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目覚めたシェーラの視界に、美しい花鳥画の描かれた天井画が飛び込んでくる。
(……ここはどこ? 私の部屋ではないようね)
皇宮の中に、こんな天井画の描かれた部屋があっただろうか?
皇気を使い過ぎた後の気だるさを感じながら、シェーラは額に手をあてた。
(この天井画は誰の作品かしら? あまり上手いとは思えないのだけれど……重厚さが足りないわ)
女皇の審美眼は厳しい。なにせ皇国中の美術の粋を集めた中で暮らしているのだから。
「……伯祖母さま?」
シェーラの手が動いたことに気がついたのだろう、直ぐ側から声がかかった。
その声は、よく知っている。
視線を向ければ案の定、彼女の姪孫のレオナルドがいた。
美しい青い目の下に、何故かくっきりと“くま”をつくった美青年が、ベッド脇の椅子に腰かけている。
「……レオ、寝室に勝手に入ってはダメと、教えたでしょう?」
いけない子と叱れば、レオは嬉しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、伯祖母さま。……でも、伯祖母さまは丸一日目覚めなかったんですよ。だから。僕は心配で。……ああ、大丈夫です。伯祖母さまが“女皇の皇気”を使ったことは、僕とスィヴァス、ラガルト元帥くらいしか気がついていませんから。……面倒くさいことは、全部あの“悪徳商人”に押しつけて、伯祖母さまは今まで通りミームの町で自由に暮らせばいいんです」
ベッドから体を起こしたシェーラは『ミームの町』と言われて、ハッと体を強張らせた。
そして、思い出す。
――――今の自分が、ヴァレンティナではなくシェーラなのだということを。
「レオ……さま、知って――――」
愕然とするシェーラに、レオは優しく微笑んだ。
「レオでいいです。『さま』なんて付けないで、呼び捨てにしてください」
そう言ってから、静かに頷いた。
「ええ、知っていますよ。“シェーラさん”が伯祖母さまの生まれ変わりだということは。……確信を得たのは最近ですけれど……でも、きっと僕の心は、シェーラさんに出会った時に、直ぐに気づいていた。――――だから、こんなにあなたに囚われたんだ」
レオは、うっとりとして、自分の胸に手をあてる。
シェーラは――――呆然とした。
顔からサーッと、音を立てて血の気が引いていくのがわかる。
そんなシェーラの様子を見たレオは、慌てて椅子から立ち上がった。
ベッドの脇に跪いて、シェーラの顔を見上げてくる。
「大丈夫です。言ったでしょう? シェーラさんは今まで通りミームの町で自由に暮らしていいって。僕もスィヴァスもラガルトも、シェーラさんが嫌がることはしませんよ」
レオは、信じられないことを言ってきた。
「本当に?」
そんなことを許してもらえるのだろうか?
「ええ。――――とはいえ、もしもシェーラさんが、昨日“女皇の皇気”を隠さず使っていたのなら、一刻も早く皇宮にお連れしてお守りしなければならないところでした。強大な力を持つシェーラさんを誰が利用しようとするか、わかりませんからね。……けれど、あの力を使ったのはバランディだと、みんな思っています。皇国軍の兵たちなどは、自分たちを救った伝説の神皇家の“英雄”に夢中になっていますよ」
レオは、天使のごとく美しい顔に、意地の悪い笑みを浮かべた。
自分のためにバランディを利用した自覚のあるシェーラは、申し訳なくなってしまう。
「ああ、そんな顔をしないでください。大丈夫ですよ。神皇家の者には誰も手を出せませんから。多少周囲はうるさくなっていますけど、バランディは相変わらずバランディのままです。……忌々しいことにね」
ものすごく残念そうにレオはため息をついた。
「……レオ? あなた、そんな性格だったかしら?」
先ほどから、バランディに対する負の感情を隠しもしないレオの態度に、シェーラは首を傾げる。
レオは、肩をすくめた。
「伯祖母さまがお亡くなりになって二十年近く経ちますからね。僕は、少し擦れてしまったのです。……でも、大丈夫。これからはシェーラさんがいますから。あっという間に元の素直で可愛らしい僕になってみせますよ」
自信たっぷりに、宣言した。
――――本当に素直で可愛い子は、自分でそんな宣言しないだろう。
シェーラは頭を抱えてしまう。
