Case4 連続通り魔・殺刃事件 中
『十時になりました』
『ニュースをお伝えします』
『本日、朝方。○○県××市△区で男子大学生の遺体が、同区の公園で発見されました』
『遺体の損傷は激しく、警察は身元の確認を急ぐと共に、犯行の手口から先月より続いている通り魔事件と同一犯と見て調査を進めています』
新たなる殺人事件の報道に、忸怩たる思いを抱きながらテレビの電源を消す。昨日、私達が天国朏句人を捕まえておけば、一人の命が助かったのかもしれない。
この事件に関わってしまったが為に、どうにも他人事だとは思えなかった。
「先生、朝ごはん出来ましたよ」
袋小路の思考を打ち切って、私はめんつゆを出汁にして卵で閉じただけの簡単なお粥をお盆に乗せ、所長室に入る。相変わらずゲームの箱やらポスターやらで汚い部屋だが、現在は薬剤が入っていたであろう瓶が床に転がり、使い捨ての霊符が散らばっているという、さらに酷い惨状であった。しかも変なお香が焚かれており、頭の芯が揺れるような気持ちの悪い臭いが充満している。
「あー、羽衣ちゃん。おはよう。ありがとうね」
部屋の主である先生はベッドの上で、怠そうな所作で上半身だけ起き上がる。瞳に光はなく、私の目にも先生が疲弊しているのは明らかだった。
「ここ置いておきますので、食べておいてください」
「おや? ここは『あーん』してくれるパターンでは?」
「……」
このおっさんは何を言っているんだ?
「いや、ほら僕ってば疲れて切っているし、ヒロインと一つ屋根の下で過ごしたんだから、そろそろイベントCGが挟まる頃合いだと思うんだけどなぁ」
私の冷たい視線に気付いているのかどうかは分からないけど、先生は朦朧とした表情で譫言のように語っている。きっとアニメやゲームに関連した単語で話しているのだろうけど……普段と違って、楽しそうな様子じゃなかった。
「……全く。意味不明なこと言ってないで、早く食べて寝てくださいよ。私は例の人と会いに行かなきゃいけないんですからね」
「……好感度が足りてなかったかな?」
わざとらしい笑みを浮かべて首を傾げる先生を尻目に、私は踵を返して所長室の扉を開ける。そして出て行こうとする私に対して「羽衣ちゃん」と先生は声を掛けた。
「あの人によろしく。あと、暗くなる前に帰ってきてね……危ないから」
「はいはい、分かっていますよ」
弱々しい声で掛けられた心配の言葉がむず痒くて、私は苦笑しながら頷く。覚悟を新たにしてドアノブを回し、外へと足を踏み出すのであった。
○
昨夜、天国朏句人に遭遇した坂道は、未だにアスファルトがめくり上がった状態にあり、テープで封鎖されていた。周辺を警察の方々が慌ただしく走り回っているのを横目で見ながら、私は近くの喫茶店に入る。名前を告げると店員さんは私を奥の席に案内した。
その席には既に先客がおり、私の存在に気付くや否や手にしていたコーヒーカップを静かに置き、立ち上がる。
「貴女が龍ヶ崎暦の助手――相違ないか?」
スーツを身に着けた初老の男性であった。
オールバックにした髪には白髪が混じり、顔には深い皺が刻まれている。しかし背筋はしゃんとしており老いを感じさせず、鋭い瞳には強い眼光が宿っていた。
ヤクザみたいな雰囲気の人だ。先生の知り合いと言うから刊坂さんみたいな人を想像していたけど、ちょっと怖くて頬が引き攣ってしまった。
「は、はい、先生のお仕事の手伝いをしている、七月羽衣と言います」
「そうか。七月、ご足労痛み入る。ひとまず座ると良い。何か注文をしよう」
「し、失礼しまーす……」
初老の男性に促され、私は恐る恐る席に着いてレギュラーコーヒーをホットで注文する。私のオーダーを聞いた店員さんが去っていったのを見て、目の前のヤクザ風のおじさんは口を開いた。
