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Case7 魔王降臨事変 ACT‐4

ACT‐4『獣の胎動』



 けたたましく響くアラーム。燃え盛る鳥居だった物。擬似的な神域を表すその場所は崩壊し、燃え上がり、何もかもが灰燼に帰そうとしていた。

 だが、俺はここで引き返す訳にはいかない。立っているだけで肌が焼け爛れそうな、この地獄の最奥に、彼女が待っている。

「悪いな、十束。こんな所にまで巻き込んで申し訳ない」

 俺の謝罪に対し、【八咫烏】を構成する主要一族である漆家の本家筋に当たる筈の、まだ齢十五にもなったばかりの黒髪の少女は「ふん」と馬鹿にするように鼻で笑った。

「巻き込んだ? 己惚れるのも大概にしてよ、松原。この道は、ワタシが選んだの。ワタシが自分の意思で、【八咫烏】へ叛逆しようと決めたの……アナタの手柄みたいに言わないでちょうだい」

「ははは……、悪かったよ、十束」

 腕を組み、小生意気に言い放つ少女に俺は頭を下げる。あぁこの子が成長すれば、とっても素敵な女性になるのだろう。幼いながらも、今でさえこんなに美しいのだから。

「例えこの国が二千六百年に渡って続きてきたのが、【八咫烏】のお陰なんだとしても、ワタシは認めないわ。裏で人体実験やって、魔術が関わった人の死を隠蔽して――その想いを踏み躙って……そんな連中に、この国の舵取りなんか任せられないもの」

「……そうか。そうだな」

 固たる意志を瞳に宿した少女の言葉に、俺はただただ頷くしかない。何故なら俺に、そんな崇高な理念はないからだ。

「アナタはどうなの? 七月松原――この扉の先に、何が待っているか分かった上で、この場に立っているのかしら?」

「……」

「――アナタの初恋の少女が、まだ生きている保証はどこにもないわ。魔術的な実験によって、この三ヶ月で『聖母』のデキ損ないを何十人も出産している。生きているかどうかも分からないし……下手すれば死んでいた方がマシな姿で、アナタを待っているかも」

「……」

 ふと、俺はペットショップで売っている子犬と、その親犬を思い浮かべる。両親に連れられてペットショップを訪れた幼い自分は、ショーケースに展示された〝かわいい子犬〟達を見るのが楽しかった。だが、今となっては、正視に耐えないというのが本音だ。

 人間に愛玩される〝かわいい〟を売るために、ひたすら交配を続けさせられ、ボロボロになって生殖機能が弱まった瞬間に捨てられる親犬。

 きっと同じなのだ。

 あいつは人類を救う救世主を生産する為に、その子宮にひたすら子種を注入され、妊娠と出産を繰り返しているのだろう。そして『聖母』を出産した今となっては、彼女は生殖機能を失った親犬に過ぎない。

「……そうだね、十束。あいつが無事だなんて、俺も思っていないさ。――それでも」

 あぁ、それでも、例え何もかもが手遅れだったとしても、その先に待つのが絶望だとしても、立ち止まる理由にはならない。何故なら――

「――好きな人を救いたいって思うのは、もう、どうしようもないだろ?」

 わざとらしく俺は笑う。

 あぁ、そうだろう。

 偽善だ。欺瞞だ。今さらノコノコ何をしに来たんだと罵られたって、何も言い返せないほど愚かだ。愚昧の極みだ。

 だけど――どれだけ周囲から止められても、諦めろって自分に言い聞かせても――俺の胸から消えることのなかった想いは、止められない。

「……ふぅん。ま、よく分かんないけど」

 どこか呆れたように溜息を吐き、十束は俺の背中を思いっきり手の平で叩いた。パシィン! という音と共に激痛が背中に走り、「い、痛ぁ!?」と叫びながら倒れ込みそうになる。

