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広々とした大広間に美しく設えられた見事な調度品。
室内の隅々までも明るく照らし出す凝った作りのシャンデリア。
広間の一角には室内楽団が陣取り、優雅な曲を演奏している。
色とりどりの豪華な衣装に身を包んだ男女は、曲に合わせて泳ぐ熱帯魚のようだった。
夜会会場に入ったシェーラは、ゆっくりと全体を見渡す。
(宴もたけなわというところかしら? 少し遅れてしまったから仕方ないわよね?)
遅れた理由は、突如迎えに来たレオとバランディが揉めたせいだ。
「――――レオさま」
きちんと責任を取りなさいよという心の声を乗せて、シェーラは彼に声をかけた。
「ああ。紹介するからついてきて」
そう言ってレオは、シェーラたちを先導するように歩き出す。
彼に続こうとしたシェーラなのだが、自分をエスコートするはずのシシルが立ちつくしているため、動けなかった。
「シシルさん?」
「ぼ、僕……こんな大勢の人なんて――――」
そう言えばシシルは、屋敷で監禁されて育った文字通りの箱入り息子。バランディに救われ、フレディや商会の仲間たちとも触れ合ってきたが、これほど大勢の人々と一気に合することは、はじめてだろう。
(しかも王宮の夜会なんだから、緊張するなって言う方が無理よね)
こういったことについて周囲から、鈍いとか、鋼鉄の心臓を持っているとか、いやミスリル並だとか、いろいろ言われているシェーラだが――――普通の人の心境を思いやることだって、やろうと思えばできるのだ。
(ただ、実感ができないだけだわ)
シェーラにとって、この程度の規模の夜会は大きくもなんともない。参加者もせいぜいが属国の王と、小さな隣国の王だけだ。
(皇子のレオはいるけれど、身分を隠しているんだしノーカウントよね?)
これで、どこに緊張する要素があるのか、シェーラにはわからない。
それでも、シシルが怯えているのは紛れもない事実だ。
だからシェーラは、シシルの耳にそっと顔を寄せた。
「……あなたに幸運を」
そう言って、頬に軽くキスをする。
同時に、ほんの少しの皇気を分け与えた。
傍から見ている誰一人気づかぬくらいの僅かな皇気だ。
「っ!? な、何をっ? シェーラさん!!」
シシルは真っ赤になって狼狽えた。
「元気づけです。……どうですか? 力が湧いてくるような気がしません?」
「力が湧いてくる前に、僕がボスに殺されます!!」
さすがに大きな声を出せないことはわかるのだろう、シシルは囁くような声で、しかし力いっぱい訴えた。
大袈裟だなとシェーラは思う。
(ほっぺにチュッくらいで、相手を殺す人なんているはずないじゃない)
そう思ってバランディの方を見れば、彼は拳が真っ白になるほど手を握り締めていた。
「え?」
明らかに激情を堪えている姿に、シェーラはどん引いてしまう。
「――――ヒドイ。シェーラさん。……あんまりです」
聞こえてきた恨み声に目を向ければ、泣き出しそうな顔をしたレオが、こっちをジトっと睨んでいた。
二人の方からは、底冷えのする冷たい冷気まで漂ってくる。
「……えっと? 大丈夫よ。きっと……殺すまではしないと思うわ?」
自信なさそうにシェーラが言えば、シシルは泣き出しそうな顔になった。
「……もういいです! 早く行きましょう。僕に危害を加えるかどうかわからない不特定多数の人より、ボスとクリシュさんの方が怖いですから!」
非常に正しい判断だった。
何はともあれシシルが動けるようになって良かったと、シェーラはホッとする。