「申し遅れたな。私の名前は安曇阿雁。あの探偵から話は聞いているとは思うが、この国に於ける神霊災害に対する専門機関、宮内庁障神局を任されている者だ」
冗談、といった様子は全くない。にこりとも笑わず、安曇さんはとんでもないことを言い放った。私は反射的に周囲を見渡すが、安曇さんは「あぁ、心配するな」と私の心中を見抜いたように続ける。
「結界は張ってある。どれだけ近寄ろうとも、これから私達が交わす会話に関して、如何なる手段を以ってしても傍受は出来ない」
結界――彩芽の家に張られていたものと似たものなのだろうか。裏社会の話を一般人に聞かれてしまうのは問題だろうから、きっと本当の安曇さんの言葉は本当なのだろう。
「えっと……障神局っていうのは『この国の神様に関する問題のスペシャリスト』って先生から聞いていますが……」
先生曰く、妖怪・幽霊などを管理するのが『龍ヶ崎一族』ならば、善神を奉り、悪神を鎮めるのは『障神局』の役割らしい。互いに不可侵の組織であり、【八咫烏】の仲介でもなければ、協力することも争うこともないという。
先生は龍ヶ崎一族でありながら、家出した上に外で好き勝手していた為に、障神局との繋がりを得た――と言うか当局から「何かやべぇ事しでかすんじゃないか」という理由で監視されていたというのが真実っぽい。
「そこまで分かっているのなら話は早い。あの探偵が私に助けを求めて来たということは、即ち現在この町に続いている連続通り魔殺人事件は、『神』が絡む事件ということだろう?」
「先生は、そう推測したみたいですね……私は殺人事件や妖刀が、どう神様に関係するのかさっぱり分かりませんが……」
だけど昨日の夜、私達が目にした天国朏句人――妖刀を揮う殺人鬼の姿は荒ぶる神と呼ぶに相応しいものかもしれなかった。
「まぁ何でも良い。昨夜の電話の時点で探偵は消耗が激しくまともに会話すら出来なかった。私は未だに、この事件の概略程度の、警察の捜査線に上がっている情報以上のものを持ち合わせていない」
じっと私を冷たい視線で貫きながら、安曇さんは告げる。
「どうやら龍ヶ崎探偵事務所の諸君は、この事件に深入りしている様子だ。私とて国家安寧を願う公僕である。是非とも話してはくれないかね、この町で続いている連続通り魔殺人事件の話を」
淡々と事務的な口調で、公僕と自称する彼は言う。表情に変化がなくて、どうにも接し辛い。キモい先生と話している時の方がよっぽど楽だ。
だけど、現状だと戦力が足りていないのは本当だ。何としてもこの人に協力してもらって、事件の早期解決を目指さないといけない。
意を決し、私はこの連続通り魔殺人事件について知っている事と、昨夜の出来事を話し始めるのであった。
○
「お兄ちゃん……ッ!」
多々はボクを責めるように見ている。
あぁ、今でも彼女を抱き締めてやりたい。お前は何一つ間違っていないのだと、そう頭を撫でてやりたい。
でも駄目なのだ。
駄目だったのだ。
ボクにはもう、それは出来ない。
人は変われると、世間では言うのだろう。
努力次第でその景色は色づくと、願い次第でその世界は彩られると、そんな綺麗事を言うのだろう。
信じていていた。
ボクも、そう信じていた。
なのに、目の前に広がる景色は何だ。
上半身と下半身が断たれた母さんは?
多々に覆い被さるようにして胸を貫かれた父さんは?
紅に染まった『狐月』の刃は、何なんだ。
「……」
閉じていた眼を開け、意識を覚醒させた。肩から落ちていた竹刀袋を背負い直し、ボクは薄暗い路地裏を歩いていく。
まだ身体は万全ではない。あの時に受けた雷撃が、一日を経過した今も、体内の組織を蝕んでいる。一種の呪詛に近いのだろう。いや、祝福の類か?
