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襲撃の混乱の中で、シェーラを探すバランディ。
彼に返事をしたいシェーラだが、そんなことをすれば襲撃者の注意を惹きつけることになる。
だから、心を鬼にして諦めた。
まだ視力は戻らないものの、皇気で周囲を探りながら出口を目指す。
同じく逃げ出そうとしている夜会の参加者たちに紛れ込み、大広間から外に出た。
そこで、こちらに向かって走ってくるフレディとスィヴァスの気配にかち合う。
「シェーラさん!」
焦った声を上げるのは、フレディだ。
「フレディさん! シシルさんが狙われています。バランディさんとセオ・クリシュさまが守っていますが、お二人とも目が見えない状況です。早く行って助けてあげてください!」
シェーラの言葉を聞いたフレディの足音が早まった。
きっと慌てて中に走って行くのだろう。
一方、スィヴァスの気配は、その場に残ったままだった。
(まあそうよね。このくらいの騒ぎでレオが危険になるはずもないもの)
皇族――――それも直系の戦闘力は強いのだ。レオは皇気も完璧に操れるし、一人で軍隊と対峙しているわけでもないのなら、そうそう心配する必要はない。
シェーラは足を止めることなく、ゲン国王と繋いでいる手とは反対側の手を頭の横まで上げた。そのまま小さく前に振る。
これは、女皇時代の間諜への合図で『ついて来い』という意味だ。
(声を出してもいいけれど、それだとフレディさんが戻ってくるかもしれないもの)
フレディには、一刻も早くバランディの元に行って、彼の目となってほしいと思う。
(平民の私なんかの合図で、スィヴァスが従ってくれるかどうかわからないけれど……レオに教えてもらったとでも思ってくれたら成功よね)
シェーラの願いは通じたようで、スィヴァスは足音をさせずにシェーラの隣に並んだ。
彼の気配をとらえたまま、シェーラは小さく声を出す。
「厩舎まで案内してください。馬を調達できますか? ゲンとの国境まで夜通し駆けたいんです」
「――――わかりました」
スィヴァスは簡潔な返事を返してきた。
「どうして?」とか「何故?」とか、詳しい理由を聞かれないのが、今はありがたい。
「失礼ですが、目は見えていますか?」
代わりに、こちらの状況を確認してきた。
「いいえ。私もゲン国王陛下も、まったく見えていません。……なのでお願いがあります。配下の方の中から信頼できる方を、お一人貸してくれませんか? ゲン国王陛下の視界が戻るまで一緒に馬に乗ってほしいんです」
まったく目の見えない状況で、皇気の使えない国王が一人で馬を走らせることは難しい。
かと言って、シェーラと二人乗りをするには彼女の体格は小さすぎた。
(前に乗せたら、私の手が手綱に届かないわ)
後ろに乗せて、自分の体に掴まらせるという手段もあるが……なんとなく、やりたくないと思ってしまう。
(非常時だし、そんな事を言っていられないんだけれど……でも、後でバランディさんやレオに二人乗りがバレたら――――きっと、二人とも気を損ねて、ものすごく面倒くさくなるわよね?)
スィヴァスと出会わなければ、それでも仕方ないかと思ったが、せっかく会えたのだから協力してもらおうと思う。
「わかりました。私がご一緒いたします」
スィヴァスは即座にそう答えた。
「え? あ、でもレオ……さまは?」
いくら当面の心配はないとはいえ、放っておいていいのだろうか?
「大丈夫です。むしろここでシェーラさまをゲン国王陛下と二人にして見送ったら、そちらの方が叱られます……レオナルドさまだけでなく、バランディさまや他の皆さまからも当然お叱りを受けるでしょう」
スィヴァスは、きっぱりと言い切った。
他の皆さまとは、誰のことだろう?
