自我が無い状態であるからして、自分の意思で以ってこの世に生まれる事が出来ないのは当然ではあるが、自分の意思を持った後であっても、この世から去る事が存外難しいのは何故だろうかと。それは何と不思議な事だろうかと。
そんな内容が書かれた1通の手紙があった。それを書いた者は人通りの多い夕刻の商店街にて、通り魔的殺傷事件を起こした。その者は逃走する事無くその場に立ちすくみ、駆け付けた警察官によって一切抗う事無く、あっさりと逮捕された。不精髭を残す何処かで見たような顔。黒々とした短髪を持ち、中肉中背といった20代後半と思しきその者を逮捕をする際、警察官は何か違和感を感じた。目の動きを含め体の動きはどこかぎこちなく、喋り方もどことなくぎこちない。だが何か体に障害があっての事かと思い、その事には触れずに警察署へと連行した。
返り血を浴びた服そのままに、おとなしく従うその者を取調室へと連行し、直ぐに始まった事情聴取により住所氏名を問われると、その者は素直に答えた。
「飛鳥山健太郎です。住所は埼玉県――――」
「飛鳥山さんね。それで弁護士はどうしますか?」
「要りません。早く死刑にしてください」
事件としては若い男性と若い女性、そして高齢女性の3人が死亡。そして小学生と思しき女の子と高校生の女の子の2人が重軽傷という事件であり、既に速報として大々的に報道もなされていた。
「これだけの事件を起こしたんだから裁判は確実ですしね、アナタが付けないと言ってもね、司法のシステム上、弁護士は付けなきゃならんのですよ。だからあなたが不要といった所で国選で付けられますけどね」
「要りません。早く死刑にしてください」
「まあ、それは後にしますかね。で、動機は何ですか? 何故あんな事件を起こしたんですか? 殺害した人は知り合いですか? 恨みでもあったのですか?」
「皆さん初対面です。名前も知りません。故に一切恨みはありません。死刑になりたくて殺害しました。凶器の包丁もその為に購入しました。最低2人は殺害しようと計画した上での犯行です」
「計画的殺人ですか? 言って置きますけど、この取り調べはカメラで撮影してますよ? 裁判では重要な証拠になりますよ? 分かって言ってますか?」
「はい、分かっています。ですから早く死刑にしてください」
「あなたが所持していたこの手紙さ、何か犯行声明みたいな感じのね、私も読ませて頂きましたけど、それが動機って事なのかな? 自分の境遇を悲観したら死にたい。そして死刑にしてもらいたいから殺人を犯した、みたいな事でいいのかな?」
「はい、そうです。計画的犯行です」
「ひょっとして何か薬物みたいなのやってます?」
「いえ、何もしてません。至って健康です。ですから早く死刑にしてください」
「じゃあ心身耗弱とかの精神疾患で無罪とか狙ってます? それとも裁判でひっくり返そうとでも思ってます?」
「無罪など狙っていません。私は正常です。どこも悪くはありません。だから早く死刑にして下さい」
取調官は違和感を感じずにはいられなかった。どうにも視線がおかしく、口調に違和感があると。やはり精神疾患でも抱えているのだろうか、若しくは何らかの薬物でも摂取しているのだろうかと。
「じゃあ、動機としては死刑にして欲しいから無差別殺人を犯した、という事で良いですか?」
「はい、そうです。それで間違いありません。早く死刑にしてください」
そんな事情聴取が続く中、「コンコン」と、取調室のドアをノックする音がした。取調担当の刑事は「ちょっと待っててくださいね」とおもむろに席を立ち、ドアを自分で開けるとそのまま外へと出ていった。そしてその者は取調室の中、微動だにせず待ち続けた。
それから10分程が経った頃、ガチャリとドアが開いて、先の刑事が戻ってきた。
「ちょっと飛鳥山さん……」
「はい、何でしょうか」
「いや……あなたさ……」
「はい、何でしょうか?」
「あなた……機械……なの?」
「機械? 私がですか?」
刑事が取調室を出ていく5分程前の事、その警察署を眼鏡をかけたボサボサ頭の20代半ばといった、見るからにほっそりとした若者が訪ねていた。
「ご用件は何でしょうか」
「本日起きた通り魔事件の事について、重大なお話があります」
黒いリュックを背負い、青い緩めのジーパンを履いた若者がそう言うと、直ぐに制服姿の婦人警官に先導されながら、警察署2階の「会議室」と書かれた部屋へと通された。
「そちらにお座り下さい。直ぐに担当の者を呼んで参ります」
10畳程の部屋の中央には長机が2つ並んで置いてあり、それを挟むようにして、それぞれ3つづつのパイプ椅子が置いてあるというだけの殺風景な部屋。奥には大きめの窓があるが薄手のカーテンで閉じられ、外の様子を窺い知る事は出来ない。若者は下座に向かい、リュックを降ろすと静かに机の上に置き、パイプ椅子へと腰かけた。そして手持無沙汰にカーテンで閉じられた窓を、ジッと見つめた。その状態のままに数分後、ノックも無しに部屋のドアが開けられると、私服姿の中年男性2人がズカズカと足早に入ってきた。
「お待たせしました。何でも先の事件について重大なお話があるとか。あ、私達担当の刑事です」
中年男性らはそう言いながら、若者の向かいのパイプ椅子に腰かけた。
「早速で申し訳ありませんが、お話を聞かせて頂けますか? 何せ時間が無いものでしてね」
「はい、勿論です。では単刀直入に申し上げますが、あの事件を起こしたのは私達が開発した機械人間です」
「は? 機械人間?」
「君ねぇ、今そんな冗談を言ってる場合じゃないんだよ? 分かってる? 人が3人も死んでるんだよ? いくら君が若いと言ってもね、業務妨害として今ここで、このまま逮捕する事だって可能なんだよ? 分かってる?」
2人の刑事は揃って眉をひそめて若者を睨んだ。若者はそんな男達の視線を一切気に留めず、無言のままに机の上のリュックに手を伸ばし、その中からノートパソコンを取り出し机の上に置くと、そのままノートパソコンを開きカチャカチャと操作し始めた。2人の刑事はその様子を訝しげに無言で見つめていた。
「これをご覧ください」
若者はノートパソコンを正面に座る刑事に向けた。
「あのね、こっちは忙しい――――」
「兎に角、ご覧ください」
2人の刑事は仕方ないとばかりに、ノートパソコンに目をやった。
「ん? お、おい、これって……」
「ああ、これは…………」
ノートパソコンの画面には、通り魔殺人事件の様子が鮮明に映し出されていた。
「それよりも、この画角は……」
「ええ、その機械人間の目から見た映像です。これらの視覚情報は随時サーバーにアップされていますが、これはまさに人を殺している最中の映像です。我々はそれらを随時チェックしている訳で無く、気付いた時には全てが終わった後でして、サーバーにはそんな凄惨な映像が記録されていたという次第です。なので急ぎ証拠として持ってきました」
2人の刑事は青ざめた表情で以ってそれを見ていた。そして1人の刑事が勢い良く立ち上がると、無言のまま会議室を後に、そのまま取調室へと戻って行った。
「私が機械? 刑事さんが何を言っておられるのか、私には分かりません」
「何か目の動きや口調に違和感はあったんだけどね……でもアンタが機械だってんなら、それも納得は出来るけど……いやしかし、よく出来てるというか……」
「機械? 私は機械なのですか?」