 ふらついて、見上げた十束は貌には、優しそうな笑みが浮かんでいた。

「ほら……しゃんとしなさい、松原。好きな女の子を助けに行くんでしょ? 背筋を伸ばして、命一杯格好つけなきゃ」

「……十束」

「ワタシは、ここの残党を始末しに行くわ」

 少女は長い黒髪を翻し、真っ白に輝く日本刀を抜刀した。『雪花火』――漆家の持つ魔術儀式・科学技術を結集して造られたという、日本刀の形をした最強の兵器。

 真っ白な長刀を手にした少女の瞳は、燃え盛る研究施設の外を鋭く見据えている。こちら側――この世の裏側を牛耳る【八咫烏】に対する決別への覚悟が、その凝視する瞳から滲み出ていた。

「これで……さよならなんだな」

「えぇ、その通りよ……バイバイ、松原。期待はしてないけど、武運を祈るわ」

「あぁ……俺も武運も祈るよ、十束――達者でな。今までありがとう」

 所詮ここまで、共通の目的の為に手を組んで来たに過ぎない。友情も愛情もなかったのかもしれないけど……俺は彼女に対して仲間意識を持っていた。勝手な話だけど。

 まぁ、それを確かめるのも無粋な話だ。既に俺達は背中合わせに立ち、彼女は紅蓮に燃え盛る地獄を睨み、俺は固く扉に閉ざされた先を眺めている。

 ――地面を蹴ったのは、全くの同時。

 背後で十束は地獄へ突撃する。

 俺は目の前の地獄へ突撃する。



 ――取り戻すのではなく、取りこぼした物を確かめる戦いは、ここに幕を開ける。





「全く松原の奴……厄介事ばっか残して逝っちゃって……」

 自動販売機で買ったブラックの缶コーヒーを飲み干した黒髪の少女は、空き缶をゴミ箱に放り捨てた。見上げた夜空の先には、先程まで展開されていた八芒星の魔法陣など影も形も無く、綺麗な星空が浮かんでいる。

「ん? 何か言ったか、十束?」

 そんな彼女の数メートル前の塀に隠れ、双眼鏡で港区芸術大ホールの様子を眺めていた広忌は、十束の方を振り返ることもなく問うが、十束は「何でもないわよ」と素っ気なく返すだけだ。

「それより霊能探偵ってのは、まだ来ないの? 儀式は随分進行しちゃってる気がするんだけど」

「まぁ静岡からだからなぁ……そろそろ来るとは思うんだが」

 広忌は頬を掻きながら、曖昧な笑みを浮かべる。双眼鏡の先には、芸術大ホールを警備する数名の『マサンの栄光の会』会員の姿があった。ホール内部には、さらに数十名の会員が集結していると言う情報を、彼らは掴んでいる。