いずれにせよ、今は回復を待つしかない。ボクの治癒再生能力を以ってすれば、一日も経てば万全の状態に戻ることが可能だろう。
それまでに、多々を探し出そう。
この殺意に魂が磨り潰されぬ内に、何としても。
○
「ふむ……驚くべき話だな」
事の顛末を聞いた安曇さんは、言葉とは裏腹に全く驚いていない様子でコーヒーを啜る。私も喋り通しで喉が渇いたので、気付けば届いていたコーヒーにミルクと砂糖を入れて口にした。
「探偵の推測通り、君達が昨夜に遭遇した雨合羽を着た男は、神性適合者の可能性が高いだろう」
「神性適合者……?」
安曇さんの言葉に首を傾げる。そういえば先生も、そんな単語を口走っていた。
「神性適合者とは、神話に語られる神々の御力を自在に操れる人間の事だ。術理を以って条理を凌駕する魔術師と違い、彼等にそういった理屈はない。物理法則を超越した神代の力を自由に使える者達――それが神性適合者だ」
「……そんな人が、居るんですか?」
魔術師という存在には慣れたようなものだけど、その上がいるとは俄かに信じられない。そんな私の様子を見た安曇さんは、コーヒーカップを手に取って――
「あぁ、居るとも。私とて、その一人だ」
――思いっきり、中のコーヒーを床にぶちまけた。
「ッ!!」
私は驚愕に目を剥き、絶句した。
安曇さんの行動に、ではない。器を失ったコーヒーは重力に従って地面に落下する……寸前に、空中で停止したのだ。まるで一時停止した動画のように、黒い液体が空中で浮いている。
「これが私の権能だ」
安曇さんがパチンと指を鳴らすと、一時停止していた黒い液体が舞い上がり、テーブルの上に置かれたコーヒーカップの中へ、ボトボトと戻って行く。
その異様な光景に、私は唖然とするしかない。
「ま、魔術……じゃないん、ですか?」
「ああ、私の安曇という姓は海神の子孫を表すものだ。故にこのように、水であればどんなもので操れる」
まぁ海水でもないのに液体を操るのには、随分と訓練が必要だったがね、と付け足して、安曇さんは一度空中を舞い踊ったコーヒーを、さも何事もなかったように飲む。
確かに呪文を唱えた様子も、何か魔術アイテムを使った形跡もなかった。本当にこの人は、造作もなく万有引力の法則を超越したのである。
「さて、本題に戻るが……話を聞けば、その殺人鬼の力は常軌を逸しているな。神々の御力を行使していると探偵が推測したのも頷ける」
腕を組み、安曇さんは抑揚ない台詞で続けた。
「もしも天国朏句人という人物が神性適合者であると仮定した場合……その正体は、まぁそう難解ではない」
「え、分かるんですか?」
あまりにも軽く言われてしまったで、驚いて変な声色になってしまった。そんな私に反応することもなく、当然のように答え合わせを始める。
「殺人鬼の片目が壊死していたと言ったな。つまりもう一つの目は、君達を視ていたということだろう?」
「まぁ……はい」
「刀を得物に扱う、一つ目の神と言えば、もはや思考するまでもない――天目一箇神。それが殺人鬼の揮う権能の神名だ」
「?」
いや神様の名前なんて言われても知らんけど……みたいな貌をする私に、安曇さんは淡々と解説を始めた。
天目一箇神。
一つ目であり、また鍛治の神であると伝わる。出雲の神々を祀る為に最高神格の一柱である高皇産霊尊直々の命を受けて銅鐸や刀を鋳造したという。
確かに……天国家の御先祖様は伝説の刀鍛冶だったとか、多々さんが言っていた覚えがある。一目であることからも、色々と納得のいく話だ。
「そして……成る程な。探偵め。確信はなくとも、ある程度は予測をつけていたな。だからこそ私に助けを求めたのだろう」
安曇さんは、どこか嫌悪感を滲ませた風に言う。
「? そうなんですか?」
「あぁ、鍛治を司る天目一箇神の神格は、鉄と火の権能を纏う。陰陽五行で言えば、『金』と『火』だ。そして私の扱う海神の権能は、言わずもがな『水』。五行相生に於いて『金』は『水』を生じさせ、五行相克に於いて『水』は『火』を打ち消す。――即ち、神性適合者として相打った場合、私が絶対的な優位を以って立ち回れるという訳だ。ふん……土御門の血を引くあの探偵らしい策だよ」