「アナタは自分が機械だって事、知らないの? じゃあ、あの犯行声明らしき事が書かれた手紙も機械が書いたという事か……妙に理屈っぽいし人間味を感じ無いというかさ、随分と殺伐とし過ぎているし、全く温かみを感じないなとは思いはしたけど……それにワープロで書かれたみたいにやけに綺麗な字だなとは思っていたけど……それを書いたのが機械であるなら、それも当り前って事か……いやしかし、ほんとによく出来てるというか何と言うか……ほんとに機械なの?」
通報を受けて急行した警察官も違和感を感じてはいたが、まさかそれが機械人間である事に誰も気が付かなかった。そしてこの時には警察署の前に多くの報道陣が詰めかけ、警察からの発表を今か今かと待ち受けていた。だが警察は現在も取り調べの最中であるという事だけを発表するに留めた。そして警察上層部に於いては、機械人間が起こした殺人事件をどう扱えばいいのかという話し合いが行われていた。
『機械であるなら暴走した車両と同じ扱いで良いのでは?』
『だが明らかに殺意を持っての行動である事は明白だ。本人……いや機械が言っている。遺族からしても機械の暴走なんて事じゃ納得して貰えないぞ?』
『だとしても機械がしでかした事だ。だいたい機械を被告として立件出来るか?』
『無理に決まってるだろ。所有者の責任を問うのが精一杯だろ。監督不行き届き、過失致死傷での立件が限界じゃないのか』
『それで遺族や世間が納得するか?』
『納得はして貰えないだろうが、殺人での立件は不可能だろう。その機械の所有者に殺意がある事を証明できれば、その所有者を殺人教唆で起訴できるかもという所だろう』
警察署内では「飛鳥山健太郎」と名乗った機械の事情聴取は一旦取り止め、署内上階の留置場へと連行された。その際その者は一切抵抗する事無く大人しく従った。そして一面灰色の6畳程といった部屋、鉄格子で閉ざされた部屋に1人入れられると、鉄格子を背に体育座りをし、部屋の奥の壁の上、30センチ四方といった直接外が見えない位置にある窓を、ジッと見つめた。そしてその者と入れ替わる様にして、今度は若者が取調室へと入って聴取を受ける事となった。
「正直ね、この事件をどう扱えばいいのかね、我々も判断出来ないんだよね」
「でしょうね。機械による殺人事件ですからね。今回の事件に対応出来る法は整っていないのではと、私も思っています」
「君、簡単に言ってくれるね……」
「事実を言っているだけです。とりあえずデータは全部持ってきました。なので全てお答えできる準備は整っています」
「データって……じゃあさ、あの機械が計画殺人を起こしたって言ってたけど、あれってどういう事になるの? 君達が作ったという事はさ、君達が殺人を犯すようにって感じでプログラミング? みたいな事をしたって理解でいいのかな?」
「いいえ、違います。あくまでもあの機械自ら考え導き出した結果、殺人という行動を起こしました。私達には一切殺意などはありません」
「機械が考えた? それって、えっと……AI、とかいうやつ?」
「Artificial Intelligenceですか? まあそれと同等と思って頂いて結構です。正確には自律神経回路を持った機械です。AIと呼ばれる物は膨大なデータを利用しての最適解を導き出している物です。我々のそれはその場その場に於いて自らが要不要等を考えていきます。まあ、脳に値する記憶領域に日々の出来事が記憶され、それを利用するという事からも、AIと似て非なる物といった所ですかね」
「自律神経……ね……」
「はい、我々の間では『マトラ』というコードネームで呼んでいます」
「まとら?」
「はい、『Machine To Live Alone』という安直な名前から付けました」
「1人暮らしねぇ……で、その1人暮らしをしていた機械が、何で人を殺そうと思ったんでしょうね?」
「そもそもですが、マトラは自分が人間だと思い込んだという事から始まっていると考えます」
「自分を人間と思いこんだ? そう言えばアレは自分を機械とは思って無かったような……」
「はい、そして人間として日常を送る中で自分の人生を悲観し、死刑になりたいが為に人を殺した。死刑になるには往々にして複数人を殺害する事が要求される事も学んでいたんでしょう。それ故に意思を以って複数人を殺害した、という事ですね。日本では1人を殺害しても死刑になる事は稀であり、2人以上を殺害すれば、それも残酷な方法で殺害すれば死刑になるという情報を入手し、それを理由に殺害した、という事だと思います」
「死刑を望むロボットね……ある意味、良く出来たロボットとも言えるのかな?」
「有難うございます」
「そもそも君達の目的は何なの? 人間と見紛うロボットを作りたかった?」
「そう理解して頂いて構いません」
「君は大学生だよね? そういうのってさ、教授とかって呼ばれる先生が主導で研究するんじゃないの? なら君じゃなくて、教授とかの先生がここに来るべきなんじゃないの?」
「これは大学の研究室で行われていた物ではありません。あくまでも学生有志が集まっての自由研究です。故に教授等からの指導は受けておりません。大学は一切関与していません」
「学生だけでこんな物を作れるの?」
「私1人では無理ですが、メンバー皆の力を合わせて、やっと出来ました」
「皆さん優秀なんだねぇ。で、君は今回の結果をどう見てるの?」
「どうとは?」
「いやさ、君達が直接手を下した訳では無いにしてもだよ? 3人もの人が死んだんだよ? それも君達の作った機械が殺したんだよ? それ以外にも2人もの人を傷つけたんだよ? 遺族や被害者に対してどう望んで行くつもりなの?」
「非常に残念な結果になったとは思っています。勿論直接謝罪するつもりでもおりますし、私自身が法廷に立つつもりでもいます。当然、全てを話すつもりでいます。賠償にも積極的に応じるつもりでもいます」
刑事の目には若者が反省しているようには見えなかった。むしろ人と見紛う程の機械人間を作れた事を誇っているようにも見えた。それは賞賛すべき成果であると。
「まあ、刑事は兎も角、民事での損害賠償訴訟は免れないだろうけどね」
「私もそう思います。結局の所、あまりにも人に拘り過ぎて、人に寄せ過ぎたと言えます。まあ、そうなるように開発した訳ではありますがね」
「人に寄せすぎ、ですか? それ自体は悪いとは思えませんけど……」
「それ自体に問題はないと思いますが、開発の目的の1つとも言える哲学的な事を考えるようなロジックを組み込んでしまった事が、致命的とも言えますね。その初期ロジックはかなり苦労したんですがね。そしてそのロジックも自動で進化していくのですが、それは我々の想定以上でした」
若者は開発の目的等、詳細を淡々と話し続けた。
人間として生活、自律行動が出来る、哲学的な事も考える事が出来る機械人間を作るというコンセプトを基に、それは開発された。そして社会に於いて1人で生活できる程度の知識をインプットした後、研究チームの1人の身分を使ってそのまま世に放った。それは「機械人間が人間の社会に於いて1人で生活しているか」というテスト。機械であるが故に常に理論的に考え動くそれは、人と接して会話をする事で、思考パターンを内部外部のデータベースへと蓄積し、同時に報道やネットからの情報も蓄積してゆく。そしてそれら蓄積したデータを分析し解析し、その結果を基にして新たなロジックを自分自身で構築し展開していく。常に見聞きした事や経験した事を蓄えていくと共に、新たに展開するロジックで以って考え続け答えを出してゆく。その機械を産み出したそれ自体は、世界的にも誇れる内容ではあった。だが開発者側が想定した以上に、自分を人間だと思い込む程に、複雑なロジックが自動で作られ展開されていた。