「単純にあいつらを制圧するだけなら、俺達だけでも可能なんだがな。しかし制圧したところで、羽衣さんを助けられないんだったら意味がねぇ」

「ふん……随分と執心なのね、あの人工聖母に」

「……まぁ、旨い飯を御馳走してもらったしな」

 つまらなさそうに言う十束に対し、広忌はいつかの『少女誘拐事件』を思い出す。あの時に彼女が作ってくれたチャーハンと豚キムチは美味しかった。



『あぁ、先生がガーリック系の味付け好きなんで、今回もそうしましたが、お口に合ったのなら幸いです』



 今も広忌は憶えている――そんな風に照れ臭そうに笑う、彼女の顔を。優しいお母さんのような、素朴で、馬鹿馬鹿しいほどにありふれた、慈しみに満ちた表情。

 父を、母を、妹を――家族を【八咫烏】によって皆殺しにされた刊坂広忌には、もう二度と訪れない幸せの形。

「この事件を解決することが出来るのも、それに相応しいのも、暦先生だけってのは確かだ」

 目を閉じ、生温かい息を吐き出して、広忌は柔らかな声色で言う。その表情に、十束は「あっそ」と素っ気なく頷いた。

「――あー、悪いね。大変お待たせした」

 そんな二人の背後から、緊張感の欠片もない台詞が響いた。声の主は夜の闇に溶け込むような黒い薄手のコートで身を包み、肩には細長いケースを掛けている。

「随分と遅い登場だな、先生」

「これでも急いで来たつもりなんだけどねぇ」

 はは、と頬を掻きながら苦笑し、彼は広忌の隣に立つ十束に視線を送る。

「あぁ、正月の時に言ってた彼女さん?」

「…………誠に遺憾ながら、そうね」

 渋面しながら首肯する十束。広忌は「まことにいかんながら?」と首を傾げた。すると広忌は力いっぱい足を踏まれ、もだえ苦しむ。そんなカップルのイチャイチャした様子に、暦は「チッ」と露骨に舌打ちをした。オタク仲間の同志だと思っていた者の裏切りを見る彼の視線は、酷く冷ややかである。

「……仲が良くて結構なんだけど、それで彼女さん同行とか何? 女連れでメロブとかメイトとか入って来る奴死ぬほど嫌いなんだけど。舐めてんの?」

「舐めてねぇよ、普通に戦力して連れてきたんだよ」

 な? と広忌が同意を求めて振り返ると、十束はおもむろに右手を差し出す――すると彼女の手の平に白い霧を纏いながら、一本の日本刀が出現した。

「初めまして、霊能探偵・龍ヶ崎暦さん。ワタシの名前は漆十束」

 抜き身の刃を振り翳しながら、その鋭い眼光で睨みつけてくる黒髪の女性に、暦は頬を引き攣らせる。

「漆家……? ひょっとして【八咫烏】の関係者かい?」

「元構成員よ。今は健全な小市民だけど」

 ひゅん、と刃が鼻先を通り掛かると、暦の顔面から血の気が一気に引いていく。

「な? 先生。戦力としては十分だろ?」

「ま、まぁ、確かに」

 鈍く光る刃に視線を向けながら、震えた声で暦は頷いた。それを見て、十束は「分かればよろしい」と言わんばかりに首肯して、満足気に刀を下ろす。

「あー、ただ、あれだね。『マサンの栄光の会』の手に、羽衣ちゃんが渡っている。戦力はどれだけ揃えても十分って訳にはいかないんじゃないかなぁ」

「……まだ、戦力の当てがあるって訳?」

「そうゆうこと」

 どこか攻撃的な十束の問いに、暦は普段と変わらぬ緩い笑みで返す。

「というか、あの人達は先に来ているべきなんだけど……遅刻かな?」

 暦は訝かし気に言って辺りをきょろきょろと見渡した、その時――、



「あぁ、悪い、悪い。安曇参事官は別件にて出向中でね。遅れてくるそうだ」



 ――そんな声が、暦達の背後から響いた。

 微かに大気を揺らす、十数名もの人間の気配。その先頭に立つ人物は、黒いコートにストールを首に掛けた、まるでイタリアンマフィアのような出で立ちの、五十代半ばの男性であった。

「……あ、あなたは」

「初めまして、になるかな? 霊能探偵・龍ヶ崎暦殿」

 流麗な所作で帽子を取り、男は恭しく頭を下げた。そして年甲斐もなく、ウインクをして笑う。

「俺の名前は藤波言綾(ことあや)。こんなんでも宮内庁を預かっていてね」

「宮内庁……の、長官……?」

「よろぴく☆」

 暦が半信半疑で発した問いに対して、ピースサインで応える男の余りにもチャラさに、三人は声も上げられないほど驚愕するのであった。





 何もかも灰燼と化す――圧倒的な業火が辺りを燃やし尽くす。

 破戒僧・護岸道折が末期に使用した、不動明王の真言。インド神話に於いて世界を焼き払う力を持つと言う破壊神シヴァを源流とするその仏の真言は、術者にとっての敵対者であるボク達を焼き尽くそうとしていた。あぁ、今になってよく見れば、この慈眼堂の柱の隅々には、『火界咒』と呼ばれる真言が刻まれており、護岸は最初からこの殲滅魔術を使用する算段だったのだ――神性を使い切った今のボクであれば、無論防げるはずもない大魔術だ。