「よ、よく分からないけど、炎タイプに対して水タイプの効果が抜群って感じの話でしょうか」
「…………概ね、そういう認識で間違いない」
先生のゲーム脳がうつってしまったのか、しかしそういうレベルでしか、私の足りないIQでは理解出来なかった。
でも話を理解してみると、どこか胸を覆っていた闇が晴れるようであった。先生さえ手も足も出なかった化け物、どうやって戦えば良いのか不安で仕方なかったけど、こんな助っ人を呼んでくれるなんて。
そして最後の懸念事項だけど……
「えーっと、それで……安曇さんは、この事件の解決に協力していただけるのでしょうか……?」
覚束ない質問に対し、まるで私の懸念を蹴り飛ばすかのように、安曇さんは淡泊に答える。
「当然だ。公僕である私にとって、国民を脅かす殺人鬼を見逃す理由もない。しかもこれは、我等の領分だ。宮内庁障神局は事件の解決の為ならば如何なる協力も惜しまないと誓おう」
○
どこか嬉しそうに喫茶店を出て行く少女を眺めながら、阿雁は冷めたコーヒーを飲み干した。それから懐から携帯電話を取り出し、電話帳から一人の名前を選んで通話ボタンを押す。十コールほど待った辺りで繋がった。
『ちょ、きょ、局長!? ゲームやってる最中に電話掛けるの止めてくださいって何度も言っているじゃないっすか!』
「仕事中にゲームをするなとも何度も言っているだろうが、阿呆が」
『昼休憩中っす!』
「……ほう」
幼い少女のようなキンキンと高い部下の声に眉を顰めながら腕時計を見て、阿雁は時間を確かめる。
「随分と早い昼休憩だな。規則で正午から十三時までと決まっている筈だが……まだ十一時だぞ?」
『え、あ、やべッ……、あ、あれぇ~? そ、そうっすか、まだ十一時だったっすか~? こりゃあ勘違いってヤツっすね!』
「……はぁ」
指で眉間を抑え、阿雁は大きく嘆息する。
「まぁ、その話は良い。石上、そちらで確認してほしいことがある」
『何っすか、局長』
「警視庁が重要指名手配を出している天国朏句人が起こしたという最初の事件、天国家夫婦殺人事件に於いて、警視庁特務神霊班から神性反応の報告は受けているか?」
『ん~? ちょっと待ってほしいっすね』
しばらくカタカタとキーボードを打つ音がして、石上と呼ばれた部下は電話越しで阿雁へ報告する。
『いや、無いっす。この事件に神性は一切関与してないっすね』
「……同一犯と目される、全国で続いている連続殺人に関しては?」
『同じく無いっす。天国朏句人が神性適合者な可能性は低いと思うっすよ。そもそも神性適合者がそんだけ殺人を繰り返しているとしたら、わたし達をすっ飛ばして【八咫烏】が動いちゃうっす』
「まぁ、権能を使わず殺人を行った可能性もあるが」
『だとしたら、こっちじゃお手上げっすね~』
ケラケラと笑いながら、電話の向こうで石上は幼い笑い声を上げる。阿雁としては色んな意味で頭痛を覚えながら瞼を閉じた。
「石上、報告御苦労。あと出張の延期がたった今決定した。起案をよろしく頼む」
『……へ? 局長!? それどういう――』
向こうから聞こえてくる言葉を無視して、阿雁は通話を終えて携帯電話を懐に入れる。それから自身の周囲に展開していた結界を解除して、会計を終えて喫茶店を出た。
店を出ると、すぐに霊能探偵が殺人鬼と遭遇したという坂道が目に入る。何人もの警察官が忙しなく走り回り、突然起きた超常現象に対応しようと必死になっていた。連続殺人事件の調査にも人員を相当割いている筈なので、県外からもかなりの応援が来ているのだろう。
「全く……随分と厄介な事件に発展してしまったようだな。私が権能を振るったからといって容易に解決する話ではなさそうだ」
眉間に皺を寄せ、阿雁は歩き出す。先に待つのは不穏な雰囲気に満ちた街並みであった。