歩き出した二人を見て、恨めしそうに睨んでいたレオも再び前を向き歩き出した。
レオを先頭に、シシルとシェーラが後に続き、しんがりをバランディがつとめる。
フレディとスィヴァスは従者であるため、本会場の大広間には入れなかった。
この王宮では顔なじみのレオがいるせいなのか、シェーラたちが近づくに連れ、人々が自然に道を開ける。
(うんうん。さすがレオだわ。みんなに道を譲ってもらえるなんて人望があるわよね)
シェーラは嬉しくなってしまった。
大きくなった姪孫の背中を見ながら歩いていけば、唐突にその背中が動きを止める。
彼が一礼した先は、周囲より一段高い場所となっており、そこに玉座が二つ並んでいた。
座っているのは、メラベリュー国王とゲン国王だろう。
向かって右の人物は、特徴的な鷲鼻が目立つ壮年の男だった。
(うん。間違いなくメラベリュー国王だわ。確か、即位したての頃に一度会ったわよね)
つり目の悪役顔なのに純情そうな男で、ヴァレンティナを見て顔を赤くしたのを覚えている。
そしてもう一人、燃えるような金髪の男が、ゲン国王に違いなかった。
目の色はシシルと同じ薄茶色だが、他には似たところのない堂々とした体格の男だ。
(選ばれたのは赤ちゃんの時だもの、仕方ないわよね)
そこまで見て取ったシェーラは、視線を外して頭を下げた。
王の御前で、これ以上ジロジロと観察するわけにもいかないからだ。
呆けたようにゲン国王を見ているシシルの手を引いて、頭を下げるように促した。
ハッとしたシシルは慌てて頭を下げる。
ギュッと握った拳がカタカタと震えているから、シェーラは手を放せなかった。
「おお、ようやく来たか。待ちかねたぞ」
「久しいですね。――――セオ・クリシュ殿」
メラベリュー国王、ゲン国王双方から続けて言葉がかかる。
(二人はレオの正体を知っているのよね? 身分を偽っているレオの事情でこの言動なんでしょうけど……きっと居心地悪いでしょうね)
本来ならば、壇を飛び降り跪かなければならない相手に対し、文字通り上から目線で話しかけなければならないのだ。その心情は察して余りある。
「御前に参上するのが遅くなり、誠に申し訳ございません。ご機嫌麗しゅう、メラベリュー国王陛下、ゲン国王陛下」
「ああ、堅苦しい挨拶は不要だ。今日は“親しい友人”を紹介してくれるのだろう? 好みの厳しいそなたの慧眼に適った人物に会えるのを楽しみにしていたのだぞ」
メラベリュー国王は、身を乗り出してシェーラたちに視線を注いできた。
レオに気に入られるということは、皇国の第三皇子のお気に入りということだ。
はやる気持ちもわからないでもない。
「はい。――――まずそちらがミームの町の商人ジルベスタ・バランディ氏です」
レオに紹介されたバランディが顔を上げた気配がした。
「バランディです。お初にお目にかかります。メラベリュー国王陛下、ゲン国王陛下」
低く艶やかな声が広間に響き、周囲から感嘆のため息が漏れ聞こえてくる。
(うん。きっと滅茶苦茶カッコよくて、おまけに色気があるんでしょうね。……貴族のご令嬢たちの目がハート型になっているのが目に見えるようだわ)
シェーラは、なんとなくイラっとした。
「そしてこちらが、バランディ氏の養い子であるシシル・ヴェストルくんと、私の“大切な人”であるシェーラ・カミュさんです」
続いたレオの言葉に、シェーラは慌てた。
シシルをバランディの養い子として紹介することは、事前に打ち合わせて決めてあるからいいとして――――
(何? その“大切な人”って!?)