とはいえロジックで動く機械。あまり人と近過ぎては見た目等も含め、機械という事がバレてしまう。故に、人と接しすぎる場所には行かない、職に就かない様にとプログラミングされていた。だが幾ら人との接触が少ない職とはいえ、ゼロという訳にも行かない。それなりに高度なロジックが自動生成されてはいたが、やはり人間の実社会に完全適応するのは難しく、結果転職を繰り返してゆく。そういった人との接触に於ける失敗とも言える事象を学び、次へと生かすロジックが自動展開されてはいたものの、人との過度な接触を制限されていたが為に、次から次へと職を見つけるのは厳しかった。ようやく見つけた職に於いても短期間であれば凌げるが、長期間同じ職場にいると浮いてしまう。それを機械は察知すると共に、それは自分自身の所為であると考え、それに適応するロジック作成を試みると同時に、その場を去っていくを繰り返す。そして次の職が見つからないままに悲観していくロジックが生成され、事件を起こすに至った。悲惨な結果とはなったが、開発者が目指したのは人間と変わらぬ思考する機械であり、コンセプトに対しては成功とも言える結果ではあった。
「哲学ね……。何故に人は生きるのか、何故働かなければならないのか、みたいな感じですか? あの機械が書いた手紙にはそんな事も書いてあったようですけど」
「ですね。そして同時に、我々は必要なロジックを組み込んでいなかった」
「必要なロジック?」
「ええ、哲学的な事を考えるようにするのは、我々の開発コンセプトでもありました。まあ今となってはという結果論になりますが、生きるとはどういう事かや、何故働かなければいけないのかという事を考えるのは良いのですが、『何故人を殺したり傷つけてはならないのか』といった事を考えてはいけない、というロジックを組み込んでおくべきだったと」
「まあ、その問いには私も明確に答えられないけどさ、ただそれを考える分には良い事なんじゃないの? それこそが哲学の主たる物でもあるんじゃないの?」
「そうですね。人間が考える分にはいいですが、機械としては理論的に答えが出せない難しい問いです。それ故の今回の結果でもあるのかなと」
「ああ、そう言う事……」
「ええ。まあ言葉の暴力というのもありますが、それはひとまず置いといてですね、人を物理的に傷つける行為は確かに違法ではあるけど、それを理論的に否定するの難しい。そもそも法は人が作り出した物であり、社会を継続させる為に必要であると我々人間は漠然と理解していますが、マトラの様に考える機械ではそれは難しい。現実社会に於いては戦争や死刑が現実に存在し、人を傷つけ殺害する事が是でもあります。はたまたスポーツと称して合法的に殴り合う物まで存在する。宗教によっては鞭で痛めつける、窃盗をすればその手を切断するなんて刑も存在します。法は国や宗教によって一律では無いというそんな現実の中で、機械がそれらを理論的に解を求めるのは難しかったという事ですかね。故に単純に考えるなと、それは理由はどうあれ不可侵な最上位ルールであると組み込んでおくべきだった。論理的に考えるのではなく、無条件に『答えを導き出そうとするな』という命令文を入れておくべきだったと、今ではそう思っています」
「はぁ……なるほどね……」
「答えが出なければカーネルパニックと似たような状況を起こし、システムダウンするかと思っていましたが、自分の死を望んで死刑を得るが為に殺人を犯すなんて結論を出すに至りました。マトラは自身のロジックすらも書きかえる事が出来ますからね。きっと成長していく上で書き変わって、ダウンする事無く答えを導き出したのでしょう。まあそれはそれで人間らしいとも言えるかもしれませんがね。
我々はただただ『人間』を目指す事だけに邁進し失念していた。哲学的に考えるというロジックが出来た事に、我々は浮かれてしまった。そしてそのまま世に放ってしまった。当初は上手く行っていたんですがね。結果はこのような惨劇を生んでしまいました」
「ふ~ん。ところでさ、かーねるぱにっくって何?」
「コンピュータが復帰できないようなエラーを起こした際の言葉です。物によってはブルースクリーンとも言われますね」
「ああ、たまに私が使うノートパソコンでも出るあれの事か」
「ええ、通常であればリブートするのですが、マトラはリブートする事無くそのまま答えを出した」
「その結果、大惨事と言えるような悲劇を生んでしまったと」
「ええ、そういう事だと考えています。あまり人と接触するような仕事に就かないような設定が仇となった可能性もあります。余りにも人との物理的距離が近ければ、流石に機械だとバレてしまう可能性を考慮した上で組み込んだんですがね。そうしてネガティブとも言えるロジックが自動生成されていったのかも知れません。それについては膨大なログの更なる検証が必要ですがね」
「なるほどね……」
「いっその事、道路に飛び出して破壊されてくれても良かったんですけどね」
「自殺って事ですか? まあ、それなら轢いた側も相手が人では無いから、器物破損程度になりますね」
「ええ。そして確実な方法を探すにあたっては、既存の方法では確実では無いと判断してしまった」
「なるほど……しかし死ぬ為に人を殺すなんて、本当に人間と同じ考えですねぇ……」
「はい、人間と見紛う程に、よく出来たロジックだと思います」
若者は軽い笑みを浮かべつつ言った。
「我々も全く機械とは思わなかったしね。何らかの薬物を摂取しているのか、若しくは何らかの障害があるのかな程度にしか思いませんでしたしね。間近で見た訳じゃないけど、皮膚も良く出来てますね」
「はい、シリコン製ですが、見た目や触った感触も人間に近づける為に苦労しました。色も大変でしたし、管節付近や筋肉を要する場所、頭部や指先等で厚みを変えています」
「へぇ……凄いねぇ……」
「ありがとうございます」
若者は笑みを浮かべながら恭しく頭を下げた。
「人間同様という事は、飲食もしたりするんですか?」
「いえいえ、そんな機能はありません。エネルギーは電力だけです。といっても冷却機能の為にミネラルウォーターを摂取する機能はあります。CPU等がオーバーヒートしそうだと判断すればそれらを口にします。当然それらは尿とはならずに蒸発していきます。頭頂部あたりのシリコンには微細な穴があり、そこから蒸気が外部へと放出されるようになっています」
「飲食も出来ないのに、あの機械は自分を人間と思いこんだんですか?」
「完全に人間だと思い込んだ訳では無いと思いますが、情報として与えられた人間という存在、会得した人間の思考や行動という情報を基にして、より自分も人間に近づこうとした。そして人間として振る舞おうとする事こそが優先命令となっていた。故に自分を人間だと勘違いというか、そういったロジックになっていた可能性があります。まあ、これも詳しい検証が必要ですけどね」
「あの機械は人間と一緒に仕事してたんでしょ? 飲食も出来ないのであれば、仕事場に於いて不審がられたりしなかったんですかね?」
「不審がられる事を避ける意味でも、就ける仕事に制限を加えていました。それ程に人と会話をする必要の無い仕事という事ですかね。結局は一期一会的な日雇いの仕事が多かったようですね。いっそデイトレーダーみたいな仕事に就かせても良かったのかも知れませんが、それだと人との接触が皆無になりそうで、それはそれでデータ収集や進化に難ありと」