 それなのに、ボクは生きている――その理由が、眼前に立っていた。

ひとふたいつななここの(たり)……ッ!」

 ボクの先輩――石上さんは、ボロボロになった神宝・『蛇比礼』を握り締め、ボク達に向かって押し寄せる業火の波を防いでいた。

 詠唱しているのは、『ひふみ祓詞』という祝詞だろう。石上さんの先祖である物部守屋の、さらに先祖にあたる神性・饒速日命(にぎはやひのみこと)が地上に降臨した際に高天原より持ち込んだという神宝『十種神宝(とくさのかんだから)』の力を限界まで高める魔術式だ。

布留部(ふるえ)ッ! 由良由良止(ゆらゆらと) 布留部(ふるえ)ぇッ!!」

 石上さんの絶叫と共に、ボク達の周囲にドーム状の結界が展開――慈眼堂を燃やし尽くす不動明王の業火を、石上さんの魔術が防ぎ続ける。まさに対仏教に特化した魔術特性を持つ石上家ならではの防御魔術なのだが……、

「はは……どんなもんっすか、後輩くん。わたしだってやれば出来るんすよ」

 石上さんはこちらを見ることもせず、擦れた声で笑う。それが強がりだなんて――まさに、火を見るよりも明らかだ。

「……い、石上さん……て、手が……」

 『蛇比礼』を持つ彼女の手は火に炙られ変色し、どんどん茶色くなっていく――こんな大魔術、防げるはずもない。だって彼女の神宝は、護岸道折によって既に破壊されているのだから!

「げほッ! げほッ! え、えー? なんすかー? よ、よく聞こえないんっすけどー?」

 咳と同時にぽたぽたと、彼女の口から血液が溢れ、地面へと零れ落ちて行く。それは彼女の体内の魔力が枯渇し、身体に限界が訪れている証拠であった。

「も、もうやめてくれ! 石上さん、あなた死ぬ気が!?」

「まー……わたしが魔術を解けば、どうせ二人共死ぬだけっすから」

 ボクの咄嗟の叫びに対し、石上さんはようやく振り向いた。

「……だったらせめて、最後くらい先輩らしくしないと、局長から怒られちゃいそうっすからね」

 いつも通りの無邪気な笑顔――頬には煤がこびり付き、血の気が引いた土気色の貌は、余りにも痛々しかった。

「先輩らしくって……そ、そんなこと……」

「ま、それと、あれっすかねぇ……」

 まるで誤魔化すように目を反らし、石上さんは笑っていった。

「あの糞坊主にわたしがやられちゃった時、朏句人くんは逃げず、戦ってくれたじゃないっすか。……あの時、ちょっとだけ、かっこよかったっすよ」

 だから今度は自分が守る番だと、照れ臭そうに伏せた石上さんの瞳が言っていた。額に脂汗が浮かび、足はがくがくと震え――目の前でボクを守ろうとする彼女の両腕は黒く炭化し始めている。

 思い出す。

 嫌でも思い出す――多々を殺した、あの日のことを。

 殺したくなかった。殺したくなくても、殺さなきゃいけないから、殺した。ボクの手には何も残らないと知って、それでも殺したんだ。

 あの空虚さを、またボクは味わおうとしているのか?

 石上さんを守ろうとして、あの破戒僧を殺したのに――結局、またボクの手には何も残らないのか?

「ぼ――ボクは、そんなことの為に、戦ったんじゃない……石上さんを、助けたくて……ッ」

「……可愛いことを言う後輩っすねぇ」

 にへら、と、だらしなく笑う石上さん――既に彼女の心の裡は決まっているかのように、その瞳には確固たる意志が瞬いている。

「朏句人くんには……やっぱり生きてほしいっすよ」

「でも、それじゃ……戦った意味がなくなって――」



「――いや、意味ならある」



 背後から――声がした。

 周囲を埋め尽くす業火が、轟音を立てて吹き飛んでいく。それは圧倒的な量の水――いや、こちらにまで掛かって来た潮の臭いがする水は、海水だった。

「あ……」

「きょ……く……」

 思わず振り返り、不動明王の真言が放った炎を消し飛ばしながら忽然と姿を現した人影に、ボク達は二人揃って驚愕の声を漏らす。

「――すまない。救助が遅くなった。ここまでよく頑張ったな、二人共」

 神宝『潮満珠』から四方八方へ物凄い勢いで放水して火を消し止めながら、スーツを煤だらけにして現れた安曇局長の姿に、ボクと石上さんは安堵の余り座り込んでしまうのであった。