○
私は先生に『安曇阿雁さんと会って話をする』というお願いと、それとは別にもう一つのお願いをされていた。
喫茶店で安曇さんと話をした後、私は事務所ではなく多々さんの住むアパートへと向かう。書類上は叔父と同居しているということになっているが、実際は一人暮らしみたいなものらしい。連続殺人事件が身の回りで起こるに従って身内からも煙たがられ、たらい回しのような形で今のアパートに辿り着いたそうだ。
「い、今、お茶を出しますから、そこで楽にしていてください!」
私が訪ねると、多々さんは思ったよりも元気な様子で歓迎してくれた。しかし顔色は悪くて、どこか無理をしているような気がする。
「あ、お構いなくー」
どういう貌で話せば分からなくて、曖昧な笑みを浮かべて座布団の上に座る。見渡すと、部屋の四方には先生の霊符が張られており、一応防御用の結界が展開されていることが分かった。
多々さんは艶やかな黒い髪を揺らしながら、慣れない手つきでお茶を準備してくれる。セーターにジーンズという簡単な服装だったが、彼女が元々可愛らしい顔立ちだからか地味だという印象はない。
「昨日は、ありがとうございました……ワタシ、お二人がいなければ殺されていたかもしれません……」
お茶を卓袱台の上に置き、一息ついた後で、多々さんはおずおずと話し出した。
「本当に、何とお礼を申し上げれば良いか……」
「ははは、ま、まぁ仕事だしね。それより多々さんが元気で良かったよ。身体は大丈夫そうだけど……」
彼女の腹に受けた傷は、先生の霊符によって治癒されている。だけど、精神の方はそうもいかないだろう。
「えぇ……色々と自分の中で溜め込まないように発散しているのですが……なかなか辛いですね。兄が……自分を庇って妖刀を握ったあの人が、あんな姿になってしまって……」
ぎゅっと両手を重ねて握り締め、思いつめた表情で多々さんは言う。
「……分かっているんです。一番辛いのはワタシではなく、兄の方なんだって。『狐月』に取り憑かれて殺人を繰り返して……心優しいあの人にとっては耐え難い責め苦なのでしょう。――だったら」
だったら――せめて、
ワタシが殺された方が――、
「そ、それは違うと思う」
その先を告げようとした多々さんを、私は制する。
上手く言葉には出来ない、だけどそれは違うと思った。
「朏句人さんが貴女の言う通りの人だったのなら、そんな結末を望んでいないんじゃないかな」
きっと多々さんは罪の意識に押し潰されようとしているのだろう。自分の所為で兄が妖刀に取り憑かれて、自分の所為でいっぱい人が殺された。
自分が殺したようなものだと。
「だけど……じゃあ自分が殺されれば良いかって考えちゃったら、それこそ責任放棄だよ」
「…………」
「朏句人さんを止めよう。何にしても、それからだ」
そう……これは多々さんと朏句人さんの問題なのだから、まだこの事件は動き出してすらいない。兄妹が揃って話し合わなきゃ、罪の所在すら分からず仕舞いだ。
「し、しかし……『狐月』を持ったあの人は、化け物みたいに変わり果てて……あの霊能探偵さんも……」
擦れた声で多々さんは言う。まぁ、あの先生のやられっぷりを見てしまえば、安心なんて到底出来ないだろう。
「あぁ、それなら安心して。先生なんて目じゃない程の強力な助っ人が来てくれたから」
「助っ人さん……ですか?」
「うん、めっちゃ強い」
たぶん。安曇さんが強いかどうかは分かんないけど、何か強そうなおっさんだし、たぶん強いのだろうと自分に言い聞かせて語る。
「だから安心して。貴女のお兄ちゃんは、必ず私達が妖刀から解放してみせるから」
彼女の強張った手を取って、私は光を失ってしまった瞳を見据える。今はせめて、多々さんに安心してもらって……あの殺人鬼を絶対に止めると決意を固めてもらわないといけない。
私の心が伝わったのか分からないが、多々さんは小さく「……はい」と頷いた。