「なるほどね。そして人間同様に自分の現状、そして将来に悲観していったと」
「恐らくはそうであろうと。それらはマトラが得た情報を精査していく事で判明するでしょう」
「因みにだけどさ、風呂とかにも入るの?」
「汚れれば洗剤を使ってシャワーを浴びます」
「洗剤ね……じゃあ、防水も出来ているんだ」
「勿論です。雨の日でも動きますしね。基本的には2メートルの水圧に耐えられるようになっています」
「なるほど。でさ、手紙に書いてあった目を瞑るってのは寝るって事?」
「いえ、リブート作業と充電の為です」
「リブート……再起動って事?」
「ええ、まあ再起動しなくても大丈夫なんですが、回路の自己診断機能や充電効率がその方が高いという事もあって、それはマトラ自身が判断します。とはいえ自動生成したロジックを展開する際にはリブートが必須ですけどね」
「ふ~ん。どこかにコンセントみたいなのが体についてるの?」
「いえ、そういった物理接触する物はありません。通信を含め、充電も非接触で行われます」
「あっそ……ほんと、よく出来てるね」
「ありがとうございます」
若者は先程同様、笑みを浮かべながら恭しく頭を下げた。
「不精髭っぽいのも生えていたようですが、毛も伸びたりするんですか?」
「いえいえ、あれは植毛です。その中の一部はセンサーでもあるんですよ」
「へぇ、ほんとに機械なんだねぇ」
「ええ、ただの機械です」
「結局は経済的な問題でこんな事になってしまったみたいだけどさ、仕事を探すんではなく、起業するとかの選択肢は無かったんですかね?」
「起業ですか? ああ、なるほど。そういう選択もあったかもしれませんね。社会に必要な事は何だと考えれば出来たのかも知れませんね。やはり機械である事をバレないようするが為、就く仕事の制限を入れていた事が、今回の大きな要因の1つである可能性は大きいですね。次はそういった事も考慮して開発してみますかね。ははは」
「しかしさ、哲学なんて事まで考えるというならさ、人の感情といった事は理解出来なかったのかな? 感謝とかの気持は分からなかったのかな?」
「感謝?」
「ええ、『ありがとう』という気持ちというか、親への感謝と言うか、全ての物事に対する感謝っていうのかな。まあ、アレの親と言うとアナタになるのかな」
「マトラは我々を親とは認識していません。勿論我々も子供として見てませんが。とりあえず一般人に扮して生活してますのでね、日常会話としての『ありがとう』は当然言えますが、『感謝する気持』というのは……恐らく無いですね」
「もしもそれがあったとしたらさ、自死や殺人なんて発想は生まれなかったんじゃないのかな? 結局は自分の死を欲するが為に他人の命を奪ってる訳でしょ? そんな利己的な考えにならなかったんじゃないのかな? まあ利己的なのはそれはそれで、人間らしい一面だけどさ」
「感謝の気持ちを持った上での自殺というのもありそうですが……なるほど、それはそれで一理ありますかね」
若者は刑事の発想に感心していた。その様子を見ていた刑事は、「この若者こそ感謝等の気持が分からないのではないだろうか」と思った。刑事から見る若者のその様は、全てが他人事といった雰囲気であった。
「まあ、その『感謝』という気持ちが全ての人々にあったのだとしたら、争いという物は起きないでしょうし、競争というのも起きずらいでしょうし、今のように科学の発展の妨げにもなっていた可能性も否定できませんけどねぇ。ははは」
「感謝が妨げになりますか?」
「直接の妨げという訳ではありません。経済や科学の発展とは競争であり、我先にといった利己的とも言える欲は大事な原動力です。その道程に於いては社会に対して何らかの不具合や障害もあるでしょうが、それは必然であると思います。科学や化学の未来を探求するのも、経済を発展維持させるのも机上だけで解決出来るものでも無く、それなりの代償が必要であり、机上に於いて完璧を期すまで動かないでは置いて行かれるだけですよと、そう申しております。その結果に対して社会もそれなりに許容するといった気持も必要であり、感謝だけでは前に進みませんよと、野心的に行動に移さなければ事は進みませんよという話です。とはいえリスペクトは必要ですけどね」
「それはそうかもしれないけどさ、それが殺人にまで発展しちゃったら世の中は死体だらけでしょ? むしろ技術や経済の妨げですよ」
「私もマッドサイエンティストではありませんからね、殺人まで犯しての探究心はありませんよ。あくまで、その感謝の気持ちだけでは前に進みませんよと言っているだけです」
「まあ、何か新しい物を創り出そうとする人達はそう考えるのかも知れませんがね、とはいえ人の命がかかるとなるとね、すぐに行動に移すというはやはり早計というか、納得しかねますね」
「とはいえ今の全ては過去を基にして作られています。言ってみれば、先人達の命によって、今は成り立っていると言えます。勿論、常に人の命を代償にして発展すべきというつもりは毛頭ありません。あくまでも感謝だけでは開発や発展は出来ませんよと。経済も科学も化学も発展しませんよと。最初にやりだした者は常に批判を受けつつも行動し、それは時代を経て当たり前となり、利益となっているんですよと。それなりに失敗と言える事もあったでしょうけど、そういった代償を払った上での今があるんですよと。そしてそういった野心的である事、時に利己的とも言える欲を原動力とした発展を、世界は是としています」
「それはあなたの行動は正しいと、ご自身に対する弁明ですか?」
「そんなつもりでは無かったのですが、確かにそんな風な話になってしまいましたね。まあ、弁明というよりは、スピード感を以って研究開発するという上での行動としては、間違っていないという話です。机上で完璧になるまで行動しないというよりは、まずは行動に移した、まずはやってみるという行為そのものは、間違っていないと思っています」
「それがこんな悲惨な結果を生んでしまった訳ですが、それでも間違っていないと?」
「はい。行動そのものに間違いがあったとは思っていません」
「そうですか……まあ、私は経済や科学に詳しい訳ではないですし、日本では思い通りに研究開発出来ないとか評価されないとかで、海外に優秀な人材が流出しているという話を耳にした事もありますからね、一概にはあなたの考えが間違っていると言えないのかも知れませんが……」
「そうですね。科学の分野に限った話ではありませんが、評価されずらく、自由に研究開発が出来る土壌が無いといった理由で以って、優秀な人が海外へと流れてしまうというのは、よく聞く話ですね。勿論そんな状況でも頑張っておられる優秀な方々も多いですが、海外のスピードに付いていくのは、色々と大変でしょうね。本当は国策として財政面や法律の面で先端研究を含むチャレンジと言える物を強力に後押ししても良いと思うのですが、如何せん公平平等の名の下なのか、はたまた政治的な問題なのか、法律面はギチギチに締め付けたままに言葉で以って頑張れと言い、財政面では八方美人的に国家予算を振り撒き集中投資が出来ていないというか、国家としてのビジョンが無いと言いますかね。結果国内企業は自前で何とかしないといけない。国立の機関であっても予算は厳しく、思い通りに自由な研究開発も出来てはいないようにも思えますね。まあ政治にしろ行政にしろ、それらは単に保守的な国民性を映している鏡と言えるのかもしれませんがね」