 黒いキャソックを身に纏った青年が、ビルの上から双眼鏡を片手に港区芸術ホールを観察していた。付近に怪しげな三人組が集まっているのが見えたが、事前に渡されていた資料に掲載されている人物だと気付く。

「うーん、霊能探偵・龍ヶ崎暦と、元【八咫烏】の漆十束に、一般人の刊坂広忌かぁ。ひょっとして団長が帰って来る前に、あの人達が解決しちゃう可能性も出て来たのかな」

 眠気覚ましのガムを噛みながら、ぶつぶつと呟きながら手元のタブレットに記載された顔写真を眺める男――カエルム・ヘルバ騎士団の副団長を務める藤林串市(くしいち)。そんな彼の背後で扉が勢いよく開き、シスター服を身に着けた幼女が現れた。

「やっほー☆ クシイチくん! さっきそこで面白そうなおもちゃ、拾っちゃった!」

「……メアリー様。この緊急時に何をやって……」

 底抜けなほど明るく言い放つメアリーに向かって、呆れ果てたと言わんばかりに振り返る串市であったが、すぐさま絶句する。

「どう? 面白そうでしょ? まりあ様の偽物を乗せてたヘリコプター、つい捕まえちゃったんだけど」

 彼女の足元には両手両足を荒縄で縛られ、口を猿轡で封じられた半裸の中年男性が転がされていたのだ。

「ま――待ってください! 『まりあ様の偽物』って……それって、例の七月羽衣のことですか!?」

「たぶんね? 他の魔術師が転移させちゃったから、その子は捕まえられなかったけど」

「……っ!」

 何て惜しい事を、と串市は歯噛みする。確かに事件の中心である聖母の贋作を確保出来たのならば、問題は速やかに解決に向かっただろう。しかし相手も、一筋縄ではいかないようだ。

「では、メアリー様。この男を尋問して情報を……」

「うーん、めありーも、そう思っててんしょんまっくす! だったんだけどぉ」

 串市の言葉に対し、メアリーは小さく溜息を吐きながら猿轡を乱暴に取り外した。長らく口を封じられていた男は「けほッ、けほッ」と激しく咳をして、自分を見下ろす少女と青年を怯えたように見上げた。

「あ、あああ! 違う、違うんです! 私はこんなことしたかった訳じゃないのに……気付いたら娘の友人を浚わなきゃいけないと思いつめて……ッ! わ、訳が分からないんですッ!」

「ね? 話にならないよ」

 錯乱する男を指差して、メアリーは溜息を吐く。

「……おそらく三木東間の魔術によって洗脳されていたのでしょうね。術式は『祈り願う果ての聖骸布』に基づく物でしょうか」

「だろーねー。神の(ジェズュ)のかりすまを借りて好き勝手、走っちゃうねぇ、むしず」

 地球の人口の三分の一を占める宗教の創始者と同じ衣服を纏っている三木東間は、それだけ他者から信仰され、また他者への影響を及ぼす。

 無論、それが贋作に過ぎない以上、今も二千年前にこの世全ての罪を背負った磔刑に処された神の子を信じる串市とメアリーの貌には、露骨な嫌悪感が滲み出ていた。





 窓のない――無機質な正方形の空間――アスファルトによって囲まれた部屋に、一人の少女が立っていた。一糸纏わぬ少女の肌は白く、華奢である。全裸であるにも関わらず、そこに下品さや淫靡さは無く、ただ美しい。