「分かりました、羽衣さん。ワタシ、もう少し頑張ります。こんなことで挫けて死んでしまったら、あの世でお父さんとお母さんに叱られてしまいますから」
何とか取り繕ったような笑みを浮かべ、多々さんは私の手を握り返した。あぁ、良かった。依頼者の心が先に折れてしまったら、事件解決も何もなくなってしまう。
「……そこで、多々さん。一つ良いかな」
「? 何ですか?」
恐怖を乗り越え、事件解決に前進! という雰囲気の中、私はどのタイミングで切り出そうか悩んでいた話を、遂に口にした。
「えーっと、事件解決に向かって一つ欲しい物があるんだけど……良いかな?」
「ワタシの持っている物だったら、何でも持って行ってください」
真剣な表情で頷く多々さん。何一つ嘘は言っていないのに、口にするのにも躊躇ってしまう。
えぇい、先生め。なんて損な役割を押し付けてくれやがったんだ。
「それじゃあ、多々さん……か、髪の毛を一束くれないかな」
「…………はい?」
○
「ただいま戻りましたー」
「お帰りー」
私が探偵事務所に帰って所長室に向かうと、先生は相変わらずベッドに寝たままの状態であった。
「あ、お粥ごちそうさま。美味しかったよー」
「はいはい、おそまつさまでした」
部屋に充満するお香の臭いに眉をひそめながら、私は空になった茶碗を回収する。いったん給湯室に向かってお湯につけ、再び所長室に向かう。茶碗を洗うよりも、午前中の間に色々と聞いてきた話を先生に伝えることが大切だと考えたからだ。
「さて、羽衣ちゃん。安曇さんや多々さんと話は出来たいかい?」
所長室に戻った私に先生は、開口一番に言った。それだけ気にしていたということなのだろう。私は所長室の椅子に座り込み、安曇さんの推測と協力宣言、多々さんの状態を全て伝える。
「ふむふむ。天目一箇神の権能を揮う神性適合者。まぁ真っ当な推測だよね……それにしても引っ掛かるけど」
「何か安曇さんの考えに気になる点が?」
あのヤクザみたいな人は、そこは先生も織り込み済みだったかのような口ぶりだったので意外だ。
「いや、別に天目一箇神は悪神でも禍神でもないから、妖刀『狐月』を握った時点で天国朏句人は殺人鬼へと変貌してしまったという多々さんの供述と、ちょっと食い違っちゃうなぁと思ってね」
「はぁ」
「まぁ餅は餅屋だ。その辺は彼等に任せよう。もう一つ頼んでいたものは、無事にゲット出来たかい?」
思考を放棄したらしく、先生は視線だけをこちらに寄越す。私はそれに溜息を吐いて応える。
「……誠に遺憾ながらゲットして来ましたよ」
私はコートのポケットから、ビニール袋に入った長い黒髪の束を先生に見せる。
「女子高生の生頭髪だね……エロいことに利用でって、ごめんごめん外に放り捨てるの本当にやめて!」
私が無言で所長室の窓を解放して威嚇すると、先生は冷や汗を掻きながら謝罪してきた。
「…………多々さんの髪の毛を、何に使うんですか?」
「ははは、髪は女の命。身体の一部なら何でも良かったけど、やっぱり魔術で使うなら髪の毛でしょ」
相変わらず先生は顔を微動だにせず、天上を見上げながら言う。今朝のように覇気のない弱々しい言葉ではない。力強い、仕事モードに入った先生のそれだった。
「十分な戦力も得た。もうすぐ僕の魔力も回復する。そうなったら作戦開始だ」
「……と言うと?」
「別に難しい話じゃあないよ、羽衣ちゃん」
何だかよく分からない私に対し、初めて先生は顔をこちらに向ける。無精髭が生え、やつれていたけど……その瞳には爛々とした光が点っていた。
「こちらが絶対優位に戦える舞台にまで、あの殺人鬼を誘き寄せるのさ」
○
駅から近くのビジネスホテルの一室にて、阿雁はベッドに腰かけ携帯電話で部下から連絡を受けていた。
『ふ~む。この天国家ってのが、そもそも謎なんスよねぇ。わたしや局長みたいに朝廷の頃からあった「氏」を名乗っていれば検索も楽なんスけど』
「恐らくは神代刀鍛冶として名高い『天国』の名にあやかった『苗字』だろうな。本来の『氏』は別にあると考えて良いだろう」
