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次の日の朝。
多少落ち着いたシェーラは、いつも通り妹の髪を結んでいた。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。バランディのお兄ちゃん、今日もお姉ちゃんを迎えにくるかな?」
無邪気に聞かれた言葉に、心臓がドキンと跳ねる。
「……たぶんね」
「よかったぁ! あのね、パミュね、昨日もらったお土産のお礼がもう一度言いたいの! だって、すっごく可愛いクマさんなんだもの!」
妹の手には、昨晩バランディが、シェーラを送りがてら持ってきたお土産のクマのぬいぐるみがしっかり握られている。
バランディは、他にも家族それぞれにお土産を買ってきて渡していた。
シェーラの家族のバランディへの親密度は、上がる一方で下がることを知らない。
(こういうところは、年の功というべきか、さすがに気配りが完璧なのよね。……これまでつき合ってきた彼氏は、こんなこと全然したことがなかったもの)
そもそも人間としての格が違うのだろうと、シェーラは思う。
比べたら可哀相なのかもしれなかった。
そんなことをつらつらと考えていたら、母がバタバタと部屋に飛びこんでくる。
「シェーラ、早くリビングにきて、あなたにお客さまよ!」
「え? バランディさんじゃなく?」
シェーラは首を傾げた。
こんなに朝早く来る客と言えば、バランディぐらいしか思いつかない。
しかし、バランディなら、母はこんなに慌てないだろう。一緒にお茶でも飲んで、世間話をしていそうである。
「それが違うのよ! なんでもメラベリューの文官の――――」
そこまで聞いたとたん、シェーラは焦って部屋を飛び出した。
(まさか!? レオなの?)
なんでこんなところにまで? と、思いながら狭い家を駆け抜ける!
「レ――――」
リビングのドアを開けて叫ぼうとしたところで、凍りついたようにシェーラは動きを止めた。
狭いリビングの大人用椅子の一つに、一人の男が座っている。
背は高くも低くもなく、細身の体を黒い執事服に包んだ、まったく目立たない容貌の男だ。
若者のようにも年寄りのようにも見える、捉えどころのない顔をしている。
(スィヴァス! ……皇国諜報機関の前長官スィヴァス・ローブじゃない!)
思ってもみない前世の知り合いの登場に、シェーラは面食らった。
(なんでスィヴァスが、ここへ? 確か彼は一線を退いて、後継の育成に当たっていたはずなのに?)
シェーラの姿を認めた男は、スッと椅子から立ち上がる。
そのまま腰から三十度の角度で上体を倒した。
「はじめまして。シェーラ・カミュさまでいらっしゃいますか? 先触れもなく突然お邪魔してしまい申し訳ございません。私、メラベリューの文官セオ・クリシュの従者、セバス・ロベルトと申します」
非の打ちどころのない、完璧な挨拶を披露してくれた。
とりあえず「はい」と答えながら、シェーラはめまぐるしく頭を働かせる。
(……そうか。スィヴァスは、レオの補佐としてメラベリューに来ているのね? 確かにスィヴァスなら、経験の足りないレオの助言者として最適だわ)
スィヴァスは、元々は皇国の伯爵家の出だ。曾祖母が皇族から降嫁していて、子や孫の代には誰も皇族の特徴が出なかったのに、ひ孫のスィヴァスに現れた。
(直ぐに曾祖母が気づいて、まだ幼いうちにローブ大公の養子になったのよね。ラガルトが女皇を表から支えてくれたのと同様に、陰で私を支えてくれた優秀な人だわ)
懐かしさで胸がいっぱいになるが……同時に、下手な対応はできないと気持ちを引き締める。
「セオ・クリシュさまには、先日たいへんお世話になりました。失礼にならないよう気をつけたつもりなのですが、何か不手際がございましたでしょうか?」
スィヴァスと同じように頭を下げながら、シェーラはそう答えた。
(いろいろ心当たりがありすぎるわ。なにせ最初に思いっきり叱りつけちゃったし……レオは気にしていない――――っていうよりむしろ喜んでいたけど……不敬は不敬よね?)
しかし、そんなことはおくびにも出さず、スィヴァスの目を見て微笑みを浮かべる。
こういう駆け引きは、開き直った者勝ちなのである。
スィヴァスは、わずかに片眉を上げた。
彼としては最大限の驚きの表情だ。
(あら? 珍しい。今の短いやり取りの中で、彼を驚かせるようなことがあったかしら?)
だが、それも一瞬。すぐにスィヴァスは、いつもの柔和な笑みを浮かべる。
「これは、ご心配をさせてしまって申し訳ありません。もちろんそんなことはございません。主は、シェーラ・カミュさまにお会いできたことを、たいへん喜んでおりました。――――私は、本日主から、気持ちばかりではありますが、先日の案内のお礼の品と、シェーラ・カミュさまへの招待状を預かり、持参したのです」
そう言ってスィヴァスは、足元に置いてあった袋から箱と小さな封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
「こちらは、メラベリュー王都で人気の焼き菓子になります。主と私もいただきましたが、とてもおいしいお菓子でした。ぜひご家族の皆さまでお食べください」
手ごろな大きさの焼き菓子の箱は、贈り物としてポピュラーなものだ。値段も高すぎず、面と向かって断りにくい。しかも家族でどうぞなどと言われては――――
(もっと高価な品なら、遠慮して断れるのに……さすがスィヴァス、選択に誤りがないわね)
仕方なしに、シェーラはお菓子の箱は受け取る。
しかし、もうひとつの小さな封筒の方には手を伸ばさなかった。
「……招待状というのは?」
「はい。一週間後、メラベリュー王城で開かれる夜会に、主がぜひご招待したいと」
「私は平民ですよ?」
「ご安心ください。主も平民です」
(嘘ばっかり!)