 それはそうだ。彼女は聖母――聖なる乙女の化身である。

 だが、その瞳は開いていながらも虚ろで、その空洞の如き眼は深淵を覗き見ているかのようだ。

『――耳ある者は聞け』

 全てを視て、全てを識り、全てを失った――そんな諦観の籠った、しゃがれた老翁の声が舞台に響き渡る。淀んだ舞台の空気を震わすその呪文は、まるで波紋のように空間全体へと広がっていく。

『捕らわれるべき者は、捕らわれて行く』

 拡散した波紋は、彼女の足元に魔法陣として出現する。その形は八芒星――『マサンの栄光の会』の使徒たちが全国を奔走し、蒐集した報われぬ魂の残滓が、少女の裸身を包み、乱反射し、視る者の全ての網膜を焼き払うように眩く光り、輝く。

『剣で殺されるべき者は、剣で殺される』

 光は帯と成り、少女の柔らかな身体を包んでいく――それは光の繭を形成し、少女の姿を完全に覆い隠してしまった。

 【八咫烏】が行った『○神計画』の、思わぬ結実――光り輝く繭の中で、少女の身体は『聖母』として醸成される。あの日、一人の青年と少女に邪魔さえしなければ到達していたはずの、『聖母マリアの創造』という魔術のハイエンド。

 しかし――この魔術の到達点はここであるが、完成形はここではない。

 もしも聖母マリアを創ったとして、

 もしも聖母マリアが、救世主を産み落としたとして、

 人類は救えない。

 モニターに映る、どくんどくんと胎動を始めた白い繭を睨みながら、天狗面の男は頭を振った。

 あぁ――もしも彼は二千年前、ゴルゴタの丘にて人類の罪を全て持ち去ったというのなら――どうしてこの世には、悲劇が満ちている?

 故に男は告げるのだ。

 魔王降臨を言祝ぎ、この世界を破壊する呪文を。


『――「大いなる獣(ト・メガ・セリオン)」起動』



 その一言を以って、全ては反転する。

 少女を包む繭はどす黒く変色し、その表面には薄らと「666」という数字が浮かび上がった。





「『大いなる獣』同調率、40%に到達……我が師よ、順調ですな」

 モニターに映し出された黒き繭を見上げながら、純白のローブを身に着けた白髪の中年男性は、溜息交じりの声を漏らす。

「『666』の数字こそが、その徴です。さんたまりあはあの黒き揺り籠の中で、大淫婦として覚醒することでしょう……あぁ、はれるやはれるや! さんたまりあ! 新世界の到来は目前だ!」

「……ふむ。そうだな」

 興奮のあまり天を仰ぎ涙する信者達の後ろでモニターを見上げる天狗面の男は、淡々と頷く。その所作は、どこか緩慢なものであった。

 ――順調過ぎる。それが三木東間の抱いている疑念である。『マサンの栄光の会』の存在を認知している霊能探偵が、この事態を予測していないはずもない。それならば、あの男は何らかの手を既に打っているに違いないのだ。

 三木東間はかつて龍ヶ崎暦に敗北したが、その命は『祈り願う果ての聖骸布』によって蘇った――その一連の流れこそ計画通りなのだとしても、かの霊能探偵は警戒すべき存在だ。

「それにしても、随分と不用心なものだ。七月羽衣の身体には、何の防護魔術は備わっていなかったのか?」

「はッ。仏舎利を使用した護符は制服の裏ポケットに隠されていましたが……何のことはない。対魔術用の結界術式が一つ、展開されているだけでした。我々の手に掛かれば解析・解除など、造作もありません」

 見ますか? と男は懐から、『十号』と書かれた黄色いお守りを取り出す。

「……仏教徒共にとっての『聖遺物』の断片による魔術的な防御――凡百の魔術師であればともかく、とても我等に通用するとは思えない代物だな」

「ははッ、慢心と言うものでしょう――我等に一度勝った自信が、あの霊能探偵に油断をもたらした」

 口元に歪んだ笑みを浮かべる部下の手から、『十号』と書かれたお守りを受け取る天狗面の男――彼はそれを掌で思いっきり握り締めた。

 ぱりぃん、と、巾着の中で、何かが壊れる音がする。今、この地球上に存在する貴重な聖遺物の断片が、一つ失われた。

「相手は油断しているだろう――その考えこそが、慢心そのものだ」

「……え?」

 バラバラと粉々に砕けて落ちるブッタの遺骨であった物に紛れ、プラスチックや断裂した細い回線のようなパーツが零れ落ちていく。その光景に、白髪の男の表情はみるみると変わっていった。

