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夜通し馬で遠距離を駆けたシェーラとゲン国王。
「私は乗せてもらっただけだったが、君は自ら手綱を取っていたんだ。少しは休んだ方がいい。……さすがに義父も今直ぐには手を出してはこないだろう」
先ほどは気を抜くなと言った国王だが、多少落ち着いたのか、彼はシェーラに休憩を勧めてきた。
(確かに、休める時に休むのも、大切なことよね)
そう思ったシェーラは、国王の天幕のすぐ隣に張られた小さな天幕に移動する。
正直、そんな必要を感じていないのだが、無理が禁物なのは常識だった。
大人しく天幕の隅のクッションに横になりウトウトとしたところで、シェーラは異変を感じる。
ハッ! として見れば、天幕の入り口からビュケ伯爵が入ってくるところだった。
咄嗟に皇気を張ろうとして――――シェーラは、それが出来ないことに愕然とする。
ビュケ伯爵は、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。
「皇気が使えないことに驚いておられますかな? 私とて皇国に歯向かおうというのですから、無策ではないのですよ。――――実は、北のクリセルファ王国では、はるか昔に皇国に敗れた屈辱を晴らすため、ずっと皇気を無効化する研究を秘密裏に続けていましてな。完成する寸前までいったのですが……数年前に皇国と友好関係を結んだばかりに、その研究に対しての援助を止めてしまった。突然資金を打ち切られ路頭に迷った研究者を私が保護し援助したのです。……そして、ようやく完成品ができあがった」
得々として語るビュケ伯爵。
(え? あの今さらな研究、ゲン王国に流れていたの?)
シェーラはびっくり仰天した。
その研究については女皇も知っている。
(っていうか、皇国には既に研究の完成品があるのよね。……だって、皇族の中にだって不心得者はいるんだもの)
その代表格が、女皇の叔父だろう。かつて悪妻に唆され皇帝の座を狙った叔父は、皇族の中の皇族、皇家の一員だった。幸いにして悪妻の正体に気づいた叔父は改心し、皇気を無効化する装置の出番はなかったのだが、いつ出るかわからない不心得者への用心に、装置はいつでも皇宮に常備してある。
(あまりよくはわからないんだけど、確か人の耳では聞こえない周波数の振動を発生させて、皇気を妨害するんじゃなかったかしら? クリセルファの物は、全然完成しそうにないって言う話だったんだけど……でも、そうか、ついに完成したのね)
寿命の短い人間であっても、研究結果を繋ぐことで目的を達成できるのだと、研究内容はともかくとして、シェーラはそこに感激する。
――――しかし、感激ばかりもしていられなかった。
皇気を封じたことで、一気に優勢に立ったと信じているビュケ伯爵が、ドヤ顔でシェーラに迫ってくる。
「皇気の使えないお前など、ただの非力なガキだ。今すぐこの場で切り捨ててやってもいいのだぞ」
圧倒的に有利な立場を確信したビュケ伯爵は、先ほどまで使っていた敬語をかなぐり捨て、これ見よがしに剣の柄に手をかけた。
(……できもしないくせに)
内心呆れるシェーラだが、表面上は怯えるふりをする。
案の定、ビュケ伯爵は剣を抜かなかった。
「フフフ、私が怖ろしいか? だが、安心しろ。お前の死因は戦争中の流れ弾になる予定だ。万が一にも死体を検分されて刀傷など見つけさせるわけにはいかないからな。ここで殺すのは止めてやろう。その代わり、あの偽物の国王もろとも皇国軍の砲撃に当たってもらう。――――皇気を封じられた皇国軍など恐れるに足らない。数は我が軍が圧倒的に有利だからな。お前と国王を殺させてからじっくり殲滅してやる。……お前は、自分を匿ってくれた皇国に吹き飛ばされて殺されるのだ。なかなか皮肉の効いた、いい筋書きであろう?」
ビュケ伯爵は、己の作戦に悦に入ったように高笑いした。
(やっぱり。本当に高位貴族って自分の手は汚したがらないのね。私なら、絶対確実に自分で息の根を止めるんだけど。……しかも悪趣味だし。……この手の人種の考えることは理解しがたいわ)
シェーラは、呆れ半分でこっそりため息をついた。
もっとも、息の根を止めにきたところで、返り討ちにするだけなのだが。
(……この人、本気で皇気を防いだだけで皇族に勝てると思っているのかしら?)
だとすれば、度し難いバカとしか言いようがない。
――――寿命の長い皇族が、長年の精神鍛練により身につけるのが皇気なら、肉体の鍛錬によって身につけるのが様々な武道と護身術だ。昨晩の夜会で見せたシェーラのサマーソルトキックは、皇気だけで成し得る技ではないのである。
(皇気で肉体強化はするけれど……でもそうしなくても、こんなおじさんに負ける気は全然しないのよね。皇国の近衛軍だって、たかが皇気を無効化されたぐらいでゲン国軍に負けるとか考えられないんだけど?)
それに、いざとなればシェーラには女皇の皇気がある。皇宮にある皇気を無効化する装置も、皇帝の皇気にはまったく効果がなかった。
それを使って今すぐビュケ伯爵に反撃してもいいのだが――――
(この人、さっき国王と私を一緒に皇国軍の砲弾に当てるって言ったわよね? てことは、ゲン国王も、もう既に捕まってしまったのかしら? まさか、戦いがはじまっていたりしないわよね?)
いろいろ疑問に思ったシェーラは、もう少しビュケ伯爵の慢心につけこむことにする。
頑張って怯えたふりを続けた。
いい気になった伯爵が、シェーラの腕を掴む。
(うわっ! 気持ち悪い!)
振り払って叩きのめしてやりたい気持ちをシェーラはグッと我慢した。
「来い! お前の死に場所に案内してやる!」
自分のセリフに酔ったのか、満足そうに笑ったビュケ伯爵はシェーラを強引に天幕から連れ出した。
(そんなに引っ張らなくても素直についていってあげるから、手を放してくれないかしら?)
シェーラは嫌そうにビュケ伯爵の手を睨む。
――――この時、シェーラは失念していた。
皇国が、二百年前の北のクリセルファ王国との戦争以降、ずっと長きに渡り平和を維持してきたことを。
今いる皇国軍の兵士や間諜たちが、ラガルトやスィヴァスを除けば、ほとんど実戦経験のない者たちなのだということを。
すっかり忘れ果てていたのである。