『うっへ~、そんなこと言い出したら、各地に散っている神性適合者を輩出した家の枝族に至るまで、全部調べなきゃいけないってことっすかぁ?』
「別にこの一件は、お前に調査を命じた覚えはないぞ」
相変わらずキンキンとした高い部下の声に、阿雁は顔をしかめながら淡々と応える。
『いやいや~、困った時はお互い様っす。そんな固いことばっかり言っているから、奥さんに逃げられちゃうんスよ~?』
「ふん。まぁそちらで調べてくれるのなら、それはそれでありがたい」
部下の挑発するような言葉を無視して、阿雁は続けた。
「妖刀『狐月』に関しての情報は宮内庁の方に全く無かったか?」
『書陵部、管理部、正倉院事務所、その他もろもろ聞いて回ったっすけど、『狐月』に関して目ぼしい情報は無かったっすね。実家にもテレフォンしてみたっすけど、そんな神器や神宝の類は聞いたことがないわって感じっす』
「……そうか」
短く呟いて、阿雁は窓越しに映る夜の街並みを睨みつける。このコンクリートジャングルを侵す凶器の正体は、一体全体何のだろう。
「分かった。協力に感謝する」
『いえいえ~、局長の力になれてわたし嬉しいっす。ついでに給料を上げてくれると、もっと嬉しいっす!』
「寝言は寝て言いたまえ」
『そんなー(´・ω・`)』
しょんぼりする部下との通話を終え、阿雁は携帯電話をポケットにしまった――瞬間、再び携帯電話が震える。
「……」
仕舞ったばかりの携帯電話を取り出すことに若干の苛立たしさを覚えながら、阿雁は画面に映っている名前を目にする。それから「ようやくか」と呟いて通話を始めた。
『もしもーし。安曇さん、今日はウチの羽衣ちゃんがお世話になったみたいですね。あと協力してくれるみたいで……重ね重ね感謝しています』
「あぁ、探偵。いや気にすることではない。神が絡む事件は悉く、障神局の縄張りのようなものだからな。むしろ情報の提供を感謝したところだ」
『まぁ、win‐winの関係ってことで、ここは一つ』
脳裏に暦のヘラヘラとした笑みを思い浮かべながら、阿雁は溜息交じりの言葉を返す。
「それで身体はもう大丈夫なのか? 一時、魔力欠乏症で歩くこともままならなかったそうじゃないか」
『えぇ、まぁ変に動くと魔力が減っちゃうんで、まだベッドから動きませんけどね』
「ふむ……ところで探偵。幾つか情報を提供したい」
『? 何でしょう』
ここで情報を共有しておくべきだと判断し阿雁は自らの得た情報を開示する。
「私は今日、一日かけて連続殺人事件の現場を視察して回った。その結果だが――一ヵ所を除き、この町に神性反応は検知出来なかった」
『……へぇ』
携帯電話の向こうの雰囲気が変わる。暦の声色は、どこか冷たく鋭利なものになっていた。
阿雁の所感は「意味が分からない」というものだ。権能を悪用して連続殺人を起こす神性適合者がいると聞いて調べてみれば、全くその痕跡が見出せない。
『その唯一神性反応が出たのが、僕があの殺人鬼と遭遇した坂ってことですか?』
「然り。この情報が、お前の推理の一助になるのを願っている。それでは――」
そう言って会話を終わらせようとした阿雁であったが、暦の『ちょっと待ってください』という言葉に動きを止める。
『ははは、安曇さん。一助ってレベルじゃねーぞって感じです。羽衣ちゃんに話をしておいてもらって、本当に良かった』
ふざけたような笑みが孕んだ声で、暦は言う。
『――謎は全て解けちゃったかもなぁって』
「……何だと?」
『えぇ、だから安曇さん。今から指定する場所に、明日の夜十時に来てください。戦闘に関しては貴方に丸投げする所存ですので、よろしくお願い致します』
つらつらと、話し相手の都合など全く無視した様子で話す暦に対して、阿雁は怪訝そうな貌をする。
「ま、待て。何を言っている? 何をしようと言うのだ?」
『何って、そりゃあねぇ……』
勿体付けたように、暦は言った。