「わ、我が師よ! ま、まさか、それは……!?」

「……くく。聖遺物の内側に、GPS発信機とはな。これは大きな失態だぞ、御玲(みれい)。魔術の解析は出来ても、絡繰り仕掛けは解析出来なかったのか?」

「――ッ、も、申し訳、ありま――」

 御玲と呼ばれた部下は、呆然と床に散らばった精密機械の残骸を見下ろし、頭を下げて謝ろうとした瞬間であった。


 ズゥン! と、建物そのものが、揺れた。


「じ、地震!?」

「否――正面モニター繋げッ!!」

 狼狽する御玲を後目に天狗面の男が叫ぶと、辺りでPCを操っていた信者達が慌ただしく画面を切り替える。

 そこには、異様な光景が映し出されていた。

 一面の赤――血だまり、血だまり、血だまり――室内が一気にざわめく。そこに映し出されたのは、無残にも血達磨になった、『マサンの栄光の会』の信者達の姿であったからだ。

 そんな凄惨なる血の海の中心に、北斗七星が刻まれた巨大な剣を携えた長身痩躯の男が立っている。

『あー、一応警告はしておく――投降するなら今だぞ。今なら、三木東間以外の連中は騙されていたってことにしておいてやる』

 ガリガリと後頭部を掻きながら、日本刀の峰を肩に乗せ――男は、不遜な笑みを浮かべながら、確かにモニターに向かって話しかけていた。

『この程度の戦力しかないなら、どの道時間の問題だ。君達の杜撰な魔王降臨の悲願は、ここで潰える。だからさ――素直に羽衣ちゃんを返せよ』

 すぅ、と、肩に乗せていた刃をモニターに向けると共に画面は真っ白な光に埋まり――激しい爆発音と共に、映像は砂嵐へと変わった。

「……わ、我が師、よ……こ、これは……」

 上擦った声を上げる御玲。そんな彼の肩に、天狗面の男は手を乗せる。

「怯えるな、狼狽えるな。これは奴の挑発だ。大方こちらの戦意を削ぐ――もしくは冷静さを失わせることが目的だろう」

「し……しかし!」

 ざわざわと浮足立つ信者達。自分達の計画の最終段階にまで来て、それを破壊する忌まわしき敵が現れたのだ。それもご丁寧に、『マサンの栄光の会』の信者達を惨殺して――、

「――あぁ、だからこそ、この挑発に乗ろう。さんたまりあは私に任せて、お前達は霊能探偵を迎撃するんだ」

 天狗面の男の言葉に、室内は一気に鎮まった。予想外の言葉に、彼らは互いの顔を見合わせる。

「侵入者を殺せ。聖母を守る為に、その命を使い潰してみせよ――諸君らの屍の上に、偉大なるバビロンは降臨する」

 そんな非情な命令を受けた信者達は戸惑いを顔に浮かべた後――全員が立ち上がり、自分達をここまで指導した男へと恭しく頭を下げた。

「――一足お先に、失礼致します」

 御玲が代表して言葉を告げ、彼らは一斉に部屋の外へと走り出す。無数のモニターを映す暗い室内に、三木東間は一人、残されるのであった。





「プロモーションビデオとしては、こんな感じかな」

 僕は嘆息交じりに呟いて、七星・破敵剣を背負ったケースの中へと戻す。それと同時に芸術大ホール入り口の駐車場に転がっていた死体の数々は消え去り、人型に切られた紙切れへと姿を変えた。