「ああ! 頭痛がするんですか? まだ目覚めたばかりなんですから。ムリに起きていなくていいんですよ。――――戦争は無事皇国の勝利で終結しましたし、ゲン国王も無事です。シシルくんの件も、こちらの言う通りにするとゲン国王から言質を取ってありますから、安心して休んでください」
シェーラが頭を抱えた理由を誤解したレオは、心配そうに彼女の背に手を回した。
そのまま優しく背中を摩ってくる。
「……本当は、僕がシェーラさんを守りたかった。……でも僕は第三皇子で……僕が“女皇の皇気”を使えるだなんて、例え嘘でも、そんなことを思われるわけにはいかなくて――――」
次の皇帝はレオの父である皇太子で、その後継は第一皇子である兄だ。
だからレオは、シェーラの“女皇の皇気”を自分が使ったように偽装するわけにはいかなかった。
そんなことをしたら、レオの意思とは無関係に、後継者争いが起こってしまう。
「そんなバカなこと、私がさせるはずないでしょう。もし、あそこにバランディさんでなくレオが来たのなら、私は間違いなく自分ひとりで決着をつけていたわよ」
「うん。スィヴァスやラガルトにもそう言われて止められた。……悔しいけれど、あの時シェーラさんを守れるのは、わずかでも皇気を使えていたバランディだけだった。……まさかそれが“神気”だったなんて、思ってもみなかったけれどね」
凄まじい“皇気”を使ったように見えたバランディ。
それを直ぐにスィヴァスが“神気”だと見破り、ラガルト元帥が肯定したことによって、皇国軍は騒然となったのだという。
新たな“英雄”の誕生に誰もが興奮し、結果シェーラに注目する者は、レオたち以外には一人もいなかった。
それがシェーラの目論見通りなのだとわかっていても、悔しかったのだとレオは言う。
立派な成人皇族となったはずの女皇の姪孫は、甘えるようにグリグリとシェーラの胸に自分の頭を押しつけた。
仕方ないわねぇと、シェーラはレオの髪を撫でてやる。
前世で何度も撫でた黄金の髪は、相変わらず艶やかで抜群の手触りだ。
しばらくして――――
「……だから、仕方ないから、今回はあいつを認めてやることにしたんです。シェーラさんの側に我が物顔でいるなんて、八つ裂きにして、切り刻んで、臼で挽いてやりたいほど悔しいけれど…………我慢します」
なんとも物騒な表現に、シェーラは顔を引きつらせた。
「レオ――――」
「あ、でも、全力で嫌がらせはしますからね! それでバランディがシェーラさんから離れるようなら、あんな奴即座にフッて僕とつき合ってください!」
ものすごくイイ笑顔で、レオはそう頼んできた。
「ね!」と言って首を傾げる様は、大人の男なのに、たいへんあざと可愛いらしい。
シェーラは――――力なく、苦笑した。
「……フるも何も――――もう、私はジルには嫌われているかもしれないのに」
シェーラは、自分のためにバランディを利用した。
そうでなくとも、あんな化け物のような力を見せつけられて、それでも好きでいてくれるなんて……考えられない。
何より、この場にバランディは……いない。
それが全ての答えなのではないだろうか。
自嘲気味に笑って下を向くシェーラに、レオはキョトンとした。
「嫌う? ……どうして? あんなに美しいシェーラさんの皇気に間近で触れて、嫌うなんてあるはずないでしょう?」
それは、皇族ゆえの感想だろう。
普通の人間はそうではないのだと、シェーラは力なく説明しようとする。
「あ! もしかして、今ここにバランディがいないことを気にしているんですか? それなら心配いりませんよ。あの男は、腹立たしいことに、シェーラさんが倒れてから、ずっと側にくっついていたんです。誰も近寄らせようとしなくって――――でも、さすがに丸一日ですからね。無理やり説得して、絶対シェーラさんに危害を加えないことを皇帝陛下の御名にかけて誓って、十分くらい前にようやく休憩させたんです。……半日は戻ってこなくていいと言ったんですが……あの調子だと、直に帰ってくるんじゃないのかな?」
本当に忌々しいと、レオは眉間にしわを寄せる。
シェーラは、目をパチパチさせた。
「……ずっと側に?」
「ええ。そうですよ」
ムッとしながら、レオは頷く。
そんなことがあるのだろうか?
(私は、ジルに嫌われていないの?)
そうシェーラが思った時――――
「シェーラ!」
部屋の扉をバン! と開け、バランディが飛び込んできた!