フレディやシシルのことかしら? と思いながら、シェーラは首を傾げる。
「そうなの?」
「ええ、間違いありません! ……それに、ご心配はいりませんよ。レオさまの方には、それこそ信頼できる配下を向かわせますから」
それならと、シェーラはスィヴァスの提案を受け入れることにした。
(道中、こちらの軍のことも聞けるから一石二鳥だわ。やっぱりスィヴァスは頼りになるわよね)
元とはいえ、皇国の諜報機関の長官だったのだから当然である。
――――その後、シェーラの信頼は裏切られることはなく、あれよあれよという間に、彼女たちは馬上の人となった。
◇◇◇
時刻は深夜。
今日は朔日で、月のない夜の静寂にドッ! ドッ! という馬の駆ける音が響く。
時間が経つに連れ、シェーラとゲン国王の視力も回復したのだが、闇夜の中ではあまり関係はなかった。
「ちょっと待て! いくら馬が夜でも目が見えるとはいえ、このスピードはおかしいだろう?」
……いや、関係あったと言うべきか。
今まで見えないために黙っていたゲン国王が、いろいろ言ってくるようになって煩くなったのだ。
「急がなければ夜が明けて戦争がはじまってしまいますもの。仕方ありませんわ」
「シェーラさまの言う通りです。ここは立ち止まって考える時ではなく、多少おかしくともスルーして駆け抜けなければならない場面でしょう」
「……そうなのか? ……いや、絶対違うだろう!」
納得しそうになったゲン国王だが、慌てて首を横に振って否定する。
ちなみにまだスィヴァスと二人乗りのままである。この程度の速さで「おかしい」とか言っているようでは、一人で騎乗なんてさせられない。
ゲン国王の相手は面倒くさいので、シェーラはスルーすることにした。
「セバスさん、皇国の軍隊はどうなっています? まさかメラベリューに任せっきりではないですよね?」
シェーラの質問にスィヴァスは、既に近衛軍五千が国境に待機していると答えてきた。
「近衛軍? 皇帝陛下が派遣を許可したのですか? 指揮は誰が執っています?」
近衛軍は本来皇家直属の軍隊だ。指揮権は皇帝個人にあり、当然地方への派遣にも皇帝の命令がいる。
(まあ、軍の任務の中には皇族の警護も含まれているし、レオがここにいるんだからメラベリューに派兵されるのも不思議じゃないけれど……)
「ラガルト元帥です」
「ラガルト元帥?」
懐かしい名前に、シェーラは少し驚いた。
たかがゲン王国に対して、ずいぶん大物を出してきたものである。
「ラガルト元帥は、つい最近まで引退されていたのです。……復帰戦として、今回の任務は手ごろだったのではないでしょうか?」
スィヴァスの説明に、シェーラはなるほどねと頷いた。
(確かにラガルトも、もう高齢ですものね。でも、元気は有り余っていたから、後進に道を譲ってはみたものの、暇を持て余して復職したって感じなのかしら? ……元気が良すぎて迷惑なお年寄りになっていないといいけれど)
ラガルト元帥が引っ張り出されるまでにいろいろあった“裏事情”を知る由もないシェーラは、ラガルトが聞いたら憤慨間違いなしの要らぬ心配をしてしまう。
その後も、スィヴァスから互いの軍の規模や展開状況、現在地や予想されうる進軍経路の詳細を聞き出した。
「……ここまで筒抜けなのか」
最初は何かと煩かったものの、途中から黙り込んでしまったゲン国王が、呆然としながら呟く。
「いえいえ、今夜の襲撃を予想しておきながら、このような事態になってしまったのですから、私もまだまだです」
スィヴァスは、本当に悔しそうにそう言った。
「……予想していたのか?」
ゲン国王は、ますます呆然とする。
「はい。しかし襲撃のタイミングはラストダンスが終わってゲン国王陛下が退出した後と思っておりました」
まさしくその通りである。
ゲン国王自身もそう思っていたのだから、襲撃を許したのはある意味仕方ないことだろう。ましてやここは属国メラベリュー。王宮警護の責任者はスィヴァスではない。
(それでも、スィヴァスは納得しないんでしょうけれど)
他人に厳しい以上に自分に厳しいスィヴァスに、シェーラは苦笑する。
「結果オーライよ。シシルさんやバランディさん、レオさまも無事だって、さっき連絡がきたのでしょう?」
皇国の間諜は夜間の連絡用に訓練されたフクロウを使っている。メラベリュー王宮に残ったスィヴァスの配下から、全員の無事と、バランディとレオナルドがシェーラたちを追うため王宮を出発したとの連絡がきたのは、つい先ほどだ。
「……このまま行けば、夜明け前には国境に着くわ。戦争を未然に防ぐか、そうでなくても被害を最小限に抑える策を練るには十分よ。……そうでしょう?」
少し挑発するようにシェーラは、わざとそう話す。
暗闇の中、スィヴァスが小さく息を呑む音が聞こえた。
「……拗らせている方々のお気持ちが、よくわかります」
言われた言葉は――――意味不明だ。
「セバスさん?」
「いえ。ご期待にそえるよう全力を尽くします」
頑張ってもらえるなら何よりである。
一部理解しがたい言葉もあったが(まあいいか)と思ったシェーラは、馬を急がせるのであった。