 式神――低級精霊を使役する、陰陽道の基本だ。

「おうおう、中々迫真だったんじゃねぇの?」

 へらへらと笑いながら走り寄って来る刊坂くんの手元には、一丁の拳銃が握られていた。おそらく無力化した信者達から奪い取ったものだろう。

「脅しとしては、なかなか効いたんじゃないかしら? 信者を殺された連中は、怒り狂って襲い掛かってくるに違いないわ」

 腰に手を当て、刊坂くんの彼女は愉快そうに笑う。この状況で楽しそうな二人は、お似合いと言えるのだろうか。物騒なリア充達だ。

「随分と派手にやったんだけど……さて、藤波さん――後の事は、よろしくお願い致します」

 僕は振り返らずに言うと、背後に立つ宮内庁の長官は「ふわーあ」と緊張感の無い欠伸をした。彼の背後には荒縄で縛られ、猿轡を噛まされた『マサンの栄光の会』の信者達が車に乗せられ、警察の元へと輸送されている。

「あぁ、まぁ、うん――任されたぜ、霊能探偵。この一件は陰陽寺国家公安委員長と龍ヶ崎総務大臣にも話は行っている」

 だから多少の事なら揉み消せる、ということだろう。日本政府内に潜り込んだ自分の従妹の顔を思い出して嫌な気分になりながらも、僕は「助かります」とだけ伝えた。

 それと同時に、僕の体内のエーテル回路が震えるのを感じる。



「 しんそうごく 」

「 しんそうごく 」

「 しんそうごく 」

「 いましめたもう 」

「 あおがある 」



「――ッ」

「おー、おいでなすった」

 芸術大ホール正面の自動ドアが開くと共に、白いローブのような服を身に纏った信者達が現れる。口々にする呪文は、僕の心胆を恐怖で震わした。



「 このおみずは 」

「 さんじゅあんさまの 」

「 ごしんだいなされたもうみず 」



 一糸乱れぬ呪文の詠唱と共に、この建物そのものが淡く光り輝く――あぁ、あの黒魔術師・武蔵島と同じく、この芸術大ホールという建物が、巨大な魔法陣として機能しているのだろう。連中が何らかの巨大魔術を発動しようとしていることは、誰が見ても分かった。

「さて……準備は良いよな、先生。俺と十束で、接近する敵は排除する。先生はひたすら突き進んでくれ――羽衣さんがいる場所は、もう分かってるんだろ?」

 隣に立つ刊坂くんが、震える手で拳銃を握りながら問うてきた。その瞳に恐怖が滲んでいる。

「まぁね……それじゃ、よろしく頼むよ」

 腰に掛けたポーチより霊符を十枚ほど取り出し、僕は地面を蹴り飛ばす。



「 いずっぽではらいたもう 」

「 あんめーぞ 」



 刹那、先頭に立つ白髪の男は、胸元の十字架を掲げて吠える。

「――来るが良い、霊能探偵! 我等の悲願! 我等の理想郷は、誰にも侵させはしないッ!!」

 その言葉と共に、眼前に眩い光が炸裂した。




「あぁ、お前はここに辿り着くのだろうな、霊能探偵」

 芸術大ホールの地下に設けられた一室――モニターに囲まれた部屋で、三木東間は天狗の仮面を揺らしながら呟く。

 彼が見上げる二つの画面――一つは芸術大ホール駐車場にて信者達が放った広域殲滅魔術を皮切り開かれた戦線の様子。もう一つは、無機質な正方形にて胎動するどす黒い繭の様子。

「宮内庁障神課をこの舞台に引き込んだのは流石と言えよう――だが、それでは遅い、足りない。我々に本気で勝つつもりがあるのなら、【八咫烏】さえも引っ張って来るべきだった」

 彼の視線は、既にモニターへと向かっていなかった。立ち上がり、カツカツと硬質な音を立てながら部屋を出て、さらなる地下へと潜っていく。

 そして、その部屋に残され、煌々と輝くPCモニターには、こう映し出された。


『「大いなる獣」同調率100%に到達』



『バビロンの大淫婦、顕現』





『――人類種の系統分化逆行を開始します』




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