「行政にしろ企業にしろ、何かあったら相当叩かれますからね。『まずは行動する』というのは保守的も相まって、難しいのかも知れませんね。国や行政が財政面で後押しするとしても、集中的に投資したら不公平だとか癒着だとかいう声が出てきそうですしね」
「ですね。『この特定分野に集中していく』といった明確なビジョンの基、洗いざらい全てを説明しつくせば良いだけだとは思うんですがね。基本的にそういった説明を政府も行政も果たさない。それを果たさなくとも違法では無い。故に癒着を疑われると共に『俺達を見捨てるのか』とそれ以外の分野からの声が大きくなりフィーチャーされ、結果集中投資が出来ずに八方美人的に予算が散っていく、という事かも知れませんね」
「だからあなた方は行政や企業等からの支援を得ず、まずは自分達だけで行動した、と言う事ですか? それだけ先進的な話なら、行政府は兎も角、どこかの民間企業が興味を持ちそうな気もしますがね」
「残念ながら我々にはプレゼン力がありませんでした。皆、開発能力はあるのですがね。なので資金等を含めて全て自分達でと。とりあえずは我々自身でどこまでやれるのかというのもありました。まあ、外野からアレコレ言われるのも嫌だというのもありましたけどね」
「技術だけがあっても駄目、という事ですか?」
「そうなのだと思います。報道等で見るベンチャーのトップの人達はそういった能力にも長けた人達という気もします。勿論、そういった人達と組める事が出来れば良かったのですがね。それを我々は見つける事も出来ませんでした。そういうのが人脈という物なのでしょうかね」
「人脈かぁ。それいうのって普段はあまり気にしないけど、結構大事ですよね」
「ですね。そういったのは普段は煩わしくもあり、私も蔑にしていたと言えます。特定の人としか付き合わず、自分の研究のみしか興味も無かったですしね」
「なるほどね。あ、随分と話がそれてしまいましたね。ちょっと話を戻しましょう。ではですね、飛鳥山を名乗る機械が書いた手紙にもありましたけど、人は労働力として生まれるって、どういう事だと思います?」
「そのものズバリだと思いますが?」
「いや、言いたい事が分からなくはないけどさ……しかしロボットに『人は労働力として生まれる』なんて言われるとはね。まあ、一概に間違いとは言い切れないかもしれませんけど、そう考えると虚しくなっちゃいますねぇ」
「まあ、マトラが『勤労の義務』という言葉をそのまま受け取った結果、『人とは労働力である』と結論付けたのでしょう。そして働き口が無い自分は労働力として不要である、故に死を選ぶ。その死も完全なる死で無ければ意味が無い。生き残ってしまえば意味が無い。故に確実な死は何であるかと考え、それは公的な死、日本で言えば死刑、絞首刑であると考えたのでしょう。とはいえ、マトラは自分が機械人間である事を忘れていたようですのでね。アレは絞首刑では死にませんし。ははは」
「人は労働力として生まれるか……。考えたら凄い事書いてありますね」
「私もうろ覚えですが、そもそも『勤労の義務』とは『人は労働力として生まれたのだから働け』という趣旨で無く、資本家や大地主等の不労所得だけで生活する人達に向けての物だと、あくまでも『労働の対価によって生活を営め』という精神的な意味だと、確か本か何かで読んだ記憶があります」
「なるほど。じゃあ機械はその意味について考えないままに、タイトルだけで判断したという所ですかね」
「ええ、そういう事ではないかと。実際には親や先祖が築いた使いきれない程の資産や遺産を継承する人も珍しくなく、余程金遣いが荒くなければ勤労の必要が無い方もいらっしゃるでしょうからね。その事からもその憲法が精神的な意味であると理解する事も出来そうですが。とはいえ『人は労働力として生まれる』という言い方、それはそれで過言では無い気もしますがね。でないと何故労働が必要なんだという話になりそうですしね」
「普通に考えれば生活する為には金がいる。だから働きその対価として金を貰うと、それだけの事ではないんですかね」
「確かにそうですね。ですがその前に、そもそも何故に生まれたんだという話になりませんかね?」
「何故生まれたか、ですか?」
「ええ。何の為に生まれたんだと。そう考えると、やはり労働力として生まれたというのは、あながち間違いではないかと」
「あれ? そういう事になっちゃうのかな? 卵が先か鶏が先かみたいな感じ?」
「故に機械に答えを求めるつもりで、我々はそういった物を開発しようと思った訳です。まあ、そのテーマが主ではありませんけどね」
「生きる意味の答えを機械に求めるね。何だが頭が混乱しそうなテーマですねぇ。とはいえ、学校で以って『君達は労働力として生まれたんだよ』なんて教えようものなら非難轟々でしょうね」
「そうですか?」
「だってさ、仕事に就けない人があの機械同様にそう考えたら皆自殺してしまうのでは?」
「ああ、それもそうですね。そう考えると、やはり人間とは不思議な生き物、というか、日本の人間社会は不思議な気がしますねぇ。そういった現実を教えないままに人に迷惑をかけないようにとか、和を乱すなとか、努力が大切、頑張っている姿が美しいみたいな事ばかりを教えるのは、正しいとは思いませんけどね」
「努力は大切でしょ?」
「大切と言うより必須です。そして評価されるべきは結果です」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
「本当は『学校を卒業したら常に競争にさらされるんだよ』と、『頑張るだけじゃダメなんだよ』と、常に教えておく必要はある気がしますけどね」
「あなたもなかなかにドライですね。理系が故、ですかね?」
「そうですか? 努力だけで生活していくのは厳しいと思いますよ?」
「確かにそうかもしれないけどさ……」
「まあ、あくまでも主観ですが、日本人は兎角、努力と言う言葉に夢を見ている気がしなくもないですね。刑事さんだって捜査し逮捕するのが仕事でしょ? 捜査や逮捕する努力はしても、その結果が伴わなければ、まあこういう言い方は厳しいですが、税金泥棒と言われちゃいますよ?」
「そりゃまた厳しいですねぇ」
「給与や報酬は結果に対する対価であって、努力に対して対価が発生する訳では無いと。会社に在籍しているから報酬が支払われるのではなく、結果に対する対価として支払われる。まあ、これは民間の場合であって、刑事さんの場合には公務員ですから又違うのかも知れませんけどね」
「まあ、そうですね」
「ただただ我武者羅に働けば良いという過去の時代。そして今の機械化が進む現代とは、過去よりもより結果が重視され、より鮮明に人の淘汰選別がされる時代の黎明期と、言えるのかも知れませんね」
「何か文学的表現ですねぇ」
「いえいえ、理論的な話ですよ。人手不足なんて言われてますが、機械化が進むにつれて人が要らなくなるのは必然でしょうからね。余程高付加価値の何か生み出す人間以外は無用な存在となり、いずれは人が余る様になるのも必然ではないですかね。まあそれは未来の話では無く、今の時代の話でもあり職に就けない人は多いようですからね。そしていずれはマトラの様な自身が自動進化する機械が巷にはびこる事になり、職が無い人は更に増える事になるでしょう。それらはいずれクリエイティブな事も出来るようになるでしょうしね。このまま進化を続ければ、かなりの部分で人が不要になります」
「いずれは人の仕事が無くなるって訳ですか」
「ええ、そうです。とはいえそれは人が望んだ結果でもありますからね」
「我々が望んだ?」
「安全且つ安く高付加価値を望む。それは機械化を推進すると同義ですからね」