いけしゃあしゃあと嘘をつくスィヴァスを、シェーラは半眼で睨む。
とはいえ、それを指摘するわけにはいかなかった。
「ありがたいお話ですが、私には夜会に着ていく服がありません」
シェーラがそう言って断れば、スィヴァスは得たりとばかりに笑みを深くした。
「すべてこちらでご用意させていただきます。……実は、こちらの方が本当のお礼になるのですが――――今回、ご用意するドレスをキャビン織物工場へご注文させていただいたのです」
思いもよらない言葉に、シェーラは目を見開く。
「キャビン織物工場へ?」
しかも『注文した』と過去形ではなかったか?
「はい。――――お恥ずかしい話ですが、私の主には少々浮世離れしたところがございまして、今回のお礼の品も、最初は目の玉が飛び出そうなほどの高価な品々を用意しようとされたのです。いくらなんでも常識がなさすぎるとお諫めしたのですが、なかなか納得されず…………まったく、あの強引で突っ走る性格は、“どなた”に似たのやら――――」
スィヴァスは、深々とため息をつく。
シェーラは、そっと横を向いた。
似たようなスィヴァスのため息を、女皇時代たくさん聞いた覚えがある。
「――――ああ、すみません。話が脱線いたしました。それで、その高価な品々を主に諦めてもらう代わりに、カミュさまを夜会に招待して、その際のドレスをカミュさまがお勤めの織物工場に注文してはいかがかと、私が提案したのです。王宮の夜会のドレスの注文を受けることは、織物工場にとって名誉なこと。箔がつきますし、商売をしていく上にプラスになるのではないかと思いまして」
確かにスィヴァスの言うとおりだった。
キャビン織物工場は、良質な織物を生産する優秀な工場なのだが、いかんせん田舎町ミームにあるため商品は全て平民向け。王侯貴族などの上流社会には販路を持っていない。
もしも今回王宮で開催される舞踏会のドレスを受注し、そのドレスが貴族たちの目に留まれば、一気に上顧客を増やすチャンスとなるのは間違いなかった。
(……くっ、スィヴァスったら相変わらず策士ね)
これではシェーラは招待を断りづらい。
(でも、こんなこと迂闊に受けられないわ。……町を案内しただけで、バランディさんはあんなに怒ったのに、一緒に夜会に出るなんて……抱き上げられて町を三周くらいされちゃいそう!)
町を三周は、さすがのバランディでも無理ではないかと思うのだが――――そういう問題ではなかった。
悩むシェーラに対し、もう一押しと思ったのか、スィヴァスは言葉を続ける。
「とはいえ、お一人ではカミュさまもご不安でしょう。――――なので、同じ招待状を一緒に町をご案内してくださったシシル・ヴェストルさまにも送ってございます。……ヴェストルさまの保護者であられますジルベスタ・バランディさまにもです」
シェーラは、びっくりしてしまった。
「シシルと、バランディさんにもですか?」
「はい。ですので、どうか安心して受け取ってください」
善意たっぷりの笑顔で、スィヴァスはシェーラを見てくる。
(私だけじゃなく、シシルとバランディさんもなんて……レオは何を考えているの?)
ジッとスィヴァスを見返したが――――引退したとはいえ皇国諜報機関の元長官の表情からは、何も読み取ることができなかった。
(レオなら、鎌をかけて聞き出せるんだけど……スィヴァス相手じゃ無理よね)
早々に白旗を上げたシェーラは、テーブルの上の招待状を受け取る。
「では一応お受け取りします。本当に出席するかどうかは、他の二人と相談してからさせていただきますが、それで大丈夫ですか?」
スィヴァスは「もちろんです」と頷いた。
そのまま一礼して暇を告げる。
「本日は、こんな早朝に突然お伺いして本当に失礼いたしました。ぜひ良いお返事をお待ちしております」
最後まで礼儀正しくリビングを出て行こうとする。
ところが、ドアのところで「あ」と言いながら立ち止まった。
後ろを振り返り、ニコリと笑う。
「お伝えするのを失念しておりましたが、夜会には“ゲン国王陛下”もお出でになります。お忍びですのでお気遣いはいりませんよ」
そう言って、今度こそ立ち去った。
シェーラはその場に呆然と佇む。
(ゲン国王が出る夜会に……私と、シシルと、バランディさんを招待するなんて――――いったい何を考えているのよ!!)
心の中で思いっきり叫ぶシェーラだった。