これでは、メラベリュー国王とゲン国王の注目は、一気にシェーラに集まってしまう。
内心舌打ちをしたい気持ちを堪えて、シェーラは顔を上げた。
シシルから手を放し、二人の国王に対し完璧なカーテシーを披露する。
「シェーラ・カミュと申します。お目にかかれて光栄です」
できるだけ普通の貴族令嬢の仕草を真似てそう言った。
「……シ、シシル! ヴェストルです!」
隣では、テンパっているのだろう、シシルが声を上ずらせて挨拶する。
内心(あちゃ~)と思いながら、シェーラは目の前の国王二人を見つめた。
思った通り、メラベリュー国王は目を真ん丸にしてシェーラを見ている。
(うんうん。第三皇子の“大切な人”は気になるわよね)
その心情はよくわかる。
一方、ゲン国王は予想に反して、シシルを凝視していた。
一見無表情なその裏で、どんな思惑を巡らせているのだろう。
「……シェーラ・カミュ? カミュなどという家が国内にあったかな?」
考え込むメラベリュー国王は、明らかにシェーラを自国の貴族の娘だと思っているようだ。
「私はミームの町に住む平民ですから、陛下が家名をご存じなくとも当然だと思います」
なのでシェーラは速やかにその間違いを訂正した。
「平民? ……まさかっ! この落ち着き様でか!?」
何故か、ひどく驚かれてしまう。
「…………ということは、そちらのヴェストルも平民なのかな?」
さり気なさを装って、ゲン国王が探りをいれてきた。
シシルは言葉に詰まって、答えを返せない。
「私も平民ですから。私の養い子であるシシルも平民です」
助けを出したのはバランディだ。
セリフはともかく、ものすごい目つきでゲン国王を睨むのはいかがなものだろう?
(ケンカを売っているとしか見えないわよ!)
焦るシェーラをよそに、バランディとゲン国王の会話は続く。
「その若さで養い子とは。酔狂だな?」
「こう見えて、私は四十六歳ですから」
「四十六? その見た目でか?」
「見た目で年齢を計れぬことなど、よくご存じでしょう?」
バランディの言葉を聞いたゲン国王は、黙り込んだ。
伺うようにレオに視線を送る。
もしかしたらバランディが皇族かもしれないと思っているのかもしれない。
ゲン国王からの視線を受けたレオは、小さく首を横に振った。
(まあ、そうよね。ここで嘘をついたって、いずれはバレるんだし……例えバランディさんが皇族でシシルがその庇護下に入ったんだとしても、ゲン国王は諦めそうにないもの)
シェーラは、あらためてゲン国王をじっくり観察した。
派手な金髪の印象で一見激情家に見える国王は、よくよく見れば思慮深そうな落ち着いた眼差しをしている。
(バランディさんのあからさまな威嚇にも引っかからないし……こういう大人しそうな人って、一度決めたら頑固な人が多いのよね)
どうしたものかとシェーラは思案する。
できれば騒動を起こさずに、シシルから手を引くようゲン国王を説得したいのだが。
考え込んでいれば、流れていた音楽の曲想が変わった。
(これは? ラストダンスの曲? え? もうそんな時間?)
ラストダンスとは、文字通り夜会で踊られる最後のダンスだ。夜会そのものはまだまだ続くのだが、皇族や王族が出席している場合、彼らはこのダンスを最後に退席するのが慣習になっている。
(要は、いつまでもお偉いさんに居座られたら、下々の者が楽しめないってことなのよね)
女皇は、ラストダンスを別名“追い出しダンス”と呼んでいた。
まあ、それはこの際どうでもいいのだが、どうでもよくないのは、このダンスが終わったらゲン国王がいなくなってしまうということだ。
(まだ会話らしい会話もしていないのに、どうしたらいいの?)
焦るシェーラとは関係なく、メラベリュー国王がラストダンスのために席を立つ。
背後にいた王妃の手を取り、広間の中央に向かおうとした。
「ファーストダンスは踊られませんでしたが、ゲン国王は、このダンスどうされますか? よろしければ我が娘にお相手させますが?」
メラベリュー国王にそう声をかけられたゲン国王が、スッと立ち上がる。
「…………いや。私は、こちらの令嬢にお相手いただこう」
その言葉と同時に、シェーラの前に大きな男の手が差し伸べられた。