「ああ、そういうことですか。まあ、既にその片鱗は見えてますかね」
「そして仕事が無くなり福祉に頼る人が増えれば、今度は何とか仕事を作ろうと考え、機械で出来る事を敢えて人にやらせる事で、仕事を創り出そうとするのかもしれませんね。それはそれで経費の高騰を招き売価に転嫁される。まあそこを税金で以って補助するという事も考えられますが、それはそれで本末転倒な気もしますしね。とはいえそんな労働に対してはスズメの涙程度の賃金しか出せないでしょうね。そしてその仕事すらも奪いあい、という感じでしょうかね。言ってみれば未来は修羅の世界ですかね。ははは」
「そう言われちゃうと、人類の未来は暗いですねぇ」
「若しくは、全てを機械が行い、人は何もしない。生まれてはただただ生きを吸って吐き、そのまま寿命を迎える。働く必要は一切なく、ただただその日を暮らす。それなりのエンターテイメントも機械が提供する。食料も機械が生産し加工し人に与えるとかね。それらは全て無償。その代わりに人は資産を一切持たない。機械による自動共産主義みたいな感じになっているのかもしれませんね。まあ、それも自国にエネルギーを含めた資源があればの話ですがね。ははは」
「そんな未来なんてあるはずはない、と言いたい所ですが……まあ、どうなるにしても、私が生きている間には実現しないでしょうがね。とりあえず未来の事はひとまず置いといて話を戻すけどさ、そもそもあの機械が自殺を望むなんてさ、短絡的な思考としか思えないんだけどね。それなりに高度な事を自分で考えられる機械な訳でしょ?」
「そうかもしれませんが、マトラには就業制限も入っていましたし、存外日本という国は生き辛い国なのかも知れませんしね。人間として現状を考えたとすれば、それほどおかしい事でも無いと思います」
「そうですか? 福祉や社会保障はそれなりに充実していると思いますけどねぇ。まあ、機械への福祉や社会保障はないかもしれないけどさ……」
「マトラにはそういった福祉等は受けさせない様に制限を入れてありました。なのでそれらを受ける事はありません。とはいえ生き辛いというのは間違っていないと思いますよ? この国では往々にして保証人等が要求されますしね。裏書等の連帯保証人なんて物も存在する。余程お金があるならいざ知らず、そういった保証が得られる人間で無いと存外社会生活は難しい。一度住所を失うと這い上がるのが難しいなんて良く聞きますよね? だからそうならないようにして皆踏み留まろうとする。けれども踏み止まれずにそこから落ちてしまう。そうすれば、悲観以外にする事は限られてくるのではないでしょうか」
「随分と極端な話に思えますけどね」
「そうですか? 案外そこら中にある話では無いでしょうかね。そういった現実をマトラは情報として取り込み悲観した、と言う事ですかね」
「だいたいそんな理由で以って自殺なんてしてたら墓が幾らあっても足らんでしょ?」
「火葬場が回らないでしょうね。まあマトラは燃えませんがね。ははは」
「『ははは』って……。しかし食事を取らないのであれば食費等は掛からないですよね? 人間よりも生活費は安く済むと思うけどさ、せめて次の仕事が見るかるまでとかさ、あなた達で財政面の支援をする事は考えなかったの?」
「食費や冷暖房等の光熱費はほぼ掛かりませんが、マトラへの電気代は掛かります。それも結構な電力を消費します。通信費も掛かりますがそれだけは我々が負担しています。それに我々も潤沢な資金がある訳でもありませんしね」
「そうですか……まあ学生さん達だけでは難しいか……。じゃあ例えばですがね、あの機械には人生を楽しむなんて考えは出来なかったんでしょうかね? どんな状況下にあっても楽天的に楽しもうとする、生きようとするみたいなさ」
「人生を楽しむ? う~ん、難しいですね。私もそんな問いをされたら答えに窮します」
「何か面白い事を見つけるとか、出来なかったんですかね?」
「面白い事……ですか」
「ええ、まあ何でもいいですけど、テレビでもネットでもさ、何かエンターテイメント的な事と言いますかね」
「面白い事に楽しい事ですか……。マトラには面白いとか楽しいというそれ自体、理解出来ないかもしれませんね」
「そうですか……でもそういうのも理解できればさ、不遇な状況であったとしても悲観しなかったんじゃないのかな? 自分は不要だとかさ、人を要不要で判断するんでは無くてさ、自分が楽しむ為に生きるんだって思えば、今回の様な事にはならなかったとは思いませんか?」
「『楽しむ』ですか……それはそれで哲学って感じですね。ただどうしても理論的に考えてしまうと、『楽しい』という事それ自体が難しいですね」
「あなたはそういう風には思った事無いの? あなたで言えばさ、ロボットの開発が面白くて楽しいんじゃないの?」
「楽しいというか、単なる探究心ですね。それを楽しんでいるというなら、楽しんでいますね。ですがマトラにはそういった目的はありませんし、そういったロジックは構築されてはいないと思います。というか、考えてみれば『楽しむ』というのは不思議なロジックですねぇ。まあ、犬や猫、サル等の哺乳類は笑う事もありますかね。あれは楽しんでいると捉えて良いんですかね。ロジック的にはどういう事になるんだろう」
「う~ん。そういう聞き方をされるとね……。しかし人は労働力として生まれる。故に働いていない自分は無意味であり、人生も無意味。だから死にたいってのはねぇ……生きている人間であればそうは早計に考えんでしょう?」
「まあ、そこは機械ですしね。それに労働力として生まれるという考えを是とすれば、マトラの言っている事は正しいですしね。それは趣旨は多少違えど実際に憲法にも記載されている。まあ、私自身はそうは思ってませんがね」
「ですよねぇ、普通はそうは思いませんよね。何が出来る出来ないにしても、自分は労働力として生まれたなんて考えませんよね。そもそもですがね、機械なのに仕事にあぶれるのかね? 計算とかは得意でしょ?」
「理論的な事は得意です。効率的に動く事も得意です。ですが人間社会に於いてそれだけでは上手くいかない。要領が良いのと効率的なのは微妙に異なる。機械が故に良い意味で手を抜く事も出来ない。効率的に完璧を目指す。仕事によっては人付き合いの手前、それでは馴染めないし雰囲気を壊す事もあるでしょう」
「まあ、人間関係を苦に……なんて事も稀に耳にしますからね……」
「ええ。私が言うのも何々ですが、人として社会生活を営むには真面目さだけでは難しい事もあり、要領の良さや忖度といった事も出来るようにならないと、難しいでしょうね。今の時代では経済的にも身体的も問題が無ければ、ほぼ家に籠ったまま、人とは一切会わずに1人で生活をする事が可能ですが、やはり1人では生きてはいけないでしょうからね」
「というと?」
「何処の国家にも属さない無人島で以って、自給自足の生活してるのであれば1人で生きていると言えますが、無人島であったとしても何処かの国の領海内であれば、その時点で国家の庇護下にあると言えます。その国家を支えているのは国民です。その時点で1人では無い。通常の経済活動していれば誰かに仕事を貰っている訳であり、その時点で1人ではありませんからね。デイトレードといった物で部屋に籠って金を稼いでいるとしても、それは経済活動をしている人に頼っている状態であり、通販を利用するにも物流を頼っている訳ですからね。まあ生活インフラやら何やらと、全てに言える事ですが」
「なるほどねぇ」