『僕達の手で、あの殺人鬼を捕まえるんですよ』
○
夜の帳が降りる。
朏が闇の中に浮かぶ。
あの失敗から二日が経ち、ボクの身体は完全に立ち直った。ふらり、ふらり。蹌踉とした足取りで、ボクは夜の街の裏側を歩む。表通りは警察が忙しなく歩き回っている為に、こんな竹刀袋を背負っているボクは、路地裏を通るしかない。
もはや陽の光の元に生きられないボクにとっては、それが相応しいようで笑ってしまう。
どこで狂ってしまったのだろうか。
ボクは、ボク達は、どこで狂ってしまったのだろうか。
「き、ひひッ」
引き攣ったような不気味な笑い声を上げて、ボクは見上げる。坂の上に立つ、築十年ほどの三階建てのアパートを。
感じる。感じる。感じる。
厄介な魔術師の結界も、彼女の存在を逆説的に証明している。
「多々……そこにいるんだね?」
どくん、と、竹刀袋の中で『狐月』が鼓動した。
○
ぴんぽーん。
軽快に、部屋のチャイムが鳴る。
その音にテレビを見ていたパジャマ姿の少女は、ビクゥ! と肩を震わせた。時刻は八時半、人が訪ねてくる時間としては遅く、そして何より命を狙われる身である少女は常に警戒をしているのだろう。
「……誰?」
扉の方を見て少女は、震える声で問う。
応えは静寂のみ。少女は意を決して立ち上がり、インターホンの画面を覗き込む。
映ったのが何なのか、一瞬分からない。
でもすぐに、その正体は判明した。
蠢く、瞳だ。
『こんばんは、多々』
血走った眼球が、少女を凝視していた。
「ッ、ひぃ!?」
少女は恐怖の余り後退り尻餅をついた瞬間、すぱぁん! という余りにも軽い音と共に金属製の扉が、真っ二つに両断される。伸びた刃は鈍く光り、その部屋を包んでいた結界すらも切り裂いた。
まるで薄絹のように散った扉の残骸を踏み締めて、狂人が一人少女の部屋に現れる。フードに隠れた顔――しかし目が眩むほど輝く右眼だけは分かった。
「――お兄ちゃんッ!?」
悲痛な叫びを上げる少女を睥睨し、天国朏句人は不愉快そうに口を歪め、「ぎききッ」と歯軋りをする。右手に握られた妖刀の刃は宙を踊り、彼女の右胸を貫いた。
「――ッ、あ、ぎゃ、あ、あああ、あああ――――ッ!!」
吐血――少女は身体を強張らせ、見開いた瞳から涙をボロボロと流しながら狂人の姿を見上げる。
あまりも詰まらなそうにも淡々と、まるで作業のように朏句人は刃を引き抜いた。ブシャアアアアアッ! と勢いよく血飛沫が噴き上がり、返り血で彼の全身は真っ赤に染まる。
「が、ふ……ッ、お兄、ちゃん……ッ、なん、で……?」
「――失せろ」
朏句人は冷淡な声で呟いて、泣きながら見上げる少女の首に目がけて、何の躊躇もなく刃を振り下ろした。
○
振り下ろされた刃の先に肉はなく、全身を包んでいた返り血の温かさもない。目の前に存在していたボクの妹の姿は消え失せ、淡い光となって周囲へと消えていく。
目の前にあるのは、床に散らばった人型を模していたであろう紙片。胸の部分は破れて穴が開き、首は飛んでひらひらと宙を舞っている。紙片には『天国多々』と書かれ、彼女のものと思われる髪の毛がテープで着けられていた。
式神。陰陽道を基盤とする魔術師が扱う使い魔だ。低級の精霊であり、その姿を自在に変えられるらしい。髪の毛を媒介にして、上手く多々と同じ姿と臭いに偽造した訳である。その姿を肉眼で確認した時点で、既に正体など分かっていた。
「ぎぎッ」
下らない。だが、そんな策に踊らされ、時間を無駄に浪費してしまった自分が許せない。こんなところで足踏みをしている訳にはいかない――ボクは多々を殺さなきゃいけないのだから。
「……?」
ふと式神の残骸である紙片の裏側に、何かが書かれていることに気付いた。手に取り、それを読む。
「……あぁ」
そうか。
そうかよ。
「きひ、きひひッひひひひッ!」
嗤って、嗤って、紙片を踏み潰す。
そこまで言うなら仕方ない。
お前らは悉く、塵も残さず皆殺しにしてやる。
次で終わります!