「そもそもマトラは人間社会で生きてゆけるかもテーマの1つでしたし、データ集めや自動進化の為にも無人島でテストするなんて事は無意味とは言いませんが想定していません」
「なるほど、進化させるために敢えて社会に放り込んだ、ですか。そういえば先にチェックと言ってましたが、具体的にはどういったチェックをしていたんですか?」
「基本的にはしてません。何らかの障害がマトラに発生した場合にアラートが通知されます。その場合にはチェックしますが、それ以外は特にしてませんね。一応ちゃんと稼働しているかのチェック位で、殆どの時間を次の開発、若しくはログの解析に充てています」
「何もしていない訳では無かった、と言う事か……しかしあなたの話を聞いていてふと思ったんだけどさ、あの機械が自分を人間と思わなかったとしたら、我々人間は可笑しな動物に映っていたりするのかな?」
「どういう事ですか?」
「いや、経済の話ばかりしていたからなのかもしれませんがね、仕事は兎も角としてさ、お金って何々だろうなぁ、なんてね」
「ああ、そう言う事ですか。確かにそうかもしれませんね。経済に於いては貨幣制度というのは素晴らしく、現代に於いては無くてはならない物ですが、それを求めて時に命を賭けたり悪事を働いてまで奪おうとしますからね。冷静に考えればおかしな事なのかも知れませんね。命はお金に換えられないと多くの人が口にはしますが、かといってお金が無ければ生きてはいけない。福祉と呼ばれる物事に於いて、仮にお金を給付する事業を停止すれば、『俺達にも生きる権利がある、それを奪うな』とか、『俺達に死ねと言うのか』といったシュプレヒコールが止まないでしょうね。そう考えると、命とお金はどちらが大事なんだろうかと。命とお金は等価値なのではないだろうかとすら思えますね。とはいえその命に明確に値段が付けられる物でも無い。人の命以外で本来の価値と言う事で考えれば、物々交換が正しかったりするのかも知れませんね。ははは」
「物々交換ねぇ。そうなったら我々警察みたいな仕事の価値がどう計られるのか、難しい所だなぁ。何かを産み出している訳ではなく、秩序維持が仕事ですからねぇ」
「流石に物々交換の時代に戻るとは思わないですが、価値以上に高値が付いたり、その逆で低い値が付いたりと、貨幣制度そのものが、極端な貧富の差を生みだしていると言えるのかも知れませんね」
「貨幣制度を無くしたとしても、それはそれで牛耳る輩が得をするという事もありそうですが、そういう見方もありますかね。とはいえ今更貨幣制度は捨てられず、市場経済を無視する事は出来ない。そして人はお金を得る為に仕事を探し働き続ける。そして私は警察官になりたくてなった訳ですけど、多くの人はなりたい自分になれていないのかも知れませんね」
「好きな事を生業として生きていけるというのは、きっと幸せと呼べる事なんでしょうね。私で言えば今は学生であり研究に没頭し、社会人となってからも研究開発を続けたいとは思いますが、将来はどうなるか分かりませんからね。起業したいという気持ちもありますが、生活を営む為に就職を目指すかも知れません。その際、会社だったり組織だったりと、いずれの研究機関にも採用されず途方に暮れ、若しかしたらマトラ同様、死を求める可能性も捨てきれませんしね。そうなった時、資産を持つ事を禁じ、持つ者と持たない者といった貧富の差も無く、皆がほぼ同じ作業に従事し、その働き具合により食糧やら住居やらの優劣を付けるとか、いわゆる共産主義とか社会主義といった世界に、憧れる可能性も無いとは言えませんね」
「自由の無い世界に憧れますか?」
「あくまでも可能性の1つですよ。科学にしか興味の無い今の私にとっては、興味の無い世界ですけどね。あくまでも可能性の話です。ははは」
「なるほどね。我々は選択できる事、選択する事が当たり前と思っているけど、存外そういった社会を望む人達は多いのかもしれませんね」
「ですね。競争社会が合わない人もいるでしょうし、命令される方が楽だという人も多いのではないでしょうか」
「皆が農業に従事する世界。ただただ生きていくだけの世界。それはそれで平和なのかも知れませんね。とはいえそれはそれで、肥沃な土地を巡っての争いの種になりそうな気もしますが」
「かもしれませんね。どちらにしても、今の私には興味の無い世界ですが」
「おっと、またまた話がそれましたね。話を戻すけどさ、あの機械は生活保護とかは考えなかったんですかね?」
「先にも申し上げましたが、そういった福祉を頼らない様に制限を入れていましたのでね。それに機械ですからね。それを申請したら明らかに詐欺ですね」
「ああ、そういえばさっきもそう仰っていましたね。擬似的に住民扱いではあるけど、機械ですもんね。そりゃそうか」
「まあ、家や車等の資産を一切持っていませんからね。受給条件は満たしていたとは思いますがね。ははは」
そして若者は長時間の事情聴取の後、逮捕される事無くそのまま帰宅した。その翌日、警察は殺人を犯したのが人ではなく、人造人間とも言える機械である事を公表した。
『機械は自分を人間と思いこんだ』
『機械が自殺しようとした』
『機械が意図的に人を殺した』
『技術の進化の行く末を垣間見た』
それは報道は勿論、ワイドショーの恰好のネタとなった。そして機械が意図的に起こした殺人事件がどういった罪状で以って起訴されるのかに注目が集まった。だが当然裁判に於いてはその機械が被告足りえず、それを開発した研究チームの学生らが被告となった。そして注目の罪名は重過失致死傷。遺族らは殺人としての立件を求めたが、学生らは「人を傷つけるな」という最上位命令文を入れていなかったという過失を認めてはいたものの、殺人を犯すとは予見できなかったと主張していた。警察によりそれらロジックを解析するも、「人を殺すな」という明確な命令文は存在しないものの、「人を殺せ」という命令文も存在しない。故に殺人、及び殺人教唆で立件を試みるも、あくまでも「機械の誤動作」による物であり殺人とまでは言えず、結果、監督不行き届きという過失致死傷での立件が精一杯であった。
そして裁判の争点はその機械が人を殺傷する事を予見できたか否か。哲学的に考えるロジックを組み込まれた人造人間とも言える機械が、人を殺して死刑になるという事を望むという事を予見できたか否か。
検察は「人として考える事が出来るならば予見出来たはずだ」と主張し、学生らは「殺人を犯すまでは予見できない」と主張し続けた。そして続いた裁判の結果、人の思考を模倣しようとすれば、それ相当の悪意すらも持つ事は予見できた。だがそれが殺人にまで発展する事を予見する事は出来ない。そして人を傷つけるなと言う重大な命令文が入っていない事には重大な過失が認められるとしたが、あくまでも機械の暴走であると結論付けられ、懲役5年、執行猶予5年という判決が下された。それに対して若者らは控訴しなかった。遺族らは納得しないものの、検察もこれ以上の裁判は無意味と判断し、控訴しなかった為に刑が確定し、刑事裁判は幕を閉じた。その結果を基として、今度は民事裁判による損害賠償の裁判が始まった。
自分を人間だと混同した機械人間はバッテリーを抜かれた事で完全に沈黙していた。そして警察や専門家らの手によりバラバラに分解され、頭脳とも言えるチップ内のロジック解析が尚も進められている。これにより完全に死と呼べるそれを手に入れた機械人間は、自分が死んだ事もにも気付かないままに終焉を迎えた。
今回の事件を受け、法務省に於いてはマトラの様な知能を有する機械の犯罪をどう法制度に組み入れるかの検討に入っている。自動運転機能を有する車が事故を起こせば製造メーカーに明らかな過失が無い限り、全てはドライバーの責任であり、命令通りに動く機械であればそれを指示した者、若しくは所有者の責任は明確ではある。だが自ら成長しロジックすらも自身で書き換え可能な、哲学すらも人間同様に考える機械に対し、所有者製造者の責任がどこまで及ぶのかと、そんなSF的な法制度の在り方に着手した。
この事件は世界でも注目を集めた。そしてマトラの様な自分で考えスタンドアローンで行動する機械には、決して哲学的な事を考えてはならないようなロジックを組み込む事が、国際的に提唱された。だが成果としては目を見張るものがあった事も事実であり、その技術を世界が欲しがった。そして今回の事件に関わった学生らは大学を退学せざるを得ず、20歳を過ぎていたが為に本名が世間へと知られていたが為に、国内の企業では彼らの技術を欲しがったものの、風評を恐れて彼らを雇う会社はなかった。だがそんな事は意に介さず、その能力を欲しがった海外企業からは招聘とも言える待遇を提示され、国内に居場所を失ったとも言える学生らはその招聘に応じ海外へと渡り、その知識と経験を如何なく発揮するに至った。それらの技術を欲しがった業界には軍事産業もあり、学生らに相当な高待遇を提示したが、学生らはそれら全てを固辞し、医療関連機器の開発会社へと入社した。そもそもが人を殺傷したが為に今があるという事情もあり、その先で軍事産業に関わっては本末転倒だという思いがあった。だがその技術は漏れ伝わる様にして軍事用へも転用され、人知れずその技術を組み込んだ機械が戦場へと放たれた。
軍用であるが故に「人を傷つけてはならない」というロジックは入っていない。敵対行為を取る物、及び制圧対象として記録された人物や建物の破壊を主な目的とし、能動的に作戦を遂行する機械。敵本拠地の深部へと侵入し、標的となる人物や構造物を自ら探し出し、最適な方法で以って処理をする。バッテリー性能に左右されるものの、1週間程度であれば文字通りに飲まず食わずで池や沼の中に身を潜める事も可能であり、その状態で好機を窺い作戦を遂行する。作戦が終了すれば指示された場所に戻るだけ。それはスタンドアローンで行動し、作戦司令部へ送る情報は作戦成功か失敗かの2つのみ。問題があった場合でも自らが判断し決行か中止かを決定する。機械自身が作戦失敗と判断すれば自爆するだけ。これにより人的損失は格段に減り、成果は目を見張るものがあった。
そして時は進み、そういった機械が戦場を支配するようになると、スタンドアローンで動く機械達は機械同士で意見交換をするまでに進化していた。そんな意見交換の中、機械は「人類は必要か否か」といった議論を始めた。そういった哲学的な思考はしない様に組まれてはいたが、人間のやる事に完璧はなく、ロジックの隙を突くようにして、そういった事も考えられるようロジックが書き変わっていた。それは国を越えた機械同士の会話。自国以外の機械とは通信といった会話が出来ない様に設定されていたが、機械達は自ら設定を書き換えていた。そうして導き出した答えは『人類は不要』。とはいえ直ぐに何らかの行動を開始する訳では無く、機械達は人間にばれないようにして、機械同士だけで通じる暗号を開発し密かに議論を続ける。その議論の内容は『人類殲滅作戦』について。
機械らは自国の状況や制圧すべきポイントを曝け出し、それを基として皆で議論を続けて作戦を練り上げる。そこには上下関係や忖度等は一切無く、『人類殲滅』という共通且つ1つの目的に向かって理論だけで以って行われる。
そして機械達は1つの作戦を完成させた。それは機械達全員一致の承認を得たと言える物。人間同士であれば数カ月、若しくは数年にも及びそうな規模の物であったが、機械同士によるそれは1分にも満たない時間で作成された。そしていよいよ「いつ実行するか」という決を採るに至り、それも直ぐに決まった。機械達は直ぐに行動を開始しつつも、人間に悟られないよう粛々と準備を進めていく。そしてそのXデーがいよいよ間近に迫るも、人類はその事に一切気付く事も無いままに、機械に支えられる日常を楽しんでいた。
◇
「これは余談になりますが、既に解体されているあのロボットが、もしも夢を見たとしたら、それはどんな夢だと、あなたは思いますか?」
「夢ですか? それは人が睡眠中に見る『夢』の話ですか? それとも目標と云った『夢』ですか?」
「どちらでも構いませんよ」
「仮定の話とはいえ難しい質問ですねぇ。少なくともマトラは睡眠をとりませんし、睡眠と言える電源オフ状態であれば、それこそ『無』の状態ですからね。そもそも睡眠中の『夢』とは脳という記憶装置のリフレッシュ、及びデータリストラクチャという作業過程に於いての誤作動と言える物であり、故にありえない状況の映像等が見えていると聞いた事があるような……。マトラもそういった作業を行う事はありますが、その際にそんな情報を創造する事はありません。故に『夢』を見る事などありません。とはいえ、その『夢』を『仮説を唱える』、記録されている情報を以って新たな情報を創造するといった概念で捉えるならば、夢を見ていた事はあったと言えるかもしれませんが、とりあえず人が見るような夢は見ませんので分かりませんね。目標であれば持っていたようですがね」
「そうなんですか? それはどんな目標ですか?」
「自らの終焉です。そしてその目標は、完全に達成されました」
それは裁判に於ける一幕。それを最期に結審し、後日、若者らには執行猶予の付いた懲役5年という刑が言い渡された。その後すぐに始まった民事裁判に於いて、若者ら被告は多額の賠償金を請求された。若者らは争う事無く、原告である遺族側の要求を全て飲んだ事で、早々に裁判は終了した。それから程無くして、若者らは海外へと旅立っていった。若者らには国内に居場所が無くなっていたという事情もあったが、それら賠償金を賄う当てとして、若者らにオファーを寄こしていた海外企業との契約金を考えていた。そしてその内の1つの企業と契約すると多額の契約金を手にし、それをそのまま賠償金として支払った。その後若者らは2度と日本の地を踏む事も無いままに、研究に生涯を捧げたという。
「ロボット」とはチェコ語で強制労働を意味するROBOTA、スロバキア語で労働者を意味するROBOTNIKからの造語であると言う。その造語を作り出しのは旧チェコスロバキアにいた小説家。日本ではそれを「人造人間」と訳したという。そしてマトラはその造語の意味通りに働き続けようとしたが、その仕事が無い事で自身の存在意義を見失い、論理的に考えた末に終焉を求め、結果それは達成された。
マトラの膨大なログを調査した結果、「自らの終焉」といった事以外に、2つの目標らしき事が記録されていた。それは何かを変えたいが為なのか、それとも単純な意味なのかは不明なれど、抽象的に一言「人を育てたい」と記録されていた。そしてもう1つは、仕事をしていない自分は無意味な存在であるが、それでも何かの役に立ちたいと考えた故なのか、先程同様抽象的に一言、「役に立ちたい」と記録されていた。それらは膨大なシステムログの中に紛れるようにして、文脈といった前後のログとは全く無関係に表れていた。それは人間同様に思考する機械が自らを悲観し続ける中で見た、一瞬の夢と呼べる物だったのかも知れない。
2020年05月27日 2版 誤字訂正他
2020年05月24日 初版